ふるさとの手帖

市町村一周の旅

太平洋に別れを告げて、伊能忠敬ゆかりの地へ。【旧市町村一周の旅(千葉県・44日目)】

太平洋に別れを告げて、伊能忠敬ゆかりの地へ。【旧市町村一周の旅(千葉県・44日目)】
旭市→旧飯岡町→旧海上町→旧干潟町→旧山田町→旧栗源町→旧小見川町→旧佐原市、の8つ。
2023.05.20

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【44/175】

44/175
25.14%
訪れた旧市町村の数【168/2,091】
168/2091
8.03%
総計【212/2,266】
212/2266
9.36%

スーパーカブの総走行距離
4273km

2023年5月20日(土)(日本一周44日目)

千葉県旭市

昨日はお昼に散策が終わって、旭市の民宿に泊まった。九十九里浜の目の前にある民宿で、絶えず波の音が聞こえる。値段が高すぎる民宿には泊まれないけれど、訪れるときのワクワクが好きで、最近は民宿の魅力に引き込まれつつある。

昨日のお昼ご飯。えんどうさん。
ミニ天丼セット。お腹いっぱいになった。
民宿へ。屋根付きの駐車場があったので助かった。
磯なぎ荘さん。

ご主人がとても明るい快活な方だった。

布団でゆっくり寝られる幸せ。
15時にチェックインして、16時前には轟々と雨が降り始めた。

ぼくとカブ号は雨に濡れずに済んだので、とても運が良かったのだった。この日は素泊まりにしてしまったけれど、食事付きでも良かったなあ。お金が潤沢にあるわけではないので、素泊まり、素泊まり、食事付き、ぐらいのリズムでどうだろうか。

翌朝。ありがとうございました。

さて。雨は朝の6時ごろに上がり、朝7時に出発した。カブ号は雨に濡れなかったけれど、ハンドルやミラーは潮でベタベタしていた。さすが太平洋の海だ。風もビュンビュン鳴ってたからね。

旭市役所へ。立派な庁舎。
道の駅季楽里あさひ。
旭駅も。

商店街といえば銀座。

文字も渋いなあ。

まずは市街地を巡り、ここから旧町へ。

旧飯岡町(旭市)

海上郡飯岡町
2005.07.01旭市、干潟町、海上町と合併。

と、旭市のエリアの散策を終えて、次に旧飯岡町へ向かった。いいおかみなと公園と、刑部岬へ。

防波堤のデザイン。
ちばてつやさんが育った町。

あしたのジョー、まだ読めてないんだよなあ。そして、ちばさんの最新作「ひねもすのたり日記」をまた読みたくなる。今も新しい号が出ているって、ほんとうにすごいことだ。あと、弟のちばあきおさん作の「キャプテン」と「プレイボール」は、小学生ぐらいのときに破れるほど読んだ。家に、マンガがそれしかなかったのものあるけれど、人格形成にも、多少は関わっているんじゃないかな。

飯岡と津波被災の碑。

この地にも東日本大震災で2.1mの津波が襲来して、13人が命を落とした(行方不明者はさらに2人)ことを、自分は知らなかった。

刑部岬に上がった。

うっすら霞んだまちなみ。

広大な九十九里浜を北上して、ようやく現れた岬であった。

旧海上町(旭市)

海上郡海上町
2005.07.01旭市、干潟町、飯岡町と合併。

次は旧海上町へ向かう。まず、海上郡は「かいじょうぐん」と読み、海上町は「うなかみまち」と読む。面白い名前だ。三井住友海上海上店、とか、調べたらなかったけど、三井住友海上の海上さん、はいるかもしれないと思った。

旭市の海上庁舎へ。


野球の試合中。
まちはとても静か。

真言宗智山派 仙瀧山 龍福寺へ。

龍福寺というお寺にやって来た。

しっとりした空気に合っている。

お金。
古刹だ。

ろうそくなめくじ。

旧海上町そのものは海に面していない。不思議なまちだった。

旧干潟町(旭市)

香取郡干潟町
2005.07.01旭市、飯岡町、海上町と合併。

さらに、不思議な名前が続く。次は旧干潟町(ひかたまち)へ。江戸時代に開拓されて、この辺りは干潟八万石と呼ばれたそうだ。ぼくたちは今、自分たちで土地を開拓するという行為がほとんどない――あったとしても、多くは工事の方々による――けれど、当時は自分のような人間が、開拓をしていたのかなあと思うと、土地に込める思いは一入に感じられる。

地元のスーパーがあった。ダッツノ。
店内に入ってみたら、歌謡曲が流れていた。
萬歳地域。珍しい地名だ。

でも、岡山県にも萬歳という地名はあるらしい。

大きな運動場も。
ひかた市民センター。

大きな葉っぱが落ちていた。

旧山田町(香取市)

香取郡山田町
2006.03.27小見川町、佐原市、栗源町と合併。

ここからは、香取市へ。合わせて4つの市が2006年に合併した。最初にやって来たのは旧山田町。「府馬の大クス」と呼ばれる大木を見に行った。

旧山田町へ。

府馬の大クス。幹が太い。そして、ほんとうはクスではなく、タブノキらしい。

最初にクスノキと言ってしまったから、そのまま大クスになったと。もう一組、おばさま方が見学に来ていて、とても盛り上がっていた。木を見て盛り上がれるって、とってもいいよね。

木がひとつの森のようだった。
展望台からは田園を見ることができた。
左手が大クス。
次は橘ふれあい公園へ。

木々に囲まれながらも、ひらけた公園だ。 公園に食事処が併設されていて、昼食にするかひと通り迷った結果、今日はまだ進むべきだとそのまま行くことにした。

旧栗源町(香取市)

香取郡栗源町
2006.03.27小見川町、佐原市、山田町と合併。

次は旧栗源(くりもと)町へ。道の駅は香取市の中でもかなり内陸に位置している。

道の駅 くりもと紅小町の郷へ。
お昼時だったので、賑わっていた。
紅小町が有名だそうだ。

こうして大きな道の駅があると、土地の名前が残っていくよなあと思う。

小さな営業中の小屋。肩腰三千円。気になる。…入らなかったけれど。
ふれあいの里公園へ。栗源の市街地に近づいた。

千葉県を感じる。

やっぱり、チーバくんの存在感は絶大だ。普通のお店にもひょっこりいるのだから。

旧小見川町(香取市)

香取郡小見川町
2006.03.27佐原市、栗源町、山田町と合併。

次は旧小見川町へ。小見川駅と、小見川城山公園に向かう。

小見川駅。

普通の景色だけれど、好き。
黒部川が流れる。

地理的に利根川も近い。水が身近に感じられる。

小見山城山公園へ。この○×バトル、超強い人いるよね。
城跡の気配を感じて歩く。

紫陽花も青く色づき始めていて、季節が進んでいることをこういうときに感じるのだった。

小見川のまちなみ。

旧佐原市(香取市)

2006.03.27小見川町、栗源町、山田町と合併。

そして、今日の最後は旧佐原市だ。前回の旅では香取神宮を訪れた。だから、佐原の中心部の方は、通過してしまっていた。あと、香取なのか佐原なのか、近くには佐倉もあるし、地名が混同していたけれど、ようやく区別がついた。香取市の中に佐原があること。かつては「佐原市」だったこと。今日はあらためて香取神宮を訪れて、水郷佐原あやめパークと、佐原のまちなみを巡った。佐原のまちなみの中にある、伊能忠敬記念館にも。

香取神宮へ。

お腹がとても空いていたので、お昼にしようかと思ったけれど、海鮮丼やお蕎麦がちょっと高くて(2000円近かったので)やめた。こういうとき、空腹よりも倹約が勝つらしい。

本殿へ向かう。

装飾も見事。
何より、檜皮葺の屋根が素晴らしい。

茅の輪。

茅の輪は、くぐると周りの人も「くぐらないといけないのか…」みたいな空気になるし、人が多いと「あの人くぐってる…」と恥ずかしさも味わうことになるが、ぼくはほぼ毎回、くぐる。左、右、左と3回。なんとなく、くぐった方がいいことあるかなって。

わあ、お洒落だ。
草団子をいただいた。あんこがすっごく優しかった。
紫芋のコロッケも気になった。

中身の素材はほとんど芋だ。芋だけの自然な甘味があった。

…結局、食べてしまっているじゃないか。

次は水郷佐原あやめパークへ。

あやめの見頃は来週以降かららしいけれど、雰囲気を感じよう。

いろんな種類が並ぶ。

江戸系とか、肥後系とか、札に小さく書かれてあって、面白い。

風が強く波立っている。

USA系もあって、笑ってしまった。
薔薇の花びら。日本中で今ごろ、薔薇が咲いている。

ちなみに水郷佐原あやめパークは、利根川を渡り、佐原の中心街から10kmほど離れている。さらに、茨城県の潮来市にも「水郷潮来あやめ園」がある。だから、混同していたけれど、それぞれ別の場所に、スポットがあるというわけだ。

水がすぐそばにある暮らし。

下流だからこその景色だ。海外みたいですごい。

小川も、北海道の湿地のようだ。

植物と川がそのまま境界線を成している。なかなかこの景色は、日本にないはずである。

最後に、佐原のまちなみへ。

先に宿にチェックインして、バイクを置いて佐原のまちなみへ。伊能忠敬記念館に行きたいのだが、16時半に閉まってしまう。今は15時50分、急げ!

伊能忠敬記念館。
ギリギリ間に合った。
第2資料室だけ撮影可能だった。「大方星図」天測の様子。孫の伊能忠海が作ったもの。国宝。
詳細な地名が書かれた大きな地図。でも、中ぐらいの縮尺だそう。国宝。
とかく、すごかった。

伊能忠敬が日本地図づくり行脚の旅を、高齢になってから成し遂げたことは知っていた。全然知らなかったのは、結婚して伊能家に養子に入り、長くは家と村の繁栄に尽くしたこと。それから50歳になって江戸に移り住んで、天文学者だった高橋景保(かげやす)に弟子入りするのだが、伊能忠敬よりも19歳年下であったそうだ。そして、結果的に日本地図を歩いて測量してつくる運命になったわけだが、やり遂げる情熱、すごい。生で地図を見ると、そこに込められた時間がドシドシと伝わってきて、くらってしまった。卑下するわけではなくて、ぼくはまだまだここからだ。この旅で、誰かの役に立てるのかとか、どうしてこの旅をしているのかは、考えがコロコロ変わるので、あまり役に立たない。それでも、とにかく、「進まねば!」とだけは、強く思ったのだった。

夕食は佐原駅前の定食屋さんで。

地元のお母さん方が明るく営んでいらっしゃった。
とってもリーズナブルなのだ。
鯖の味噌煮を食べた。幸せ。

宿はホテルコエドさん。
館内が洒落ている。

別冊太陽があったので、読んだ。今日の復習。

人によって、毎日のように電話をするのが好きな人もいるけれど、ぼくはLINEもあまりしないし、電話もほとんどしない。だから、一人旅をしていると、だいたいひとりで考えごとというか、つれづれなるままに考えざるを得なくなる。まあ、そのせいで「何を考えているのかわからない」ともたまに言われてしまうわけだが。それでも、明るく強くコツコツと、旅を進めていこうと、最後に伊能忠敬記念館にも寄れたことで、今日は爽やかな気持ちだ。伊能先生、見ておいてください。

本日のひとこと
民宿に大きな時計があって、1時間ごとにゴーン、ゴーンと鳴るのだが、起きていた間は「何かが起きた!?」と毎回、気を張ってしまった。

(次回へ続く)


<旅を応援してくださる方々へ&関連ページ>

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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。

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二見書房編集部noteにて、「旧市町村日誌」も更新中です。

旅についての心境を、日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。

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