今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】
訪れた旧市町村の数【97/2,091】 総計【107/2,266】2023年4月24日(月)
朝4時50分、朝焼け。赤城山の右手、東の灰色の雲の切れ間からは、オレンジ色に染まった雲が見える。薄く広がる雲たちは、じっと見ていると流れがとても早い。今日も風の強い1日だ。
旧北橘村
2006.02.20渋川市と合併。
最初に訪れたのは、旧北橘村。村であった当時は「きたたちばな」の読み方だったが、合併を機に現在は「ほっきつ」と読み方が統一された。確かに、同じ漢字でも、言いやすさで違う読み方をする地名はある。二子玉川(ふたこたまがわ|にこたま)だったり、南牧村(なんもくむら(群馬)|みなみまきむら(長野))だったり。
日の出を迎えたあと、高崎や前橋の市街地に、朝日が鋭く差し込んできた。スポットライトを浴びるように、まちなみが照らされる。地元の方は、この景色を知っているのだと思った。
旧赤城村
2006.02.20渋川市と合併。
次にやって来たのは旧赤城村。北橘からさらに斜面を上がり、赤城自然園へ訪れたが、しまった。営業時間の9時よりも、2時間半以上早く来てしまった。
セブンイレブンで、工場にお勤めであろうお父さんに話しかけられた。やっぱり会話はいいな。さらに大きなカーブを下る。
白井宿のあるまちなみ。旧子持村
2006.02.20渋川市と合併。
旧赤城村から、利根川を渡った先に旧子持村はある。子持地区は利根川と吾妻川の間に位置していて、両川は子持の南端で合流する。
かつて室町時代に存在していた白井城。城下町として栄えた名残が、鯉沢バイパスのすぐ横に残っている。「道の駅こもち」と一体型になっていた。
旧小野上村
2006.02.20渋川市と合併。
東吾妻町の旧東村を訪れた際、旧小野上村がとても近いことを知った。吾妻川を挟んで右岸が旧東村、左岸が旧小野上村だったのだ。そして、主要道路である国道353号線をそのまま進むと、中之条町に着く。
渋川市
渋川市はちょっと小高いところにある。市役所の標高は200mほどだが、山も近く、傾斜が多いので、特徴的な地形だなあと感じられた。
スカイランドパーク遊園地へ訪れた。平日の開園したばかりだったので、園内に入るかどうか迷って、今回は控えることにした。誰かと一緒に行きたいな。
温泉街の石段を登ろう。旧伊香保町
2006.02.20渋川市と合併。
次に訪れたのは、旧伊香保町。言わずもがな有名な温泉街だ。直接まちを歩くのは、おそらく2回目。でも、数日前に榛名山を訪れたとき、伊香保の温泉街を通り過ぎたばかりだったので、今度は歩けて嬉しい。
熊本県美里町で登った3333段の石段が、圧倒的に辛かった経験があるので、365段はホッとする。もちろん365段でも、しんどいけれど。
黄金の湯は、一度連れて来ていただいたことがあって、2回目。でも、そのときは夜で、浴室も曇っていたので、記憶が薄かった。今回は日差しが差し込んでいて、すごく気持ちが良かった。
日本三大ご当地うどんは、讃岐、稲庭、そして、水沢と言われている。
埼玉や群馬に来て、うどん屋さんが多くて、好きになっている。
達磨寺や高崎観音様へ。高崎市
群馬県の訪問もいよいよ最後、高崎市へ。前回の市町村一周の旅では、高崎観音様へ行ったけれど、今回は同じ場所に加えて、少林山達磨寺と群馬の森へ訪れた。
高崎市の豊岡地区は、縁起だるま発祥の地だ。だるまのモチーフは、1600年ほど前に中国禅宗を開いたとされる、達磨大師。そして、江戸時代の頃、天変地異や飢饉で人々が生活に苦しむ中で、縁起物としてつくられるようになった。だから、今では形も色も知らない人のいないだるまさんだけれど、はじまりは江戸時代である。
隣には達磨堂があって、撮影禁止だが、古今東西様々なだるまさんが展示されていた。
それもわかっていたけれど、どんな場所か感じたくて訪れた。
最後にもう一度、前橋市。
以上をもって、旧市町村一周の旅において、群馬県をすべて巡ることができた。そして、最後の帰り道で、昨日行けなかった前橋市の総社神社と前橋公園に寄って、終えることに。
群馬県の旅はここで終わり。合わせて50のまちを訪れた。伊勢崎や太田の穏やかな景色、藤岡や神奈の山あい、中之条やみなかみの高原地帯。ひとつひとつ違っていて、そこにしかない土地の姿があり、暮らす人々がいた。寒いと思っていた赤城おろしの風も、もう浴びないのだと思うと少し寂しい。それでも、無事に巡ることができて、とてもありがたかった。群馬県、ほんとうにありがとうございました。4月26日は雨の予報なので、その翌日から再スタート。次は、栃木県へ。
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