ここ数日、今日の天気予報が気がかりだった。午前中に雨か雪が降りそうだったからだ。平野部なら良いが、今日は阿蘇方面を目指す。次の日に予定があるので、宿までは行きたい。ただ、もし雪が積もったら……。
と、パターンCぐらいまでプランを練って、朝7時に菊池市から出発した。草千里のライブカメラを見るとおそらく深い霧に覆われており、草千里や大観峰を目指すのはやめよう、と最初に判断した。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【82/175】
訪れた旧市町村の数【829/2,094】 総計【911/2,269】スーパーカブの総走行距離
22783km
出発して程なくして雨が降ってきた。コンビニの駐車場で合羽を着る。菊池渓谷や外輪山の峠を越えるルートは避けて、下道の国道57号線で南阿蘇村に入った。
南阿蘇村から旧阿蘇町(阿蘇市)に入ったタイミングで、雨が雪を含んだみぞれに変わった。カブの風よけがザラザラと凍り出す。このとき、路面はまだ問題なくても、これ以上の雪にはならないでくれと祈るほかなかった。(もし本格的な雪に変われば、モーニングをやっているカフェで休む、というのがパターンCだった。)
神経をすり減らしながらも、内牧温泉が近づくと、山並みが水墨画のように淡く重なっている風景に足が止まった。晴れていたらどんな景色なのだろう。温泉街へ着くと、まだお店がひらく前ではあったが味のある雰囲気を感じられた。
このあと、阿蘇駅まで向かった。内牧温泉からは6kmほどで、地元の方からすれば近いのだろうが、意外と距離があるのだなあと。
阿蘇神社に人は集まる。ー旧一の宮町(阿蘇市)
次にやってきたのは、旧一の宮町。まず、旧阿蘇町もだが、旧一の宮町があったのだということを知らなかった。
そして、一の宮といえば、肥後一之宮の阿蘇神社だ。昨年の12月に、熊本地震で被災した楼門の復旧工事が完了した。珍しい二層式屋根で、日本三大楼門に数えられている。知らない人からすれば、この門が修繕されたばかりであるとわからないぐらい、違和感なく堂々と神社に溶け込んでいた。
参拝客もとても多く、老若男女を問わず、みんなうれしそうに参拝していく。神社仏閣がこんなにも人を集める理由はなんだろう。
そして、ようやく日差しが現れた。空が明るくなって、雨雲レーダーを見るとピークも過ぎたようだ。耐えた、と思った。
雪残る外輪山の風景。ー旧波野村(阿蘇市)
旧阿蘇町、旧一の宮町では、積雪なく巡ることができたが、旧波野村は山場だと思っていた。事前に地図や地形を見ていて、旧波野村が阿蘇外輪山の裾野にあたり、標高も高いと感じていたからだ。
Uターンすることも前提に、角度ある峠をゆっくりと登り、旧波野村へ入った。雪は阿蘇市街地よりも多く残っていて、畑は真っ白だったりする。ドキッともしたが、国道は大丈夫だと判断して進んだ。
『道の駅波野』を訪れたあと、波野支所まで向かった。住宅地となかなか出会わないので、高原地帯で集落が散らばっているのかなあと。支所近くの斜面は完全な雪景色で、日差しはあっても、とにかく風が冷たかった。
もし路面が気にならなければ、高森町へ入って、「上色見熊野座神社」という神社へ訪れるつもりだった。行きたかった神社だし、そうすれば、距離も短く南阿蘇村へ進むことができる。ただ、旧波野村での路面の様子を見て、リスクを感じたので阿蘇市街地へUターンすることにした。確実な方を選ぶことだ。
熊本地震震災ミュージアムへ。ー旧長陽村(南阿蘇村)
今朝、旧阿蘇町へ向かう途中に、南阿蘇村の旧長陽村を通り、「新阿蘇大橋」と「数鹿流崩之碑 展望所」を見た。新阿蘇大橋は、熊本地震で崩落した阿蘇大橋に代わって架けられた橋。奥の山と手前の橋、どちらも壮大な姿だった。
数鹿流崩れ(すがるくずれ)の展望所からは、熊本地震で発生した大規模な斜面崩壊の跡と、そこから復旧した姿を見ることができる。最初は復旧された斜面なのだと一瞬わからなくて、大胆な景色だなあと思って見てしまっていた。これは、崩れてしまって、さらに人の手で直された後なのかと……。
そして、『熊本地震震災ミュージアムKIOKU』を訪れた。一人で来ている人もいれば、若いカップルや家族連れもいて、どんな立場の人も、自分事で捉えるべきなのだと感じられる。
2016年の熊本地震の映像を見た。熊本地震が発生してまだ、8年も経っていないのか……とも思った。
ミュージアムの敷地では、『ロビン像』と会うこともできる。ONE PIECEの作者、尾田栄一郎先生が熊本県出身であることはよく知られている。そして、震災時や成人式での尾田先生のメッセージがいくつか展示されていて、それにとてもグッときた。すごいなあ、かっこいいなあ。
湧き上がる白川水源。ー旧白水村(南阿蘇村)
旧長陽村から、次に旧白水村へ。阿蘇山の南側に位置するまちだ。吉見神社の境内にある白川水源を見に行こう。
途中、雲の切れ目から光が差し込んで、思わず何度もカブを停めた。
夜峰山が浮かび上がった。ー旧久木野村(南阿蘇村)
最後にやってきたのは、旧久木野村だ。南阿蘇村の南西部に位置していて、旧長陽村や旧白水村では近景として見えていた阿蘇山の景色が、遠景に変わった。
そして、空がパッと晴れて、夜峰山だけはっきり姿を見せた景色が現れた。阿蘇五岳の真上は雲で隠れていて、遠くからでも雲の流れは早い。今日という日の阿蘇の景色だと思った。
というわけで、今日の散策はここまで。明日は予定があるので、旅はストップする。今日は体力もかなり使ったが、運にも恵まれた。何より、今日という日の阿蘇に出会えたことが、とてもありがたかった。
本日のひとこと。
冬の時期に旅ができていること。それだけでも、十分すぎるほどありがたいことを、忘れるな。
冬の時期に旅ができていること。それだけでも、十分すぎるほどありがたいことを、忘れるな。
(終わり。次回へ続きます)
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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かつおさんこんにちは。
僕は、東海大学農学部に震災前に通っていました。震災直後に熊本と阿蘇校舎周辺へ行きましたが当時はとても酷い状況でした。かつおさんの旅のお陰で今現在の阿蘇校舎の様子や熊本の様子がわかりとても嬉しく、懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。ちなみに、僕は今、地元である広島県東広島市西条の酒蔵でお酒を作っています。いつか、かつおさんにお会いできたら嬉しいです。
まさきさん
こんにちは、コメントありがとうございます。そして、東海大学農学部さんに通われていたのですね。現地には初めて伺いましたが、熊本地震について考えさせられることが多かったです。そして、今は西条にいらっしゃるのですね!ぜひ、こちらこそお会いできましたらうれしいです。