ふるさとの手帖

市町村一周の旅

春の兆しとともに。薩摩川内市と、いちき串木野市の旅。【旧市町村一周の旅(鹿児島県|3月7日―336日目)】

春の兆しとともに。薩摩川内市と、いちき串木野市の旅。【旧市町村一周の旅(鹿児島県|3月7日―336日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】

86/171
50.29%
訪れた旧市町村の数【890/2,094】
890/2094
42.50%
総計【976/2,264】
976/2264
43.11%

スーパーカブの総走行距離
24087km

旧東郷町→旧入来町→旧樋脇町→旧市来町→旧串木野市→旧川内市、の6つ。
今日は8時過ぎに出発した。空がカラッと晴れていて気持ちいい。それに、寒くない。鹿児島は春が近づいているのではないか、と予感させる朝だった。
 
さて、今日の目標は、薩摩川内市街地を起点に、先日訪れた旧祁答院(けどういん)町を除いた薩摩川内市の旧市町村と、いちき串木野市の旧市来町、旧串木野市を巡ることだ。
 
最初に向かった旧東郷町は、薩摩川内市の大小路の交差点を東へ折れて、道なりに進むと現れた。市街地は川内川の右岸に広がっているまちだ。
 
その市街地に立ち寄る前に北へ進み、藤川天神を訪れた。道中の景色も里山のようで心が落ち着く。神社に着くと、看板には旧東郷町の紹介として、「フルーツの里」とあった。
 
そして、神社には梅の木がズラッと並んでおり、木によっては濃いピンク色の花が少しひらいている。また、梅の木は日差しを浴びていたが、社殿は日陰で静けさが増していた。
旧東郷町へ。
梅の木が並んでいた。
梅はいいなあ。
西郷隆盛の愛犬、ツンの銅像。
鳥居をくぐろう
静けさも良い。
兆し。
その後、旧東郷町の市街地へ。
東郷支所。
まちだなあ。

入来麓武家屋敷群を歩く。ー旧入来町。(薩摩川内市)

次は旧東郷町から旧樋脇(ひわき)町を通って、旧入来町までやってきた。旧入来町では「入来麓武家屋敷群」へ訪れる。
 
薩摩藩初代藩主の島津家久は、自らの居城である鹿児島城(鶴丸城)を築き、薩摩藩の各地に点在する「麓」をつくった。そして、麓を外城として、薩摩藩全体を防御するための武家屋敷群が整備されていったわけだ。だから、出水や知覧をはじめ、鹿児島には武家屋敷群が多い。
 
武家屋敷群に到着すると、近くの小学校から明るい声が響いていた。その後、旧増田家住宅を訪れてみると、ベンチで雑談していたお父さんが話をやめて、ぼくに住宅の歴史を説明してくださった。
 
話を聞いて面白いと思ったのは、住居がふたつに分かれていて、その分岐点には雨樋があること。また、ひとつは客間で床が少し高くなっており、天井にも板が敷かれていて、もうひとつの母家は天井の茅葺屋根まで見えるのであった。
 
説明をしてもらったあと、外から住宅を見てみると、ラクダのコブみたいだと思った。
旧入来町へ。
入来支所。
武家屋敷群を歩こう。
石段の上には小学校があった。
生垣の剪定も見事。
旧増田家住宅。二つの家が繋がっている、薩摩独特の住居。
連結部には雨樋が通っている。
床の高さもそれぞれで違っていた。
釘隠しだと教わった。
さらに、おじさんに清色城跡の切り通しもすごいよと教えてもらって、向かってみた。
切り通し、迫力があった。

樋脇川沿いのまちなみと道の駅へ。ー旧樋脇町。(薩摩川内市)

次にやってきたのは、旧樋脇町。まずは市街地へ向かってみた。樋脇支所へ到着する直前に川を渡ったが、川内川ではないよなあと思ったところ、樋脇川だと知って納得した。だから樋脇町なのかあと。
 
市街地を歩いたあと、「道の駅 樋脇」へ訪れた。近くには「市比野温泉」があり、道の駅にも足湯が設置されていたのだった。
旧樋脇町へ。
樋脇支所。
お弁当屋さんかな。
樋脇川。
道の駅 樋脇へ。市比野温泉の顔看板だ。
足湯もある。

観音ヶ池市民の森に吹く春の風。ー旧市来町。(いちき串木野市)

今度は旧樋脇町から山を越えて、旧市来町へ向かった。「いちき串木野市」ではひらがな表記の「いちき」だが、漢字では「市来」なのだと今回知った。
 
市来駅にやってきて、ちょうど電車が来るタイミングだったけれど、鹿児島方面の電車では、若い男女が結構利用していた。
 
その後、観音ヶ池市民の森へ訪れると、ところどころ、すでに花びらを咲かせた桜の木があった。今日を通して、遠目で見ることは何度かあったものの、より一層桜を身近に感じた。ひっそり、桜の木の下に座ってお花見しているお母さんもいた。それを見て、わあ、沁みるなあと。
市来駅。
駅前にあった。七夕踊かあ。
特徴はダイナミックらしい。
観音ヶ池市民の森へ。
水辺。
ぐっときた。
市来支所にも。

長崎鼻公園の松林をくぐって海へ。ー旧串木野市。(いちき串木野市)

いちき串木野市役所は、旧串木野市の市街地に位置している。旧市来町の市街地からは3kmほどで十分に近かった。また、市街地に入ると海も近づいていて、空が広く感じられる。
 
市役所周辺を散策したのち、長崎鼻公園へ向かう。松の木が多く並んでおり、針のような枯れ葉が地面の絨毯となって、歩くたびにフサフサ感じられた。その松林の歩道を越えた先に旧串木野港灯台がある。海が見えるとキラキラ輝いて、眩しいぐらいだった。
いちき串木野市役所。
住宅街。
長崎鼻公園へ。
松の木が最も多かった。
岩場と海。
旧串木野港灯台。

市街地を散策し、新田神社へ。ー旧川内市。(薩摩川内市)

そして、薩摩川内市街地へ戻ってきた。かつては旧川内市と呼ばれていたエリアだ。朝も川内川の近くで写真を撮ったけれど、いちき串木野市から戻ってきて、まずは川内駅や商店街を歩いた。その後、新田神社へ。神社の石段は想像していた以上に段数が多くて、ゼエゼエ、ハアハアと息切れしてしまった。ほかの人たちはもっと社殿に近い駐車場を利用していた。
 
ちなみに大学生のとき、薩摩川内市が地元だった同級生がいたから、その同級生は今、どこに住んでいるのだろうなあと思った。一度、連絡が途切れてしまったら、なかなかの強い縁がない限り、つながりは希薄になってしまいますよね。
前々日の晩の雨。
今朝、川内川と。
午後、川内駅。
小学生たちが下校中だった。
商店街。
わっぜぇ安い。
新田神社へ。
このセットが、2回あった。
息を切らして無心で参拝。

というわけで、今日の散策はここまで。ちなみに今日、関東在住の方とメールでやり取りをしていると、「今日は極寒でした」と言われて驚きました。ぼくの場合の今日は、「こんなにも春の兆しがあるなんて」でしたから。土地による感覚の違いも、不思議だなあと思います。
 
本日のひとこと
道の駅で、カブを停めたあとにおじいちゃんに話しかけられた。「旅人かい?」みたいなことを聞かれるのかと思ったら、「その荷台の箱、どこで買ったのかい?」だった。ネットで買ったことを教えてあげた。
(終わり。次回へ続きます)

<旅を応援してくださる方々へ&関連ページ>

「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

二見書房編集部noteにて連載中です。

二見書房編集部noteのページはこちら
旅についての心境を、週に一度日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。

日本加除出版noteにて連載中です。

日本加除出版noteのページはこちら
旧市町村で気になったまちのことについて、月に一度まとめています。本文は『戸籍時報』でも連載中です。

ストレートプレスにて連載中です。

ストレートプレスのページはこちら
トレンドニュースサイトのSTRAIGHT PRESS(ストレートプレス )にて、旧市町村をひとつずつまとめた記事を連載中です。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me