ふるさとの手帖

市町村一周の旅

佐野常民さん。【旧市町村一周の旅(佐賀県|12月24日―262日目)】

佐野常民さん。【旧市町村一周の旅(佐賀県|12月24日―262日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【81/175】

81/175
46.29%
訪れた旧市町村の数【730/2,094】
730/2094
34.86%
総計【811/2,269】
811/2269
35.74%

スーパーカブの総走行距離
20960km

旧脊振村→旧神埼町→旧千代田町→旧諸富町→旧川副町→旧東与賀町、の6つ。

佐野常民さん。(2023年12月24日(日)―262日目)

12月も終わりが近づいて、世の中にいろんな気持ちが溢れてる気がする。形容詞なら忙しい、かなしい、たのしい、うれしい、美味しいとか。ぼくは12月も変わらず、忘れっぽい、ですが。

一週間ぶりに旅を再開しました。サボってたの? うーん、確かに、映画を2本観たし、スタバのお姉さんには顔を覚えられてしまった気がするし、鬼滅の刃の単行本も半分読んだし……、サボってました!

体は十分に休まったので、ここからまた、元気に進んでいきたいと思います。それでは振り返っていきましょう。

旧脊振村(神埼市)

佐賀に来て最初は読めなかった、脊振(せふり)という地名。それが読めるようになって、なおかつ佐賀平野の北側の美しい山脈を形成しているとわかってからは、脊振という言葉がどんどん好きになっていった。
 
でも、今日は旧脊振村を目指すのがちょっと怖い。神埼市街地を北に折れて、脊振山地が正面にあらわれた。そして、堂々たる雪化粧を感じる。雪が降って2日経っているけれど、雪景色のままなのだ。路面は大丈夫だろうか。行ったことがないので、どれぐらい山間部にあるのかもわからない。でも、雪があっても、路面は問題ないはず。と、信じて進む。ノーマルタイヤですみません。
 
やがて佐賀平野から山道に変わり、勾配も増す。
 
そして、旧脊振村に入った頃合いで、徐々に道路脇に雪が見え始めた。ひとつ集落を進むごとに、景色に対しての雪の比率が増していった。めがね橋を見てみようと思って降りた石段は、まだ積もりたてのような雪があった。ザク、ザク、と。モンベルの登山靴でよかった。
 
旧脊振村の中心地であろう脊振支所まで訪れて、それよりも北上するのはやめた。路面は雪が溶けていたので大丈夫だったけれど、周辺はまだまだ雪が残っていて、驚いたなあ。瓦を見るに積雪は10cmぐらい(佐賀市街地は1cmの積雪だったはず)。山の麓なので雲が居座り続け、雪が溶けず、その雪がさらに集落を冷やしているようだった。
旧脊振村へ。
寒いですね。
めがね橋があるところ。
めがね橋。
集落へ。
神埼市脊振交流センター(脊振支所)。

旧神埼町(神埼市)

次にやってきたのは、旧神埼町。合併で町が市になったわけだ。
 
まずは仁比山神社へ向かってみる。旧脊振村から降りてくる道沿いだったので、すぐに着いた。
 
それで、むむっと記憶装置が動き出す。見覚えがあるなあ。ぐるぐる記憶装置を手回し。あっ! 見たことある! この景色、と。そうか、前回の旅でも仁比山神社に来ていたのだった。思い出したぞ、にやり。
 
前回の旅で訪れた場所に、あらかじめわかって再訪するときもあれば、気づかずに行っているときもある。今回は後者だった。4年前のことだけれど、案外覚えているものだなあ。そう、境内の苔がとても綺麗で、それを撮った気がするなあ、って。
 
今日は神社の正面に門松が立っていて、まだ飾りは何もなかったけれど、いよいよ年の瀬という感じがした。
仁比山神社へ。
神社を参拝したあとは、神埼市街地を散策した。横武クリーク公園を歩いているときには、遠くから、野球部の声がした。試合じゃなくて練習の。金属バットの音も一緒に。
神埼市役所。
向こうは晴れてる。
横武クリーク公園。

旧千代田町(神埼市)

神埼市を南に進んで、旧千代田町へ向かう。千代田総合支所まで来て、立派な支所だなあと思いながら、あとは近くを散策する。その支所の近くに和菓子屋(村田屋 千代田店)さんがあって、最初は通り過ぎたものの、お店の佇まいを見てお腹が空いてきた。そうそう、久しぶりの旅の再開で、エネルギー消費量も増えている。
 
新作を含めたお菓子をいくつか買い込んだ。「誰かに頼まれたんですか?」とお店の人に聞かれて、恥ずかしげもなく「いや、自分用です!」と返事をした自分、ずぶとい! 観光で来たのだと話し、寒い時期に来たとですねえと労ってもらい、優しい時間。
 
「店内で食べていいですか?」とは聞けず、外で寒いと思いながらも甘いお菓子を食べて元気ができた。甘いって素晴らしい!
 
最後に移動中、見たことのない鳥と出会った。しっぽが長くて、白と黒と、緑色もあったような。それに大きかった、二羽。なんだろう。
千代田総合支所。立派だった。
脊振山地が寒そうだ。
村岡屋さん。
ぜんぶ美味しかった。
水路が多い、平野だなあと。

旧諸富町(佐賀市)

神埼市の旅を終えて、佐賀市に移る。佐賀市も8つのまちが合併でひとつになっているわけです。
 
旧諸富(もろどみ)町にやってきた。行きたかった場所は一択で、筑後川昇開橋。旧諸富町出身の方が、町のシンボルですと教えてくれていたのだ。まずは昇開橋そばの「橋の駅 ドロンパ」へ。山、海、道などの駅シリーズは多かれど、「橋の駅」は初めてのような。ちらし寿司270円を買って(安い!)、あらためてお昼ご飯。
 
昇開橋は歩くことができるようで、とりあえず行ってみよう。自転車を押す高校生たちとすれ違った。自転車も押して渡れるらしい。ちなみに橋の向こう側は、福岡県大川市だ。
 
そして、橋の中央付近に着くとおじさんがいて、「観光ですか?」と聞かれてそうですと答えると、じゃあ橋を持ち上げましょうとここまで非常にテンポ良く。おじさんがスイッチを押して、さっきまで歩いた橋の一部分が、ウィーンと持ち上げられていった。おお、動いている。機械が動いているのを見ると人間ってワクワクする生き物だな。おじさんが橋について解説してくれて、最後はグッズ品や寄付への軽やかなお誘いもいただいて、寄付をした。これができるようになったのも、ガネーシャのおかげですやん。
橋の駅 ドロンパ。いい名前。
お昼ご飯。
筑後川昇開橋。
秦の始皇帝の命令でやって来た、徐福さん。
橋を動かしてもらった。すごい。
諸富支所。車がたくさん止まってた。

旧川副町(佐賀市)

さて、あともう一息。旧川副町で行きたかった場所はふたつあって、ひとつは三重津海軍所跡。もうひとつは大野島という島。筑後川と早津江川に囲まれた大野島は、珍しいことに島内で県が分かれている。同じ島なのに、こっちは佐賀県、こっちは福岡県、というわけだ。すごいなあ。
 
その大野島は実際に訪れて、ほおお、と驚いたわけだが、先に訪れた三重津海軍所跡が、よりインパクトの大きな場所だった。遺跡に向かう途中、資料館に出会う。名前は「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」。建物の正面に、佐野常民という人物の銅像がある。なるほど、地元の偉人。でも、知らないなあ……。だったら、知らないからこそ、訪れた方がいいぜ旦那、と心の声がして、館内に入る。
 
無料の展示スペースと、500円の有料展示があった。前回の旅なら、無料を即決していただろう。もちろん、今も必ず有料展示に入るわけでもないけれど、今日は時間に余裕があるし、反応したのが500円というお金のことだけだったので、有料展示に入る(成長!)。館内の人に説明してもらうに、1階で映像が2本、2階で映像が1本、それぞれ決められた時間に放映されるので3本観てくださいと。
 
3本とはサザエさんみたいだなと思ったわけだが、ぜんぶ観ることにした。1本目は三重津海軍所跡についての動画。オランダから買った最新鋭の船を整備する施設として、三重津海軍所跡が存在していたと。佐賀藩が幕末に近代的なアクションを起こしていたことを知る。非常に面白い。
 
2本目は佐賀藩10代藩主の鍋島直正について。洋式海軍の創設を目指して、三重津を拠点にしたことなどを、さらに具体的に触れた。藩政改革に着手している様子に、敏腕さを感じる。
 
そして、3本目が佐野常民について。佐野さんは佐賀藩の鍋島直正に仕えた人物でもあるわけだが、若い時期は蘭学の道を励み、やがて佐賀藩の精煉方(理化学研究施設)でも中心人物として携わり、明治以降は政府の一員として国づくりに努めた人物だった。さらに、日本赤十字社の初代社長が佐野常民だと知って驚いた。どうやって日本赤十字を? パリ万博で赤十字に出会い、その思想を日本でも掲げ、前身となる組織をつくったのだった。人徳に溢れ、人々からも厚く尊敬されているようだった。
 
なんだろう。江戸や明治の国づくりに関わっている人って、多少は違うのかもしれないが、全体的に、人間としての器を感じる。権力を私欲に使わない。いろんな偉人を見ていると、色恋に溺れる人もまあまあ多いけれど、最終的には人として愛されている人が多い気がする。もしくは、権力にしがみついている人は、記念館とかが残っていないのかな。屈託のない“人々のため”にという思いが多くの人の心を動かしを、道がひらけている。今の権力者たちは、つくづく権力を世のために使っているのかな。
旧川副町へ。
佐野記念公園。
佐野常民の銅像だ。
オランダの最新鋭の船「電流丸」の修理などを、三重津海軍所で行ったと。
佐賀藩独自で造った、日本初の蒸気船。
三重津海軍所跡。
橋の向こうは、大野島。右側は佐賀県だが、左側に進むと福岡県に入る。同じ島なのに。

旧東与賀町(佐賀市)

最後にやって来たのは、旧東与賀町だ。東よか干潟を目指して進んでいった。東よか干潟は有明海が目の前にある干潟で、一帯はラムサール湿地条約に登録されている。ラムサール湿地条約に登録とはすごいな。干潟に着いて、有明海の方へ進んでみると、干潟にシチメンソウの景色がずらーっと広がっていた。このシチメンソウは夏なら緑色、秋なら赤色に染まるみたいだけれど、今は乾いた薄茶色の状態で、一言で表すなら「寂寞!」だった。でも、この寂寞感が良いんです。冬だなあって、肌で感じるもの。
 
そこから東与賀の市街地まで向かっている途中、今日一度見かけていた、“見たことなかった鳥”をもう一度見つけた。実は東よか干潟よかの展示を見て、その鳥の名前は判明した。ツクシガモという大型の鴨だ。冬になるとユーラシア大陸から有明海に渡ってくるんだって。この辺りで見られる、独自の渡り鳥! さっき、写真撮りたかったなあ、と思っていたところだったから、今度はバイクを停めて、遠くからシャッターチャンスを狙う。でも、遠くてはっきりとは撮れなかった。でもでも、尻尾が長くて綺麗なんです。
 
追記
あとからツクシガモだと思って撮った鳥は、カササギとのことでした。確かに最初に見た鳥の方が大きかったから、そっちはツクシガモだったのかもなあ。
旧東与賀町へ。
東よか干潟。
冬だ。
こちらはツクシガモではなかった。
市街地。
戸建の住居も多かった。
水路の風景も独特だなあって。

というわけで、今日の散策はここまで。朝は雪から始まって、いろんな新しい出会いがありました。佐野常民先生、万歳!

本日のひとこと
旧川副町の小学校で、佐野常民のことを、佐野先生と呼んでいたりするみたい。今日、川副で小学校の先生をしている知り合いの方と、偶然再会したんです。それもすごい!
(終わり。次回へ続きます)

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