今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【74/175】
訪れた旧市町村の数【666/2,094】 総計【740/2,269】スーパーカブの総走行距離
19380km
福岡県の中部、飯塚市と嘉麻市を巡ろう。(2023年11月30日(木)―238日目)
朝、アスファルトが濡れていた。ああ、雨がザッと降ったんだ。体感気温も昨日よりも寒く感じられる。もうすぐ12月だもんなあ。今日は福岡県中部の飯塚市と嘉麻市のまちを巡っていった。それでは振り返ってみよう。
飯塚市
飯塚市の旧市町村も訪れている中で、以前から飯塚市だった地域を散策した。最初に向かったのは、筑豊御三家と並び、「筑豊の炭鉱王」と呼ばれた伊藤伝右衛門の邸宅、“旧伊藤伝右衛門邸”。ちなみに「筑豊御三家」は安川敬一郎、貝島太助、麻生太吉を指す。安川氏が暮らした旧安川邸と、貝島炭鉱について学ぶことのできる宮若市石炭記念館も、今回の旅で訪れたので、だいぶ重要な人物がつながってきた。
幸袋(こうぶくろ)地域にて雰囲気のある通りを進むと、お城みたいなでっかい門が現れた。まさに旧伊藤伝右衛門邸にふさわしい大きさ。しかし、門の前に立て札があって、なんと今日から12月中頃までは休館日だった。あらら、残念。入り口だけでもすごい迫力だったので、邸内はまたすごいのだろうなあ。
嘉穂劇場と呼ばれる木造の芝居小屋は、国の登録有形文化財に指定されている。今は休館しており、中に入ることはできないものの、近くを歩いてみた。
そしてもう一箇所、勝盛公園も。程良い大きさの池があって、憩いの場のように感じられた。桜の名所でもあり、住宅地に囲まれた穏やかな公園。もしここが東京なら、杉並区に思えるなあ。
旧筑穂町(飯塚市)
次に訪れたのは、旧筑穂町。まずは大分八幡宮を目指して進んで行った。「おおいた」ではなく、「だいぶ」と読む。八幡宮に着くと広い境内で、鳥居も大きく立派な木々が立っている。神社のはずだけれど、門の左右の像は阿吽の口の形をしていた。
そのあと集落が変わって、筑穂支所周辺を訪れた。支所は斜めにとんがった形をしていて、年数は経っているのかもしれないけれど、とてもモダンな支所だ。上穂波駅まで歩いて着いたところ、ちょうど筑豊本線の電車が入線した。
旧稲築町(嘉麻市)
ここからは嘉麻市に移ろう。合わせて4つのまちが合併して、現在の嘉麻市になっている。最初に訪れたのは、旧稲築(いなつき)町。「山野の石像群」なるものが気になって、山野若八幡神社の駐車場にカブを停め、石像群へ向かった。周囲に穏やかな住宅地が広がっている中で、石像群の札に沿って階段をのぼっていくと、小屋が建っている。どうやらこの中に石像群があるのか、と中を覗いてみると……わあ! たくさんの大小様々な石像がひっそりと息をひそめていた。
その後、稲築公園に登ってみると、嘉麻市役所と景色が一望できた。そばには遠賀川、その東には山田川が流れて平野になっており、その奥にはゆるやかな山並みが広がっていた。
旧山田市(嘉麻市)
嘉麻市街地では遠賀川と山田川が両方流れていて、その山田川の方を上流に向かって進んでいくと、旧山田市へ入る。射手引神社(いでびきじんじゃ)を訪れると、茶色の鳥居と瓦屋根が印象的な神社だった。神社からまちを見下ろしてみると、古いまちなみがぎゅっと詰まっている。旧山田市がどういうまちだったか。山田生涯学習館の前に古い踏切があって、その下に説明文が書かれてあった。石炭産業最盛時には人口約4万人を数えたまちであったこと。エネルギー政策の変化による石炭産業の衰退後は、沿線人口が激減し、この踏切が使用されていた、旧国鉄上山田線も廃線になったこと。山田市はかつて、筑豊最奥部の炭鉱のまちだったのだなあ。
旧嘉穂町(嘉麻市)
旧山田市からひとつ峠を越えると、旧嘉穂町に入る。流れている河川も山田川から遠賀川に変わった。遠賀川と山の間にまちなみも広がっており、メインの通りには風情がある。その同じ通りにある、寒北斗酒造を訪れてみた。創業1729年の古い歴史を持ち、表彰状が壁一面に飾られていて、多くの人々に愛されてきたことが感じられる。商品の小売ブースもあって、お客さんもたえまなくやってきた。そしてふと、壁に飾られたものの中に、伊能忠敬が1813年に寒北斗酒造で泊まったという日記が飾られていた。それを見て嬉しくなった。
旧碓井町(嘉麻市)
最後にやってきたのは、旧碓井町。「道の駅 うすい」と碓井総合支所は交差点を挟んでほとんど同じ場所にあって、その周辺を散策してみる。道の駅の店内はスーパーのようでもあり、地元のお客さんもとても多そうだった。
その後、嘉麻市立織田廣喜美術館を訪れる。織田廣喜(おだひろき)は少年時代を碓井村で過ごし、その後、日本の画家として頭角を表した人物。二科会の常務理事や理事長も務めた。
館内の織田廣喜の展示は撮影禁止だったので、じっくりと展示を見ていく。オリジナルの世界観だなあと感じられた中で、織田さんが残していた言葉が作品の横に貼られていて、それもすごく好きだった。
絵の情緒とか寂しい味などを出すとすれば、それはやはりいろいろ経験しないと表現できませんからね、世の中の苦労が全部、絵の要素になるんですね。
そして、常設展の冒頭で、織田さんと妻のリラ夫人の写真があって、その写真がとても上手いなと名前を見ると、撮影者は林忠彦だった。すぐに納得。林忠彦は、昭和の写真家の中でも非常に有名な人物だから。さらに、別室で林忠彦と山口利明(同じく写真家)が撮り下ろした、織田さん家族の写真が展示されていて、それもまたとてもいいのであった。やっぱり、いい写真を撮る人はいいなあ。織田さんのことは、「決して偉ぶらない、気取らない画家」と書かれてあって、織田さんのことも好きになった。きっと、清々しい人だったんじゃないかな。
というわけで、今日の散策はここまで。これで筑豊地域の旧市町村を、ひと通り訪れることができたのだった。パラパラと小雨も何度か降ったし、寒くて手がかじかんだ1日だったけれど、まだまだ福岡県の旅も道半ば。ここからがんばっていきましょう。
飯塚市で力士さんを3人見た。ぼくはダウン着ても寒かったけれど、その力士さんのうちのひとりが半袖だった。さすがだ。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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