今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【44/175】
訪れた旧市町村の数【168/2,091】 総計【212/2,266】スーパーカブの総走行距離
4273km
2023年5月20日(土)(日本一周44日目)
千葉県旭市
昨日はお昼に散策が終わって、旭市の民宿に泊まった。九十九里浜の目の前にある民宿で、絶えず波の音が聞こえる。値段が高すぎる民宿には泊まれないけれど、訪れるときのワクワクが好きで、最近は民宿の魅力に引き込まれつつある。
ご主人がとても明るい快活な方だった。
ぼくとカブ号は雨に濡れずに済んだので、とても運が良かったのだった。この日は素泊まりにしてしまったけれど、食事付きでも良かったなあ。お金が潤沢にあるわけではないので、素泊まり、素泊まり、食事付き、ぐらいのリズムでどうだろうか。
さて。雨は朝の6時ごろに上がり、朝7時に出発した。カブ号は雨に濡れなかったけれど、ハンドルやミラーは潮でベタベタしていた。さすが太平洋の海だ。風もビュンビュン鳴ってたからね。
まずは市街地を巡り、ここから旧町へ。
旧飯岡町(旭市)
2005.07.01旭市、干潟町、海上町と合併。
と、旭市のエリアの散策を終えて、次に旧飯岡町へ向かった。いいおかみなと公園と、刑部岬へ。
あしたのジョー、まだ読めてないんだよなあ。そして、ちばさんの最新作「ひねもすのたり日記」をまた読みたくなる。今も新しい号が出ているって、ほんとうにすごいことだ。あと、弟のちばあきおさん作の「キャプテン」と「プレイボール」は、小学生ぐらいのときに破れるほど読んだ。家に、マンガがそれしかなかったのものあるけれど、人格形成にも、多少は関わっているんじゃないかな。
この地にも東日本大震災で2.1mの津波が襲来して、13人が命を落とした(行方不明者はさらに2人)ことを、自分は知らなかった。
旧海上町(旭市)
2005.07.01旭市、干潟町、飯岡町と合併。
次は旧海上町へ向かう。まず、海上郡は「かいじょうぐん」と読み、海上町は「うなかみまち」と読む。面白い名前だ。三井住友海上海上店、とか、調べたらなかったけど、三井住友海上の海上さん、はいるかもしれないと思った。
龍福寺というお寺にやって来た。
旧海上町そのものは海に面していない。不思議なまちだった。
旧干潟町(旭市)
2005.07.01旭市、飯岡町、海上町と合併。
さらに、不思議な名前が続く。次は旧干潟町(ひかたまち)へ。江戸時代に開拓されて、この辺りは干潟八万石と呼ばれたそうだ。ぼくたちは今、自分たちで土地を開拓するという行為がほとんどない――あったとしても、多くは工事の方々による――けれど、当時は自分のような人間が、開拓をしていたのかなあと思うと、土地に込める思いは一入に感じられる。
でも、岡山県にも萬歳という地名はあるらしい。
旧山田町(香取市)
2006.03.27小見川町、佐原市、栗源町と合併。
ここからは、香取市へ。合わせて4つの市が2006年に合併した。最初にやって来たのは旧山田町。「府馬の大クス」と呼ばれる大木を見に行った。
最初にクスノキと言ってしまったから、そのまま大クスになったと。もう一組、おばさま方が見学に来ていて、とても盛り上がっていた。木を見て盛り上がれるって、とってもいいよね。
木々に囲まれながらも、ひらけた公園だ。 公園に食事処が併設されていて、昼食にするかひと通り迷った結果、今日はまだ進むべきだとそのまま行くことにした。
旧栗源町(香取市)
2006.03.27小見川町、佐原市、山田町と合併。
次は旧栗源(くりもと)町へ。道の駅は香取市の中でもかなり内陸に位置している。
こうして大きな道の駅があると、土地の名前が残っていくよなあと思う。
やっぱり、チーバくんの存在感は絶大だ。普通のお店にもひょっこりいるのだから。
旧小見川町(香取市)
2006.03.27佐原市、栗源町、山田町と合併。
次は旧小見川町へ。小見川駅と、小見川城山公園に向かう。
地理的に利根川も近い。水が身近に感じられる。
紫陽花も青く色づき始めていて、季節が進んでいることをこういうときに感じるのだった。
旧佐原市(香取市)
そして、今日の最後は旧佐原市だ。前回の旅では香取神宮を訪れた。だから、佐原の中心部の方は、通過してしまっていた。あと、香取なのか佐原なのか、近くには佐倉もあるし、地名が混同していたけれど、ようやく区別がついた。香取市の中に佐原があること。かつては「佐原市」だったこと。今日はあらためて香取神宮を訪れて、水郷佐原あやめパークと、佐原のまちなみを巡った。佐原のまちなみの中にある、伊能忠敬記念館にも。
お腹がとても空いていたので、お昼にしようかと思ったけれど、海鮮丼やお蕎麦がちょっと高くて(2000円近かったので)やめた。こういうとき、空腹よりも倹約が勝つらしい。
茅の輪は、くぐると周りの人も「くぐらないといけないのか…」みたいな空気になるし、人が多いと「あの人くぐってる…」と恥ずかしさも味わうことになるが、ぼくはほぼ毎回、くぐる。左、右、左と3回。なんとなく、くぐった方がいいことあるかなって。
…結局、食べてしまっているじゃないか。
あやめの見頃は来週以降かららしいけれど、雰囲気を感じよう。
江戸系とか、肥後系とか、札に小さく書かれてあって、面白い。
ちなみに水郷佐原あやめパークは、利根川を渡り、佐原の中心街から10kmほど離れている。さらに、茨城県の潮来市にも「水郷潮来あやめ園」がある。だから、混同していたけれど、それぞれ別の場所に、スポットがあるというわけだ。
下流だからこその景色だ。海外みたいですごい。
植物と川がそのまま境界線を成している。なかなかこの景色は、日本にないはずである。
先に宿にチェックインして、バイクを置いて佐原のまちなみへ。伊能忠敬記念館に行きたいのだが、16時半に閉まってしまう。今は15時50分、急げ!
伊能忠敬が日本地図づくり行脚の旅を、高齢になってから成し遂げたことは知っていた。全然知らなかったのは、結婚して伊能家に養子に入り、長くは家と村の繁栄に尽くしたこと。それから50歳になって江戸に移り住んで、天文学者だった高橋景保(かげやす)に弟子入りするのだが、伊能忠敬よりも19歳年下であったそうだ。そして、結果的に日本地図を歩いて測量してつくる運命になったわけだが、やり遂げる情熱、すごい。生で地図を見ると、そこに込められた時間がドシドシと伝わってきて、くらってしまった。卑下するわけではなくて、ぼくはまだまだここからだ。この旅で、誰かの役に立てるのかとか、どうしてこの旅をしているのかは、考えがコロコロ変わるので、あまり役に立たない。それでも、とにかく、「進まねば!」とだけは、強く思ったのだった。
人によって、毎日のように電話をするのが好きな人もいるけれど、ぼくはLINEもあまりしないし、電話もほとんどしない。だから、一人旅をしていると、だいたいひとりで考えごとというか、つれづれなるままに考えざるを得なくなる。まあ、そのせいで「何を考えているのかわからない」ともたまに言われてしまうわけだが。それでも、明るく強くコツコツと、旅を進めていこうと、最後に伊能忠敬記念館にも寄れたことで、今日は爽やかな気持ちだ。伊能先生、見ておいてください。
民宿に大きな時計があって、1時間ごとにゴーン、ゴーンと鳴るのだが、起きていた間は「何かが起きた!?」と毎回、気を張ってしまった。
(次回へ続く)
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
旅についての心境を、日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。
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