3月に入って、昨今の社会情勢から予定が変わることは多々あるけれど、それは僕らが生きている証でもありますから、特にどう、ってことはありません。
さて、3月6日から8日にかけて、島根県隠岐諸島へ行ってきました。旅で訪れてから、1年半ぶりに。
ほんの少し、時間軸がずれますが、6日の前日は鳥取県伯耆町で旅の時に大変お世話になったおうちに、1泊させていただきました。
以前お世話になった時も隠岐諸島を巡っている道中でしたが、今回は旅を終えて、初めてご挨拶できたのでその嬉しさと「旅でもないのに、図々しい。」と、反省の気持ちと。それでもご家族の皆さんがとっても親切にしてくださって、ご家族の温かい心に触れたかったんだなぁと。やっぱり図々しいですよね。
隠岐に来れた理由、それは、「クラウドファンディングの御礼」です。旅のクラウドファンディングにご支援してくださった方が、隠岐諸島と繋がりのある方で、島での出来事を撮影させていただくお話を頂戴し。
支援してくださった時はお会いしたこともなく、最近になってご挨拶させていただいたという流れで、それがどれだけありがたいかということと、そのご縁で再び隠岐へやって来れたことがどれだけありがたいかということを、上陸してすぐ、鼻を通った磯の香りが教えてくれたのでした。
今回は隠岐での五感溢れる暮らしを通じて、新たなデザインを創り出そう。と、島に魅力を感じた第六感を持つ若い学生世代が集っていて、その様子を撮影させていただきました。
道中で出会う人と会話をすることは、あたりまえ。車ですれ違う時に挨拶をすることも、もちろんあたりまえ。
お隣の中ノ島「海士町」より来ていただいたデザイナーの方によるお話。僕は写真を撮っていたけれど、話の内容はあまりにプロフェッショナルだ。
グラレコは、その場で行われた話をイラストや文字を含んだ一枚の絵でまとめること。場の雰囲気そのものを閉じ込めちゃうし、視覚的でとっても分かりやすい。僕は初めてだったから、とても感動した。
そして言わずもがな、夜は長いのです。
隠岐諸島は「島前」と「島後」の2つに分かれています。「島前」は「知夫村」と「海士町」と「西ノ島町」の3つからなり、内航船と呼ばれる船が3つの島を結んでいる。「島後」は隠岐の島町が大きく1つ、どどーんと。
潮のしぶきを浴びても、笑い飛ばそう。
海士町に向かう途中、西ノ島の港。
そして西ノ島から海士町へ到着。
風に靡くカラーテープ、船の汽笛、お別れの声、ありがとうの言葉、最後まで振り続ける手、きっと一つ一つが色褪せることは、ない。
そこには隠岐の、島の、「温かな心」がある。
建物の中で参加者のみんなは「クレイ」と呼ばれる足湯で体と心を癒します。
体験ではそれぞれ色や効用の異なる「クレイ」を用いて足湯に浸かります。終わった後、全員気持ちよくて幸せそうでした。体も心もすっかり軽くなったようです。
隠岐には神社が多い。ずっと続く、隠岐の歴史でもある。
僕だけお賽銭を、賽銭箱から外してしまった。大変な失態、神様、どうかお許しください。
夜、これまた楽しく長い夜でした。僕はしっかりと島の方々にいじられたので、お賽銭を外した罰なのかな…。それでもとっても楽しかったです。是非海士町へ来たら「お泊まり処 なかむら」さんへ。
ちなみに3日目の朝、プログラムが始まる前に、前回の旅でお世話になった大学の先輩のお家に突撃ピンポンをしました。知夫里島で学校の先生をしていらっしゃいます。
前回、僕が島前の3つの島を巡ることができたのは先輩のおかげです。島を巡るには車が必要ですし、3つの島を巡るって、簡単ではなく、だから本当にありがたくて。
少しのお時間でしたが、お話できてとても嬉しかったです。もちろん、イケメンでした。本当に貴重なご縁をありがとうございます。
そしてまた、自分の課題に向き合う。
僕はその途中で、みんなより早く本土に戻らせていただきました。
旅の途中、船の出港でカラーテープを見る場面はいくつかあったけれど、自分に向けてしてくれるのは初めてで、僕は写真を撮る立場なのに、みんなとっても優しくて。
僕にとって、この2泊3日が色褪せることは、いつまでもないのでしょう。
素敵な時間を、本当にありがとうございました。みんなもいいデザインが、きっと出来たのかな。
島で暮らすこと。都会に比べると「ない」ものが多いかもしれませんが、ここには大切な心が数え切れないほど「ある」気がしてなりません。
LEAVE A REPLY