今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【59/175】
訪れた旧市町村の数【528/2,093】 総計【587/2,268】スーパーカブの総走行距離
16040km
目次
秋田県最後の旅。鳥海山の自然が織りなす世界へ。(2023年9月27日(水)―174日目)
今日は秋田県最後の日だったけれど、今朝までずっと雨が降り続いていた。ようやく9時半頃になって止んで、それからの出発だ。明日も雨予報なので曇り空を想像していたら、思った以上に晴れてくれたのだった。なんだか、ありがたいなあと思っちゃった。
由利本荘市とにかほ市へ。大きな滝や高原地帯からの眺めは、鳥海山の自然の雄大さを感じた時間で。それでは振り返っていこう。
旧由利町(由利本荘市)
最初にやって来たのは、旧由利町の「鳥海山 木のおもちゃ館」。建物である旧鮎川小学校は、秋田県最大級の木造校舎で国登録有形文化財になっている。入館料を支払うと、リストバンドをつけてもらった。なんだかワクワクする。そして、木造校舎がカッコいいこと。和モダンかつ床の艶も美しい。何より、お掃除に地元のおばさんたちがたくさん来ていて、おばさんたちがまあ元気で明るい! おばさんたちが元気に掃除されている様子が、とてもあたたかく感じられたのだった。おもちゃもたのしそうで見たことないものがたくさんあって、ご家族連れの子どももとっても目がキラキラしていた。
旧矢島町(由利本荘市)
子吉川を上流に向かって進んでいくと、まちが見えてきた。次にやって来たのは、旧矢島町。龍源寺というお寺を訪れてみると、とても立派な茅葺き屋根に驚いた。誰が見ても、すごいと思う建物だろう。国登録有形文化財とあった。納得である。
まちを離れるとき、山の上に乗っている分厚い雲がせめぎ合っていた。これから晴れるか曇るか、と。真上の空は晴れている。
旧鳥海町(由利本荘市)
次に訪れたのは、旧鳥海町。秋田県と山形県の県境に大きく聳える鳥海山の名前そのものが、旧町名には存在していたのだなあ。途中、ガソリンスタンドで秋田美人のお姉さんが給油してくれたのだけれど、自分が行こうとしていた滝の名前を言うと、「知らない」って。「それよりも、法体の滝ですよ」と。リサーチ不足でちょっぴりマイナーな滝に行こうとしていたのだ。日本の滝100選にも選ばれている法体の滝へ。お姉さんのおかげで行くことができた。
旧仁賀保町(にかほ市)
次にやって来たのは旧仁賀保町。院内地域まで降りてくると、日本海沿いに集落の素晴らしい景色が広がっていた。高原地域とはまた別の世界だ。
「TDK歴史みらい館」にも訪れてみる。TDKの名前はよく聞くけれど、創業が秋田県の会社だとは知らなかった。日本で発明された磁性材料「フェライト」を事業化し、今では世界の約30ヶ国にグループ会社を持つ。その会社の歴史やこれからのテクノロジーを学ぶことができる施設だった。創業者である齋藤憲三の情熱にも触れながら。
旧金浦町(にかほ市)
旧金浦町では、「白瀬南極探検隊記念館」を訪れた。記念館の名前にもなっている人物は、白瀬矗(のぶ)。文久元年(1861年)の生まれだ。幼少期に江戸から明治へと時代が変わっている。軍人でもあり、日本初の南極探検家。11歳で極地探検を志し、軍人となってからも南極への探検を目指した人物だと知った。
1911年から1912年にかけて、実際に出発した南極への探検では、南極点に到達することはできなかったそうだ。白瀬の悲願だった日本人による南極点踏破は、それから56年後の村山雅美隊長たちによるチームまで、達成されなかったと。
極地探検では植村直己さんをはじめ、ぼくも知っている方々がいるけれど、1900年代前半に、南極に向かって冒険をしたことがある日本人がいたとはまるで知らなかった。
旧象潟町(にかほ市)
最後に訪れたのは、旧象潟(きさかた)町だ。最初に「奈曽の白滝」を訪れる。滝と同じ場所には金峯神社が建っていて、境内の中を進んで滝を目指した。実はもう、日没が近づいていて、しかも滝まで遠いものだから、森の中は徐々に暗くなってきて、すごく怖かった。階段も上り下りが多くて、汗だくになりながら、滝を見てなんとか戻ってくることができたのだった。
そのあと、「元滝伏流水」に行くかもすごく迷った。時間的には紙一重だ。タイムリミットを決めて、急ぎ足で駐車場から元滝伏流水まで向かう。どんどん薄暗くなっていくのに、森の中へ入っていくことほど怖いことはない。しかも森は苔が一面に覆われ、流れる小川にうっすら霧が浮かび、薄暗さも実に神秘的だ。
「怖い、神秘的、怖い、神秘的……」を繰り返しながら、ひとり帰っていくカメラマンとすれ違って、少しだけ安心する気持ちと、早く現地まで行って、カメラマンに追いつきたい気持ちで、さらに急ぐ。元滝伏流水にようやくたどり着くと、小さな滝が横長に広がり、音が聞こえるのに何も音がしないような、サラサラとした自然の神秘が溢れていた。うわあ、なんて素晴らしい景色だ。急いで写真を撮って、急いで帰った。帰り道、一度でも迷ったら真っ暗になるぞと肝に銘じながら、駐車場に着いたときの安心感たるや。そのまま象潟のまちへ降りていったけれど、15分遅かったら、森はほんとに真っ暗だった。とにかくよかった…。
これで無事に、秋田県の旅が終えることができたのだった。最後の最後、生きた心地がしなかったけれど、それが生きているということでもある。
今日の散策はここまで。あらためて、秋田県の旧市町村をすべて訪れることができた。
今まで見てきた秋田の景色とは比にならないぐらい、新しい場所を知ることができた感覚だ。もちろん、地元の方はそれを当たり前のように知っているし、ぼくもそうは言っておきながら、知らないことの方が圧倒的に多い。でも、このタイミングで、自分が直接触れたものがこの秋田の世界で、ほんとうによかったと思う。
明日からはいくつか仕事が重複しているので、10/8前後まで旅はストップする形だ。再開してからもコツコツ進むことができるように、最善の準備をしたい。
役場の支所にお手洗いをお借りできないかと入ったら、働いている方々全員から「誰だお前は」の視線を浴びて、肩幅が30cmぐらい狭くなった。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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旅についての心境を、週に一度日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。
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旧市町村で気になったまちのことについて、月に一度まとめています。本文は『戸籍時報』でも連載中です。
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