今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【82/175】
訪れた旧市町村の数【836/2,094】 総計【918/2,269】スーパーカブの総走行距離
22919km
目次
旧久木野村(南阿蘇村)の朝。
前日は予定があり、旧久木野村(南阿蘇村)で1日を過ごした。ただ、朝は雲ひとつない晴れ間が広がっていて、起きた瞬間に外へ飛び出したのだった。しびれる寒さの中、水路から蒸気が湧き上がっていたり、田んぼが凍っていたり、朝日が差し込んで草木が輝いていたり、阿蘇の山並みもくっきりと姿を見せて、真骨頂に出会ったようだった。
幣立神宮と馬見原の商店街へ。ー旧蘇陽町(山都町)
さて、今日は山都町方面へ向かっていく。阿蘇外輪山の峠を越えていくので、路面を気にしながら進んでいった。国道は大丈夫だったけれど、脇道にはまだアイスバーンが残っている箇所もあった。標高の高さも空気の冷たさで感じられる。
旧蘇陽町では『道の駅 そよ風パーク』に立ち寄ったあと、幣立神宮へ訪れた。高い木々に包まれた気持ちの良い神社だった。その神社の看板に、「離れ門前町」として馬見原の商店街が載っていた。門前町が離れていることもあるのか。
その馬見原の商店街まで行ってみると、宿場町のまちなみが残っていた。地面が石畳なのもいい。宮崎県との県境にこうしたまちなみがあったのだなあ。
人間浄瑠璃「文楽」の里を歩く。ー旧清和村(山都町)
今度は国道218号線を西へ下っていく。旧清和村では『道の駅清和文楽邑』へ。今日は定休日だったけれど、人形芝居である文楽の定期公演があるそうだ。同じ敷地に立派な劇場があって、演者たちの顔写真がカッコよく飾られていた。お若い方の写真もあった。
その後、清和支所周辺のまちなみを歩いた。支所は小高い場所にあり、集落を見渡せる。畑と家並みには落ち着きがあり、穏やかな風景が広がっていた。
通潤用水、小笹円形分水から。ー旧矢部町(山都町)
次にやってきたのは旧矢部町。まずは『通潤用水 小笹円形分水』と呼ばれる場所へ。通潤橋よりもやや北東に位置し、里山を流れる小さな水路の上流に小笹円形分水があった。取水が難しかった地域にも水を送るためにつくられたのが、この小笹円形分水だ。通潤橋方面と、台地の集落へ水を送るために、円形の分水となっている。神奈川や岩手でも、円形分水を見たし、平等の精神があらわれているので見ていて心があたたまる。
その後、矢部市街地と通潤橋へ訪れる。山都町に入ってからは、国宝になった通潤橋の幟があちこちに掲げられていた。石積みの姿は大きな城のようで、橋の太さ、高さ、密度は迫力がある。これほどの大きな橋が市街地から近いということも驚きだった。
堂々たる霊台橋。ー旧砥用町(美里町)
ここからは、美里町へ入っていった。旧砥用(ともち)町で最初にやってきたのは、霊台橋。通潤橋と似た石橋だが、訪れたときの大きさに驚いた。通潤橋と変わらないのではないか? というぐらい大きかったからだ(やや霊台橋の方が長かった)。
そして、ここでは石橋の上を歩くことができた。ほとんどの車は通り過ぎていくわけだが、ぼくはこの霊台橋の堂々たる姿がとても好きだった。
八角トンネルや佐俣の湯へ。ー旧中央町(美里町)
次にやってきたのは、旧中央町だ。このまちには『日本一の石段』がある。その数は3333段で、ぼくも前回の旅で登った。あまりにしんどかったので、今回は登らないでおく。すみません。
さて、旧中央町では「八角トンネル」へ最初に向かった。近くにはやはり石橋があり、立派なので、この周辺の地域の石橋群には感動するばかりだ。八角トンネルは木々に囲まれた薄暗い道の先にあって、怖いなあと思いながら辿り着いた。太い柱が連続して続いており、いずれも八角形だった。
そのあと、『道の駅 佐俣の湯』と美里町役場へ。役場の方まで行くと山を抜けて久しぶりに平野が広がった。そして、美里町役場の庁舎も石造で西洋建築のような佇まいだった。
山の中に佇む暮らし。ー旧泉村(八代市)
次にやってきたのは、八代市の旧泉村だ。有名なのは『五家荘平家の里』で、平家落人ゆかりの地である。ただ、ものすんごく遠くて、路面が大丈夫なのかもわからないので、今回は控えた。いつか訪れる機会があれば良いなあと思う。
そして、旧泉村に入って、「ふれあいセンターいずみ」に立ち寄る。お茶の商品が多くて、海産物も売られていた。八代市は海も山もどちらも広く有している。
その後、泉支所の周辺を歩いていると、下校した小学生たちがたくさん集まっていた。警察官や地元のおじさんもいて賑やかだ。どうやらみんなでバスを待っている。一緒にバスを待つ放課後かあ。近くに行って邪魔をしてはいけないので、Uターンした。
やがて、その小中学校の名前が載ったスクールバスが、ぼくの横を通り過ぎていった。
石橋とまちなみ。ー旧東陽村(八代市)
そして、最後にやってきたのは旧東陽村だ。旧泉村から八代市街地へ向かう道中に、旧東陽村のまちなみは広がっていた。旧泉村では山深かった景色も、旧東陽村ではだいぶ道がひらけて、近くには小さな石橋も架けられていた。道の駅と支所も近くにあったので、それらをそれぞれ散策したのだった。
というわけで、今日の散策はここまで。山間部にいた朝から、徐々に山を下っていき、内陸の暮らしの広がりを感じた1日でした。
本日のひとこと。
パン屋さんで食べたパンが美味しかったので、持ち帰り用のパンをもう一度買ったときに「元気が出ました」と伝えたら、お店の人は喜んでくれて、またさらに元気が出ました。
パン屋さんで食べたパンが美味しかったので、持ち帰り用のパンをもう一度買ったときに「元気が出ました」と伝えたら、お店の人は喜んでくれて、またさらに元気が出ました。
(終わり。次回へ続きます)
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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