ふるさとの手帖

市町村一周の旅

ー新上五島町編ー小さな島々に残り続ける日々よ。【市町村一周の旅】

こんにちは、かつおです。先週末から月曜日まで、フェリーに乗って長崎県五島列島へ行って来ました。

五島列島とは九州の最西端、長崎港から西に100kmに位置し、大小あわせて140あまりの島々が連なる列島です。

(nippon.comさまより引用)

 

昨年に五島列島へ来た際は、福江島という五島の中でも最も大きな島へ行きました。福江島は五島市に位置するため、まだ行っていない新上五島町と、小値賀町。今回はこれらの2つのまちへ向かったということです。

そして今回の記録は新上五島町について。

新上五島町は五島列島の北部、7つの有人島と60の無人島から構成されています。新上五島町で最も大きな中通島を中心に、船に乗せてきた原付で島を巡りました。


博多から夜行フェリーに乗って。

九州本土から新上五島町・中通島へ行く手段はいくつかあります。長崎・佐世保港からの高速船、フェリー。そして博多港からの夜行フェリー。僕の場合は原付を一緒に船に乗せるため高速船には乗れず、必然的にフェリーが選択肢となりますが、前日に滞在していた福岡・佐賀県からは博多港の方が近いため、夜行フェリーで向かうことにしました。

懐かしい博多港。

 

博多港を利用するのは2回目です。今年5月、壱岐島と対馬へ行った際にも同じターミナルを利用しました。

船を待つ。
フェリー太古での船旅。

 

博多ー五島間を結ぶフェリーの名前は「太古」。新造船で大変綺麗な船です。

いざ乗船。


定刻通り、23時45分に博多港を出港。宇久島、小値賀島を経由しながら中通島の青方港へ着くのは6時間後の朝5時40分。

深夜の船旅もいい。

 

船内はシャワーもあり、2等船室で雑魚寝もできる、そして次の日の朝には着く、僕にとってみれば大変ありがたい乗り物です。日付を超えると明かりも消え、波に揺られながら眠りにつきます。


中通島へ到着。

青方港へ到着。

 

中通島、青方港へ定刻通り到着しました。外はまだ真っ暗で、雲の切れ間からは星が顔を覗かせています。時間に余裕があったので島の南側、朝日が少しでも見れそうな高井旅海水浴場へ向かいました。

高井旅海水浴場。朝の光が差し込んできました。

 

到着した頃にはちょうど空も明るく。

雲が低く朝日は拝めませんでしたが、離島で迎える朝は格別です。

集落は海と近い。
大小様々な山。

 

入り組んだ場所も多く、一瞬瀬戸内海と勘違いしてしまうような山と海の景色も見られます。

カトリック桐教会。

 

日曜日ということで教会によってはミサが行われます。桐教会さんには人が大勢集まっていましたので、直接訪れるのはやめました。

若松大橋。

 

同じく新上五島町の若松島へは橋が架けられており、中通島から直接行くことができます。この辺りの海ではマグロ漁が盛んです。

美しい朝。

カトリック大曽教会。

次に行ってみたのはカトリック大曽教会さん。1916年、鉄川与助の設計施工で現教会が建てられました。鉄川与助さんという方は長崎県を中心に数多くのカトリックの教会堂建築を手がけた人物で、五島列島の教会の多くも鉄川与助さん設計のものが多く残されています。

対岸に住宅と教会が見えます。
階段を登って教会へ。
美しい大曽教会。


レンガ造りの重層屋根構造、内部は3廊式でリブヴォールト天井をもち、外壁にはれレンガの凹凸や色の違いを用いた装飾が行われています。 

光が当たりより一層美しい。

潜伏キリシタンの歴史は、大変厳しい物語です。禁教令が解かれたのち、晴れて建てられた教会の数々は、信仰における本当に大きなシンボルへだったんだろうなと、ひしひし伝わってきます。

大曽教会を訪れたのち、蛤浜海水浴場へと向かいました。

蛤浜へ。

快水浴場百選にも認定されている蛤浜。白い砂浜で遠浅なこの海には、夏になると島内外から多くの人が心と体を癒しに訪れます。

そして世界遺産のある島、頭ケ島を目指します。

 

世界遺産、頭ヶ島天主堂へ。

五島列島には世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として登録されている島が合わせて4つあります。五島市の「奈留島」「久賀島」、小値賀町の「野崎島」、そして新上五島町の「頭ヶ島」。

五島市では世界遺産のある奈留島、久賀島へは行けていないため、五島列島で世界遺産を訪れることは念願の一つでもありました。

中通島の外れにある頭ヶ島。

 

念願だった世界遺産の訪問、今回は頭ヶ島という世界遺産の島へ行くことができました。

頭ヶ島は現在交通が規制されており、頭ヶ島天主堂のある白浜地区へはシャトルバスに乗り換える必要があります。加えて事前連絡も必要で、大切に守られている場所でもあります。

頭ヶ島へ向かう。
断崖の絶景。
頭ヶ島へやってきました。

 

潜伏キリシタンの歴史を考える。

ここで一つ、潜伏キリシタンの歴史について簡単に述べたいと思います。江戸時代に拡大した禁教令によって、キリスト教への弾圧は250年以上も続いていました。

そんななか五島列島は、江戸時代から多くの潜伏キリシタンが移り住んだ場所です。禁教令が敷かれる中、潜伏キリシタンたちは仏教、神道など現地での慣習を受け入れながら、ひっそりと信仰の火を守ってきました。

先ほどの地図ですが、384号線の国道のほとんどが「西側」を通っていることにお気づきでしょうか。僕は原付で走っていて気づいたのですが、中通島の集落はほとんどが山の「西側」に形成されており、太陽が当たりにくいです。そして教会は入り組んだ場所や海の側に建てられています。

潜伏キリシタンたちが役人の目から逃れ、信仰を続けるために、陽の当たらない、非常に厳しい立地で暮らしていたということです。

頭ヶ島の立地も大変悪く、「ここなら役人に見つからないはずだ」と潜伏キリシタンの小さな拠点になったそうです。

石を切り出して造られた頭ヶ島天主堂。

上五島空港へ原付を止めて、シャトルバスに乗って頭ヶ島天主堂のある白浜地区へ向かいます。今もなお、信仰は続けられていますが高齢化が進み、頭ヶ島天主堂を守っていらっしゃる地元の方は「10人」ほど。

いまは廃業となっている上五島空港。
シャトルバスへ乗り換えます。

 

急な坂道を下り、白浜地区へやってきました。

世界遺産・頭ヶ島天主堂。

 

これまでのレンガ造りの教会と異なり、石造りとなっています。禁教令が解かれた後も大変貧しく、お金がなかったことから近くの山の石を切り出して造られたためです。

様々な思いが教会に込められている。

案内人の方にお話をしていただきながら天主堂の中へ入りました。ステンドグラスも半分は再修復したもので、光の届き方も少しいびつ。しかし正面には大変美しい花々が飾られていて、白浜地区の方が自分たちで育てた花を備えているそうで驚きました。

さらに頭ヶ島天主堂も、鉄川与助さんの設計です。

 

側にはすぐ海も。
十字の墓標を見て何を考えるか。

 

「五島崩れ」という潜伏キリシタンの迫害は頭ヶ島でも起きており、島民全員が一時島を脱出したそうです。

日本の歴史において教科書で習うようなことも、現地へ行ってみれば感じることはまるで違うかもしれません。それほど頭ヶ島で感じた重たくも華々しい雰囲気は、印象的でした。

行けてよかったと心から思います。


新上五島町を後にして、次の旅は小値賀町へ。

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