ふるさとの手帖

市町村一周の旅

旧蘇陽町から、山を下っていく。【旧市町村一周の旅(熊本県|1月30日―299日目)】

旧蘇陽町から、山を下っていく。【旧市町村一周の旅(熊本県|1月30日―299日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【82/175】

82/175
46.86%
訪れた旧市町村の数【836/2,094】
836/2094
39.92%
総計【918/2,269】
918/2269
40.46%

スーパーカブの総走行距離
22919km

旧蘇陽町→旧清和村→旧矢部町→旧砥用町→旧中央町→旧泉村→旧東陽村、の7つ。

旧久木野村(南阿蘇村)の朝。

前日は予定があり、旧久木野村(南阿蘇村)で1日を過ごした。ただ、朝は雲ひとつない晴れ間が広がっていて、起きた瞬間に外へ飛び出したのだった。しびれる寒さの中、水路から蒸気が湧き上がっていたり、田んぼが凍っていたり、朝日が差し込んで草木が輝いていたり、阿蘇の山並みもくっきりと姿を見せて、真骨頂に出会ったようだった。
冷え込んだ朝に散歩した。

昼、道の駅にて。
ちゃんぽんを食べた。

幣立神宮と馬見原の商店街へ。ー旧蘇陽町(山都町)

さて、今日は山都町方面へ向かっていく。阿蘇外輪山の峠を越えていくので、路面を気にしながら進んでいった。国道は大丈夫だったけれど、脇道にはまだアイスバーンが残っている箇所もあった。標高の高さも空気の冷たさで感じられる。
 
旧蘇陽町では『道の駅 そよ風パーク』に立ち寄ったあと、幣立神宮へ訪れた。高い木々に包まれた気持ちの良い神社だった。その神社の看板に、「離れ門前町」として馬見原の商店街が載っていた。門前町が離れていることもあるのか。
 
その馬見原の商店街まで行ってみると、宿場町のまちなみが残っていた。地面が石畳なのもいい。宮崎県との県境にこうしたまちなみがあったのだなあ。
旧蘇陽町へ。
道の駅 そよ風パーク。
蘇陽支所。
幣立神宮。
石段を登って参拝した。
手水は凍ってた。
馬見原の商店街。
若山牧水の歌碑だ。
火伏地蔵堂。
JUGAAD BROS DOUGHNUTSさん。

人間浄瑠璃「文楽」の里を歩く。ー旧清和村(山都町)

今度は国道218号線を西へ下っていく。旧清和村では『道の駅清和文楽邑』へ。今日は定休日だったけれど、人形芝居である文楽の定期公演があるそうだ。同じ敷地に立派な劇場があって、演者たちの顔写真がカッコよく飾られていた。お若い方の写真もあった。
道の駅へ。人形の像だ。
合併記念碑。
清和文楽館。
瓦屋根も壁面も立派だ。
資料館も併設されている。
その後、清和支所周辺のまちなみを歩いた。支所は小高い場所にあり、集落を見渡せる。畑と家並みには落ち着きがあり、穏やかな風景が広がっていた。
支所周辺へ。
清和支所。

通潤用水、小笹円形分水から。ー旧矢部町(山都町)

次にやってきたのは旧矢部町。まずは『通潤用水 小笹円形分水』と呼ばれる場所へ。通潤橋よりもやや北東に位置し、里山を流れる小さな水路の上流に小笹円形分水があった。取水が難しかった地域にも水を送るためにつくられたのが、この小笹円形分水だ。通潤橋方面と、台地の集落へ水を送るために、円形の分水となっている。神奈川岩手でも、円形分水を見たし、平等の精神があらわれているので見ていて心があたたまる。
旧矢部町へ。
小笹円形分水。敷居の比率は水田面積に合わせて調整されていた。
その後、矢部市街地と通潤橋へ訪れる。山都町に入ってからは、国宝になった通潤橋の幟があちこちに掲げられていた。石積みの姿は大きな城のようで、橋の太さ、高さ、密度は迫力がある。これほどの大きな橋が市街地から近いということも驚きだった。
市街地へ。
通潤橋方面へ。
長さは約78m。

堂々たる霊台橋。ー旧砥用町(美里町)

ここからは、美里町へ入っていった。旧砥用(ともち)町で最初にやってきたのは、霊台橋。通潤橋と似た石橋だが、訪れたときの大きさに驚いた。通潤橋と変わらないのではないか? というぐらい大きかったからだ(やや霊台橋の方が長かった)。
 
そして、ここでは石橋の上を歩くことができた。ほとんどの車は通り過ぎていくわけだが、ぼくはこの霊台橋の堂々たる姿がとても好きだった。
霊台橋を歩く。
とても立派だった。
その後、砥用庁舎へ。
山並みと。

八角トンネルや佐俣の湯へ。ー旧中央町(美里町)

次にやってきたのは、旧中央町だ。このまちには『日本一の石段』がある。その数は3333段で、ぼくも前回の旅で登った。あまりにしんどかったので、今回は登らないでおく。すみません。
 
さて、旧中央町では「八角トンネル」へ最初に向かった。近くにはやはり石橋があり、立派なので、この周辺の地域の石橋群には感動するばかりだ。八角トンネルは木々に囲まれた薄暗い道の先にあって、怖いなあと思いながら辿り着いた。太い柱が連続して続いており、いずれも八角形だった。
 
そのあと、『道の駅 佐俣の湯』と美里町役場へ。役場の方まで行くと山を抜けて久しぶりに平野が広がった。そして、美里町役場の庁舎も石造で西洋建築のような佇まいだった。
二俣橋。立派だ。
この先に八角トンネルがある。ちょっと怖い。
あった。佇んでいる。
柱が連続的に続いている。
さまたの湯。
森のぱんやさんでパンを買った。
左の赤ちゃんのおしりパン、カスタードパンですごく美味しかった。
今回は温泉には入らず。
足湯もあった。
久しぶりに空が広い。
美里町役場。石造だ。

山の中に佇む暮らし。ー旧泉村(八代市)

次にやってきたのは、八代市の旧泉村だ。有名なのは『五家荘平家の里』で、平家落人ゆかりの地である。ただ、ものすんごく遠くて、路面が大丈夫なのかもわからないので、今回は控えた。いつか訪れる機会があれば良いなあと思う。
 
そして、旧泉村に入って、「ふれあいセンターいずみ」に立ち寄る。お茶の商品が多くて、海産物も売られていた。八代市は海も山もどちらも広く有している。
 
その後、泉支所の周辺を歩いていると、下校した小学生たちがたくさん集まっていた。警察官や地元のおじさんもいて賑やかだ。どうやらみんなでバスを待っている。一緒にバスを待つ放課後かあ。近くに行って邪魔をしてはいけないので、Uターンした。
 
やがて、その小中学校の名前が載ったスクールバスが、ぼくの横を通り過ぎていった。
ふれあいセンターいずみへ。
山道を進む。
泉支所周辺へ。
泉支所。
丘の上に小中学校があった。

石橋とまちなみ。ー旧東陽村(八代市)

そして、最後にやってきたのは旧東陽村だ。旧泉村から八代市街地へ向かう道中に、旧東陽村のまちなみは広がっていた。旧泉村では山深かった景色も、旧東陽村ではだいぶ道がひらけて、近くには小さな石橋も架けられていた。道の駅と支所も近くにあったので、それらをそれぞれ散策したのだった。

旧東陽村へ。

家屋に統一感がある。
道の駅 東陽。

東陽村石橋公園。

東陽支所。


というわけで、今日の散策はここまで。山間部にいた朝から、徐々に山を下っていき、内陸の暮らしの広がりを感じた1日でした。
 
本日のひとこと
パン屋さんで食べたパンが美味しかったので、持ち帰り用のパンをもう一度買ったときに「元気が出ました」と伝えたら、お店の人は喜んでくれて、またさらに元気が出ました。
(終わり。次回へ続きます)

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