いよいよ、九州地方の旅も最後になりました。奄美大島と沖縄県が残っているため、完全なラストではありませんが、今回の旅において、九州地方で訪れたまちは400を超えます。ひとつずつ、訪れていった結果なので、こうして旅を進められていることがありがたいですし、最後までがんばりましょう。国東市、豊後高田市、宇佐市と進んでいきました。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【1020/2,094】 総計【1106/2,264】スーパーカブの総走行距離
27485km
今日の旅先のこと
旧国見町(国東市)(1/5)
国東市に位置する文殊仙寺を訪れたのち、旧国見町の「五辻不動尊」という場所を目指しました。文殊仙寺と同じく山の方に立地していましたが、文殊仙寺から山を越えて旧国見町へ入り、五辻不動尊を目指します。国東半島の山間部は、思いのほかつながっておらず、険しい山越えが多いのも印象的です。近いようで、近くないと。そして、五辻不動尊は不動山の頂上近くに鎮座する御堂でした。駐車場から徒歩10分ほどですが、手すりがなければ怖いような石段ものぼり、途中は断崖絶壁の見晴らしが広がり、姫島までくっきりと見えました。御堂は洞窟のようになっており、お経が書かれていて、お供物の箱は赤い漆の三方で、神仏習合なのだなあと。見事な快晴だったので、見晴らしも抜群でしたが、曇りの日であれば、もう少し怖いかもしれないなあとも感じました。また、入口に大きく置かれた不動尊の看板の写真のクレジットが、石川直樹さんでした。いろんな土地に行かれていて、すごいなあ。
国東市に位置する文殊仙寺を訪れたのち、旧国見町の「五辻不動尊」という場所を目指しました。文殊仙寺と同じく山の方に立地していましたが、文殊仙寺から山を越えて旧国見町へ入り、五辻不動尊を目指します。国東半島の山間部は、思いのほかつながっておらず、険しい山越えが多いのも印象的です。近いようで、近くないと。そして、五辻不動尊は不動山の頂上近くに鎮座する御堂でした。駐車場から徒歩10分ほどですが、手すりがなければ怖いような石段ものぼり、途中は断崖絶壁の見晴らしが広がり、姫島までくっきりと見えました。御堂は洞窟のようになっており、お経が書かれていて、お供物の箱は赤い漆の三方で、神仏習合なのだなあと。見事な快晴だったので、見晴らしも抜群でしたが、曇りの日であれば、もう少し怖いかもしれないなあとも感じました。また、入口に大きく置かれた不動尊の看板の写真のクレジットが、石川直樹さんでした。いろんな土地に行かれていて、すごいなあ。
旧香々地町(豊後高田市)(2/5)
国東市から豊後高田市に入ります。旧香々地町では、最初に長崎鼻という岬を訪れました。長崎鼻は、鹿児島県でも同じ地名で複数あったので、重複しやすい地名かもしれません。そして、海岸線は青と緑のコントラストを眺めて晴れやかな気持ちに。お花畑もあるのですが、現在はそこまで咲いておらず、そのことよりも、段々畑の地形が、長崎県諫早市の旧飯盛町のような地形で、とても印象的でした。旧飯盛町の海岸線は、雲仙の火山活動による地形だったけれど、こっちはまた違うはず。それでも、いろいろ理由があって、この地形なのだなあと。
また、市街地周辺も散策したのですが、消防署があり、そこでおそらくお昼休憩中だった消防士の方が、声をかけてくださりました。今まで、前回の旅も含めて、消防士の方と話をするのは初めて、ちょっと緊張してしまいました。そして、国東半島のパンフレットも持ってきてくれて。このとき、「熊野磨崖仏、良いですよ」と生の感想をもらって、よし、行こうと思いました。熊野磨崖仏は豊後高田市の山間部にあり、今日の時間的に間に合うだろうかと迷っていたのですが、行くしかないと。
国東市から豊後高田市に入ります。旧香々地町では、最初に長崎鼻という岬を訪れました。長崎鼻は、鹿児島県でも同じ地名で複数あったので、重複しやすい地名かもしれません。そして、海岸線は青と緑のコントラストを眺めて晴れやかな気持ちに。お花畑もあるのですが、現在はそこまで咲いておらず、そのことよりも、段々畑の地形が、長崎県諫早市の旧飯盛町のような地形で、とても印象的でした。旧飯盛町の海岸線は、雲仙の火山活動による地形だったけれど、こっちはまた違うはず。それでも、いろいろ理由があって、この地形なのだなあと。
また、市街地周辺も散策したのですが、消防署があり、そこでおそらくお昼休憩中だった消防士の方が、声をかけてくださりました。今まで、前回の旅も含めて、消防士の方と話をするのは初めて、ちょっと緊張してしまいました。そして、国東半島のパンフレットも持ってきてくれて。このとき、「熊野磨崖仏、良いですよ」と生の感想をもらって、よし、行こうと思いました。熊野磨崖仏は豊後高田市の山間部にあり、今日の時間的に間に合うだろうかと迷っていたのですが、行くしかないと。
旧真玉町(豊後高田市)(3/5)
次にやってきたのは、旧真玉町。まずは真玉海岸に立ち寄ってみます。そろそろ駐車場に着く、という手前から、真玉海岸の景色が印象的で、フライングで写真を撮ったりもしました。訪れたときは潮が引いていて、それが何本もの小さな川のように横に流れており、独特の景色をつくりだしています。あらためて近くまで行ってみると、風も穏やかだったので海面が反射して見えました。ネットで検索をかけると、夕日と干潮が重なった風景が人気のようです。
また、市街地を訪れると、静かな集落が広がっていました。立派な瓦の建物が多く、家と家の隙間も狭くて、歩きながら少しドキドキしました。伊能忠敬が立ち寄ったという場所もあり、反応して、勝手に嬉しい気持ちになります。
次にやってきたのは、旧真玉町。まずは真玉海岸に立ち寄ってみます。そろそろ駐車場に着く、という手前から、真玉海岸の景色が印象的で、フライングで写真を撮ったりもしました。訪れたときは潮が引いていて、それが何本もの小さな川のように横に流れており、独特の景色をつくりだしています。あらためて近くまで行ってみると、風も穏やかだったので海面が反射して見えました。ネットで検索をかけると、夕日と干潮が重なった風景が人気のようです。
また、市街地を訪れると、静かな集落が広がっていました。立派な瓦の建物が多く、家と家の隙間も狭くて、歩きながら少しドキドキしました。伊能忠敬が立ち寄ったという場所もあり、反応して、勝手に嬉しい気持ちになります。
豊後高田市(4/5)
わあ、国東半島らしい風景だなあ、と感じられた道中から、市街地の桂川を渡り、中央通り商店街の看板をくぐった途端に、一気に昭和の世界に変わり、その空気感の違いに驚かされます。豊後高田市の昭和の町並みは有名で、GW前も、温泉上がりに流れていたテレビで、「昭和の町」が特集されていました。昭和の夢町三丁目館の一部がリニューアルされたというニュースで、GWはすごい賑わいだろうなあと思ったことを覚えています。今回は、時間も少し限られていたので、館内には入らず商店街を散策しました。前回の旅で歩いたのは6年前のこと。そのときと同じ場所に掛け時計があって、それを思い出したときは嬉しくなりました。スクラップアンドビルドで、どんどん移り変わっていくことが良しとされている社会ですが、6年という歳月もまだまだ序の口、という時間の奥行きがいいなあと。
その後、山奥へ進んでいき、熊野磨崖仏を目指します。どうやら受付から少し歩くみたいで、受付のお母さんにどれぐらいの距離があるのか聞き忘れて、そわそわしながら進みます。ゴールがわからない目的地ほど、そわそわするものはありません。あとで「残り200メートル」といった看板が立っていたわけですが、非常に急な石段をかなり登っていった先に磨崖仏が鎮座しており、ぜえぜえ言いながら登っていきました。この石段がかなり無造作で、今では丸みを帯びていますが、昔になればなるほど、尖っていたのではないかと思います。石段が踏み場になっているのは、とても長い年月をかけて、人々が踏み歩いてきたから。その時間の長さも感じます。磨崖仏は二体鎮座しており、木漏れ日に照らされてとても気持ちよさそうな表情でした。これまでの旅で磨崖仏にも少し見慣れましたが、約8mと約7mの石像なので、その大きさには非常に惹きつけられるものがあります。さらに、磨崖仏の上には神社があり、その横には線香とろうそくが置かれたあったので、やはり神仏習合を肌で感じられたのでした。
わあ、国東半島らしい風景だなあ、と感じられた道中から、市街地の桂川を渡り、中央通り商店街の看板をくぐった途端に、一気に昭和の世界に変わり、その空気感の違いに驚かされます。豊後高田市の昭和の町並みは有名で、GW前も、温泉上がりに流れていたテレビで、「昭和の町」が特集されていました。昭和の夢町三丁目館の一部がリニューアルされたというニュースで、GWはすごい賑わいだろうなあと思ったことを覚えています。今回は、時間も少し限られていたので、館内には入らず商店街を散策しました。前回の旅で歩いたのは6年前のこと。そのときと同じ場所に掛け時計があって、それを思い出したときは嬉しくなりました。スクラップアンドビルドで、どんどん移り変わっていくことが良しとされている社会ですが、6年という歳月もまだまだ序の口、という時間の奥行きがいいなあと。
その後、山奥へ進んでいき、熊野磨崖仏を目指します。どうやら受付から少し歩くみたいで、受付のお母さんにどれぐらいの距離があるのか聞き忘れて、そわそわしながら進みます。ゴールがわからない目的地ほど、そわそわするものはありません。あとで「残り200メートル」といった看板が立っていたわけですが、非常に急な石段をかなり登っていった先に磨崖仏が鎮座しており、ぜえぜえ言いながら登っていきました。この石段がかなり無造作で、今では丸みを帯びていますが、昔になればなるほど、尖っていたのではないかと思います。石段が踏み場になっているのは、とても長い年月をかけて、人々が踏み歩いてきたから。その時間の長さも感じます。磨崖仏は二体鎮座しており、木漏れ日に照らされてとても気持ちよさそうな表情でした。これまでの旅で磨崖仏にも少し見慣れましたが、約8mと約7mの石像なので、その大きさには非常に惹きつけられるものがあります。さらに、磨崖仏の上には神社があり、その横には線香とろうそくが置かれたあったので、やはり神仏習合を肌で感じられたのでした。
宇佐市(5/5)
いよいよ、最後のまちです。宇佐市の麦畑を通り抜けて、宇佐神宮へ向かいました。九州本土をずっと巡り、最後に宇佐神宮を訪れることができるというのは、最初から計算したわけではまったくないのですが、これで九州を離れるということならば、これ以上ありがたいことはないですし、先ほどの熊野磨崖仏と合わせて、神仏習合の国東半島の、総括りだなあとも感じました。そして、実は、16時閉門だと思って非常に急いでいたわけですが、実際は18時閉門でした。なんだよー、言ってよー! と、Googleマップの情報にひっかったわけです(祈祷の受付などが、16時までというわけですね)。というわけで、すでに15時半を過ぎていましたが、落ち着いて境内を歩くことができました。おそらく前回は、上宮しか訪れていないのですが、今回は下宮も参拝しました。参拝客もそれほど多くなくて、ゆったり歩けてよかったです。宇佐神宮の特徴は、やはり4拍手。ちょっと緊張しますよね。ほかの参拝客も、知らんぷりして、ほんとうはほかの方の4拍手を聞いているような気がします。聞き耳が自然と立つというか。そういう緊張感、ぼくは好きです。と、ごく自然に参拝して駐車場まで戻りましたが、1時間弱経っていました。とても広い境内です。6年ぶりの参拝だったので、つくづくありがたいなあと感じられたのでした。
いよいよ、最後のまちです。宇佐市の麦畑を通り抜けて、宇佐神宮へ向かいました。九州本土をずっと巡り、最後に宇佐神宮を訪れることができるというのは、最初から計算したわけではまったくないのですが、これで九州を離れるということならば、これ以上ありがたいことはないですし、先ほどの熊野磨崖仏と合わせて、神仏習合の国東半島の、総括りだなあとも感じました。そして、実は、16時閉門だと思って非常に急いでいたわけですが、実際は18時閉門でした。なんだよー、言ってよー! と、Googleマップの情報にひっかったわけです(祈祷の受付などが、16時までというわけですね)。というわけで、すでに15時半を過ぎていましたが、落ち着いて境内を歩くことができました。おそらく前回は、上宮しか訪れていないのですが、今回は下宮も参拝しました。参拝客もそれほど多くなくて、ゆったり歩けてよかったです。宇佐神宮の特徴は、やはり4拍手。ちょっと緊張しますよね。ほかの参拝客も、知らんぷりして、ほんとうはほかの方の4拍手を聞いているような気がします。聞き耳が自然と立つというか。そういう緊張感、ぼくは好きです。と、ごく自然に参拝して駐車場まで戻りましたが、1時間弱経っていました。とても広い境内です。6年ぶりの参拝だったので、つくづくありがたいなあと感じられたのでした。
というわけで、今日の散策はここまで。九州地方を巡るにあたって、たくさんの方々にご縁をいただき、お世話になりました。心より御礼申し上げます。また、それぞれ訪れたい土地がたくさん増えました。もちろん、今後すべてを訪れることはできないでしょう。それでも忘れないように、写真と一緒に、心にしまわせていただきます。ありがとうございました。
本日のひとこと
今日は行橋市にて滞在し、明日からは中国地方、山口県を目指します。
今日は行橋市にて滞在し、明日からは中国地方、山口県を目指します。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
LEAVE A REPLY