ふるさとの手帖

日本市町村一周の旅をしたり。

団地と台地と。—高島平・成増周辺—【23区駅一周|2021年10月5日】

団地と台地と。—高島平・成増周辺—【23区駅一周|2021年10月5日】

旅メーター 
訪れた23区内の駅の数 【19/490】

19/490
3.88%

左上の板橋区。
西高島平→成増→地下鉄成増→地下鉄赤塚→下赤塚→新高島平→高島平

団地と台地と。—高島平・成増周辺|板橋区—

東京であれ、遠い場所には惹かれてしまう。

「この電車に乗ったらどこまで行くのだろう」という幼少期の夢も、いまなら叶う。行ってみよう、想像もつかない町へ。都営三田線の終点、西高島平駅を目指した。

西高島平駅
西高島平駅へ。
朝の空気。

住宅街へ進む。

西高島平は板橋区と埼玉県の県境にある。駅から5分も歩けば埼玉県和光市で、県をまたいで通勤する人もいるだろう。朝から西高島平駅で下車する人はほとんどいなかった。反対に、通勤や通学の人たちはみるみるうちに駅に吸い込まれていく。都営三田線は池袋や神保町、大手町を通るから、便利な路線のはずだ。

朝の空気が人々をやさしく照らす。太い道路の向こう側に見える住宅街は、見たことのない町の雰囲気だ。「ああ、この景色は、日本のどの市町村でも見たことがないなあ」と素直に思った。この感じはなんだろう。歩けば分かるかもしれない、と歩いていく。

朝の公園。

成増駅
成増に入ると、坂が増えていく。

太い道路の向こうが、西高島平方面。

森のような木々が見えて、歴史にまつわる何かがあるかもしれないと、交通当番のおばさんに「あそこの森に何かありますか?」と聞いた。おばさんは「ただの木の集まりじゃないの?」と言うので、「またまたあ」と内心思いながら半信半疑で行ってみると、ほんとにただの雑木林だった。しかし、気づけば立っている場所は、西高島平の平らな土地ではなく、ずいぶん小高い坂を登っていたことに気づく。住所も成増に変わっていた。武蔵野台地に違いないと思った。

全く違う町の雰囲気。

赤塚氷川神社。
長い並木。


成増の住宅街から、そのまま成増駅へ進んでいく。途中、ただならぬ木々の雰囲気を感じて近づくと、赤塚氷川神社という神社に出会った。参道の並木が立派に残っている。区画整理によって周辺は宅地化されたものの、並木は守られたらしい。ほんとうに素晴らしい。残っているか、残っていないかで、町の重みが全然違う気がした。

成増駅近くへ。

成増駅。

地下鉄成増駅
成増駅から、地下鉄成増駅へ。
華やかだった。

成増駅に着くと、その起伏に富んだ地形に驚いた。まるで九州の温泉街のようだ。「成増は温泉の街です」と言われたら信じると思う。すぐ近くの地下鉄成増駅まで歩き、今度は線路に沿って、下赤塚駅、地下鉄赤塚駅方面へ進む。下赤塚駅の通りでは“本日ダンスパーティー”と札のかかったお店を見つけた。眺めていると、赤い服を召したご婦人に「どうかされましたか?」と聞かれて、「ダンスパーティーって、素敵な札だと思って…」と正直に話すと、「そうでしょう、うふふ」とそのまま自転車に乗って姿を消した。お店のママだった。

地下鉄成増駅。

赤塚方面へ進む。
地下鉄赤塚駅

地下鉄赤塚駅。

広い住宅街もあった。

下赤塚駅

下赤塚駅。
地下鉄赤塚駅と距離は近いけれど、こちらの方が雰囲気は古い。

いい雰囲気です。
本日ダンスパーティー。

赤塚からは、もう一度高島平へ戻っていく。つまり、もう一度坂を登り降りして、平らな土地を目指す。赤塚の住宅街は鎌倉の山側を歩くような感じだろうか。高低差がすごかった。道中、板橋区立の郷土資料館を見つけて入ってみると、板橋区の地形がよく分かった。高島平側は荒川の低地でかつての穀倉地帯、成増側は武蔵野台地で、20〜30mほどの高低差があるようだった。

ピッタンコ。
坂の高低差がすごい。
セブンイレブンの色が、ダークブラウン。

溜池公園の穏やかさ。

板橋区立郷土資料館へ。
緑が平地(高島平)。黄色が台地(成増・赤塚)。
荒川の渡し舟。

その後は赤塚公園へ向かいながら、新高島平駅を目指していく。

途中、珍しく竹林を見つけた。
もうすぐ高島平。それでもやはり高低差がある。
新高島平駅
ようやく降りて、赤塚公園へ。
幹線道路の雰囲気が、広島や名古屋を思い出す。
都立赤塚公園、広い!
シュッ、パァン!

赤塚公園を抜けたら、高島平の団地群に入っていく。

消防団の車が何台もあると、団地だなあと思う。
規模の大きさに圧倒される。
本当に迫力がすごい。びっくりした。
木々のお世話をするお母さん。
こちらは甘柿。
何の実だろう…。
ザクロだ!

新高島平駅に向かう途中、それはもう立派な団地群が広がっていた。ナンジャコリャと言いたくなるような。右も、左も、すべて団地。当初感じていた、見たことのない景色とは、このことだと思った。規模の桁が違う。この世界はもう…まるで社会だ。ひとつの…国だ。社会とは、国とは、こうである、と語るような大きさだ。「東洋一のマンモス団地」と呼ばれていたと知って、心底納得した。

団地を通っていると、庭で一人のお母さんが木々の手入れをしていた。思わず気になって、「なんの実ですか?」と尋ねてみると、

「これはね、ザクロの実よ。見たことない?」

お母さんは普段から団地の木々をお手入れしていて、ちょうどザクロを採っていたらしい。

「ちょうどよかったわ。お兄さん、高いところ採ってくれる?」

と、はじめてザクロを採った。いつのまにか、お母さんと仲良くなった。ザクロを2つと、甘柿を5つをもらった。

「昔はね、ここに3万人住んでたの。長野県の上田市と同じくらい。いまは高齢者ばかりになってねえ。小学校も閉校したり、寂しいわ」

ここに3万人…3万人の暮らしが、ほとんど同じ場所にある…やはり想像しても、圧倒されるばかりである。「ご出身は東京ですか?」と聞いてみると、

「わたしの生まれは、北京なの」と言った。

「戦後日本に帰って来て、高校を卒業するまでの13年は、山形の酒田に住んでたわ。海岸線の夕日が、すっごく綺麗だったの。もう、ずっと毎日眺めてた。オレンジみたいなじゅうたんに見えて、そのまま歩いていけるんじゃないかって」

お話をしてくれたときの、懐かしそうで幸せそうなお母さんの表情と声の高さが、まだ脳裏に残っている。

「いい人生だったの」という最後の言葉に、全てが詰まっていた。すてきな出会いだった。

お別れをして、新高島平駅、高島平駅の周辺を歩いて、1日を終えた。

お母さん、素敵なご縁をありがとうございました。
それにしてもすごい広さの団地だった。
朝と同じ道に戻って来た。

新高島平駅。

高島平駅
高島平駅。

お隣の団地群。こっちも本当にすごく広い。
写真で見るより圧倒される。

商店の通りもあった。
荒川を目指して歩く。

荒川の土手から。
荒川に着いた。

せっかくなので、荒川まで歩いてみた。今日は穏やかだなあ。

そして駅に戻って、終わり。

駅の終電はどんな町なのだろう、と思っていたけれど、ほんとうに何も知らない大きな町だった。でも、歩いていくと、もちろん景色に驚くことはあれど、暮らしは同じだと気づかされた。高校生は自転車に乗り、おじいさんはため池で釣り糸を垂らし、おかあさんは買い物をする。ぼくらはひとりひとり、暮らしをしているのであって、それが普段は、想像もつかない規模で行われている。高島平の団地群は、それをほんの少しだけ圧縮して、広いながらも、肉眼で教えてくれるようだった。東京も、ほんとうに広いなあ。

(今日は終わりです。読んでいただき、ありがとうございました!)

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