ふるさとの手帖

市町村一周の旅

耳納連山を遠くに眺めて、雨降る東峰村へ。【旧市町村一周の旅(福岡県|12月1日―239日目)】

耳納連山を遠くに眺めて、雨降る東峰村へ。【旧市町村一周の旅(福岡県|12月1日―239日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【74/175】

74/175
42.29%
訪れた旧市町村の数【673/2,094】
673/2094
32.14%
総計【747/2,269】
747/2269
32.92%

スーパーカブの総走行距離
19525km

旧夜須町→旧三輪町→旧甘木市→旧朝倉町→旧杷木町→旧小石原村→旧宝珠山村、の7つ。

耳納連山を遠くに眺めて、雨降る東峰村へ。(2023年12月1日(金)―239日目)

朝8時に出発。とても寒い。薄暗くて、午後4時みたいな空だ。福岡も地形的には日本海が近いから、冬はどんよりした空にもなりやすいのかな。ネックウォーマーで耳を隠して、目元までぎゅっと上げてからヘルメットをかぶる。

今日は筑紫平野である筑前町や朝倉市、そして東峰村まで進んでいった。それでは振り返っていこう。

昨晩、大地のうどんで「野菜天ぶっかけ」を食べた。大ボリュームかつ美味しくて、福岡県へのうどん愛が止まらない。

旧夜須町(筑前町)

筑紫野市から出発したので、3号バイパスを南に進み、ゆめタウン筑紫野の交差点を左に折れて、あとは真っ直ぐ進んでいくと筑前町の旧夜須(やす)町に入る。筑前町役場の向かいにある公園では落ち葉を掃除しているおばさんがいて、知り合いかどうかはわからないけれど、おじいちゃんが自販機であったかい飲み物を「これよかったら」と買ってあげていた。うん、あったまる。

「道の駅 筑前みなみの里」までやってくると、緩やかに標高が上がり、遠目で筑前町の市街地方面を見ることができた。その景色を見て、群馬県の赤城山の中腹から見た景色と似ているような気がするなあと。

筑前町役場にて。

道の駅 筑前みなみの里。

旧三輪町(筑前町)

手前には畑が広がり、奥にはまちなみが広がり、そしてさらにその奥には、耳納連山かな。遠目なので、山を近くで見たときのようなディティールはないものの、淡い霧が稜線にかかり、晴れた日とは違うであろう美しさが広がっていた。

旧三輪町では、まず仙道古墳を訪れた。古墳時代中期の6世紀につくられたとされる横穴式石室で、国の史跡指定を受けている。現在の姿は復元ではあるものの、こんもりした形の墳丘を囲むように佇む埴輪が雰囲気を作りあげていた。ただ、ほとんど同じ場所で年配者の方々がゲートボールを楽しんでいて、古墳のそばにも番号の書かれたポールが立っているのである。古墳時代の人々からすれば、1500年後に同じ場所で人類がゲートボールをしているなど、思いもしなかっただろう。

その後、大刀洗平和記念館へ。前回の旅でも訪れたけれど、感じるものは前回とは違うはずで、もう一度訪れた。大刀洗ではB29による空襲が7度もあったという。「多くの人が犠牲になった」の「多くの人」の中には、括ることのできないひとりひとりの人生がある。そのことを心のポケットから忘れてしまわないように。最後には15分間の映画も観た。B29による空襲、1発の爆弾で31人、子どもが亡くなった話だった。

旧三輪町へ。
仙道古墳。
耳納連山が横長に広がる。

甘木鉄道、太刀洗駅。

大刀洗平和記念館。
館内は零戦など、戦闘機のみ撮影が可能。これは震電の実物型模型。

旧甘木市(朝倉市)

次にやって来たのは、旧甘木市。秋月城跡に行きたくて、小石原川沿いを北上していった。秋月藩が誕生したのは今から400年前のこと。元和9年(1623)に、福岡藩の初代藩主、黒田長政の三男である、黒田長興(ながおき)を藩主とする秋月藩が誕生した。福岡藩の支藩だったはじまりから、のちに江戸幕府から直接の朱印状が交付され、独立藩として統治がおこなわれた。終わりは明治維新に至るまで、第12代に及ぶ長さである。

秋月城跡を中心とする城下町は、今もなお多くの人々に愛されている。古処山(こしょさん)の麓に位置し自然に囲まれた空気感と、細い水路や整備された石垣のまちなみが、心にじんわりとあたたかいものをもたらす。

どうしてこんなにも、いい雰囲気なのだろう。産業は? 地の利は? 繁栄の根っこがわからなかった。でも、調べていくと、初代藩主の黒田長興が、家臣に対して公平に接し、農民を労わり、信頼・敬愛された藩主であったことが見えてきて、それが根っこのような気がした。秋月藩の気風は、質実剛健かつ尚武だ。きっと、一時的な栄華や富、名声よりも大切なものが、秋月藩にはあったんじゃないかな。なんて思いを馳せる。「最後にこの神社に参拝しよう」と訪れた垂裕神社は、黒田長興が祭られていた。と、あとで知った。

秋月へ。

秋月城跡。素晴らしい雰囲気。

垂裕神社。

市街地へ戻って、甘木公園。
朝倉市役所。

旧朝倉町(朝倉市)

次にやってきたのは、旧朝倉町。朝倉支所前の信号機の下には「朝倉市役所朝倉支所入口」と書かれてあって、ちょびっとややこしい。朝倉市役所だけど、朝倉支所だ。周辺も昔ながらのまちなみが広がっていて、とびだし注意の少年の看板が立っていたり、洗濯物がビニールハウスの中に干されていたり、どこか懐かしかった。

三連水車と呼ばれる水車も見に行った。真っ直ぐ伸びる堀川用水のそばで、230年前から稼働し、現役の水車としては日本最古なのだ。すぐ南を東西に流れている筑後川はかつて洪水、旱魃、飢饉など天災をもたらす存在でもあり、新田開発のために用水路をつくったと。そして、用水路から高さが足りないところへ水を運ぶために、自動で水を汲み上げられる水車が二連、三連と増やす形でつくられたそうだ。

三連水車は風景に馴染んでいて、一瞬通り過ぎてしまいそうだったけれど、そうあるべきなのかもしれない。人々が生きるために考えた生活の知恵なのだから。

現在は朝倉支所。

奥には筑後川。
三連水車だ。

かっこいいなあ。

旧杷木町(朝倉市)

次にやってきたのは、旧杷木(はき)町。「香山昇龍大観音」と呼ばれる観音様のものへ、山道を登って訪れた。入り口で100円を支払い、蝋燭と線香を購入しての参拝。全高28m、立派な観音様の体には龍が昇り、左右の手にはそれぞれ何かを持っていた。

もう一箇所、原鶴温泉の温泉街へ。筑後川沿いに位置する温泉街で、豊富な湯量と高い効能の線質が特徴だそうだ。静かになってしまったのかなと思うエリアもあれば、大きな旅館の姿がまだまだ眩しいエリアもあった。日帰り入浴したいけれど、今日は時間がなくてまたの機会に。

山道の途中。奥はうきは市。
香山昇龍大観音。
岡本太郎の作品を、なんでも鑑定団でみてもらったそう。

山の上から筑後川。

原鶴温泉街へ。

とても渋かった。

現在は朝倉市杷木支所。

旧小石原村(東峰村)

筑前町、朝倉市と訪れたあと、ここからは山道を登り、東峰村へ。旧小石原村と、旧宝珠山村が合併している。

小石原(こいしわら)に向かう道中はざあざあと雨が降り、道中の看板には気温が「3度」と表示されていた。寒い、寒い。ただ、おかげで3度かつ雨だと体がどのように感じるのか、分析もできた。

そして、道の駅や伝統産業会館で、小石原焼の陶器をいろいろと見ることができた。道の駅で見たものはかわいらしさや侘び寂びのあるものが、ビビッドな色でなくとも、心にじんわり届く色合いで焼かれていた。欲しいものが冗談抜きでいっぱいあったし、値段も手頃だった。すごくいいなあ。

伝統産業会館で印象的だったのは、小石原焼を世に出した功労者が民藝の親、柳宗悦だと説明文で紹介されていたこと。さらに、棟方志功も小石原を訪れていたこと。棟方志功が彫りを入れた焼き物も展示されていて、とても心躍った。小石原焼はのちに世界中で評価され、人間国宝の陶芸家の方もいらっしゃって、やはり展示されている作品は息が詰まりそうなほど空間を支配していた。訪れることができてほんとうによかった。

小石原の道の駅へ。
陶の里館。館内も写真撮って大丈夫ですよと言ってくださった。
美しいなあ。
ウキウキする空間だった。

小石原庁舎。
雨が強い。

伝統産業会館へ。

棟方志功の彫り。

旧宝珠山村(東峰村)

最後にやってきたのは、旧宝珠山(ほうしゅやま)村だ。日田彦山線のBRT(バス高速輸送システム)の停車駅である宝珠山駅は、大分県日田市との県境まで数十メートルといったところにあって、大きな峠を越えて大分県に入るのだと思っていたら、道もなだらかで意外だった。

大肥川(おおひがわ)沿いのまちなみや田んぼの多くには石積みが見られて、静かなる美を感じる。石積みがなされている暮らしは日本で少なくはないだろうけれど、あらためて東峰村に来て、ほかの地域にはない魅力があるような気がするのだ。派手ではないけれど、規律があり丁寧で、込められた時間の長さというものが、迫力として内側から伝わってくるような。

最後に東峰村で唯一の蔵元である、片岡酒造さんにも訪れた。女将さんが親切に接してくださって、心があたたまった。店内には絵本も並んでいて、お店そのものもいい空間だなあと感じられたのだった。この土地に酒蔵があるって、いいなあ。

宝珠山駅。

まもなく大分県日田市。

石積みの風景が美しい。

片岡酒造さんへ。

宝珠山庁舎。

というわけで、今日の散策はここまで。筑前町から東峰村まで、無事に行って帰ってくることができてよかったです。じんわりと心の内側に届くあたたかさに触れて、それを大切にしたいなと思った1日でした。

本日のひとこと
陶芸家にとって、窯出しの瞬間が緊張するという描写を見て、暗室で写真が浮かび上がることと似ているような気がした。
 
(終わり。次回へ続きます)

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