朝はしっかりと雨が降っていて、いつもよりも遅い10時半に出発しました。まだ、北の空には分厚い雲が見えるし、冷たい西風がちょっと痛い。それでも、雨雲の心配はなさそうなので、進んでいこう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【1054/2,094】 総計【1140/2,264】スーパーカブの総走行距離
28253km
今日の旅先のこと
旧徳山市(周南市)(1/5)
絵に描いたような曇天を進み、旧徳山市の遠石八幡宮へやってきました。周南市は二市二町が合併してできたまち。旧徳山市はその中でもかなり都会のイメージがあります。そして、遠石八幡宮は海岸線近くの住宅地に佇んでいました。境内に立派な会館も建っていて、横浜みたいだなと思ったり(どういうこと)。お参りのあと、振り返って鳥居をくぐるまえに、その鳥居の奥に新幹線が走っていて、なおかつその奥がコンビナートの工場であることに気づきました。今までに見たことのない組み合わせだ。
その後、徳山駅周辺を散策です。「徳山デッキ」という商業施設が完成していて、パン屋とおにぎり屋が並んでいる。ちょうど11時になる頃で、おにぎり屋さんに開店前の行列ができていたので、ぼくもそれに並んでおにぎりを買いました。ちょっと高かったけれど、あとで食べようと。
絵に描いたような曇天を進み、旧徳山市の遠石八幡宮へやってきました。周南市は二市二町が合併してできたまち。旧徳山市はその中でもかなり都会のイメージがあります。そして、遠石八幡宮は海岸線近くの住宅地に佇んでいました。境内に立派な会館も建っていて、横浜みたいだなと思ったり(どういうこと)。お参りのあと、振り返って鳥居をくぐるまえに、その鳥居の奥に新幹線が走っていて、なおかつその奥がコンビナートの工場であることに気づきました。今までに見たことのない組み合わせだ。
その後、徳山駅周辺を散策です。「徳山デッキ」という商業施設が完成していて、パン屋とおにぎり屋が並んでいる。ちょうど11時になる頃で、おにぎり屋さんに開店前の行列ができていたので、ぼくもそれに並んでおにぎりを買いました。ちょっと高かったけれど、あとで食べようと。
旧新南陽市(周南市)(2/5)
今まで徳山という地名は自分の中で浸透していたけれど、「新南陽市」というまちがあったことは知らなかった。でも、「南陽か…ってことは、南陽工業高校もここにあるのかな」と調べてみたら、確かにありました。なるほど、南陽は周南市の地名なのかと。何かしらのスポーツ競技で、高校の名前を聞くんですよね。
さて、ここでは周南大橋という橋を渡ってみました。コンビナート群に続いていく橋として、夜景スポットとしても知られているようです。橋まで来るとまちを見渡すこともできましたが、山が思ったよりも近く、住宅地が海岸線に密集している。そこに、さらに工場も密集している。独特の地形であると感じました。
その後、国道2号線沿いにある永源山公園という公園へ向かってみました。昼休憩の時間で、駐車場に車もたくさん停まっているし、サラリーマンの人もけっこういる。ここで、昼休みを過ごしているのだなあと。展望台まで行ってみようと登り道をずんずん進む途中はけたたましい風の吹き荒れる森にいるようで、ちょっと怖さもありました。展望台からは住宅街とコンビナート、さらには海と島々を見ることができ、展望台の隣にオランダ風車も建っていました。そして、徳山駅で買ったおにぎりを食べてみたところ、これがけっこう、美味しかったんですよねぇ。
今まで徳山という地名は自分の中で浸透していたけれど、「新南陽市」というまちがあったことは知らなかった。でも、「南陽か…ってことは、南陽工業高校もここにあるのかな」と調べてみたら、確かにありました。なるほど、南陽は周南市の地名なのかと。何かしらのスポーツ競技で、高校の名前を聞くんですよね。
さて、ここでは周南大橋という橋を渡ってみました。コンビナート群に続いていく橋として、夜景スポットとしても知られているようです。橋まで来るとまちを見渡すこともできましたが、山が思ったよりも近く、住宅地が海岸線に密集している。そこに、さらに工場も密集している。独特の地形であると感じました。
その後、国道2号線沿いにある永源山公園という公園へ向かってみました。昼休憩の時間で、駐車場に車もたくさん停まっているし、サラリーマンの人もけっこういる。ここで、昼休みを過ごしているのだなあと。展望台まで行ってみようと登り道をずんずん進む途中はけたたましい風の吹き荒れる森にいるようで、ちょっと怖さもありました。展望台からは住宅街とコンビナート、さらには海と島々を見ることができ、展望台の隣にオランダ風車も建っていました。そして、徳山駅で買ったおにぎりを食べてみたところ、これがけっこう、美味しかったんですよねぇ。
旧鹿野町(周南市)(3/5)
肌寒い風が吹く中、山を進みさらに気温が下がっていくのを感じます。ただ、旧鹿野町に入る頃には空が晴れてきて、この嵐で夏がすこし近づいたような緑の濃さでした。旧鹿野町は、周南市の北に位置するまちで、かなり山道をのぼっていったので、海岸線の風景とはまるで違う、自然に包まれた里山が広がっていました。
ふと景色のいいところで写真を撮っていたら、玄関から出てきた地元のおかあさんと仲良くなりました。どこから来たのか、どうしてここに来たのか、という質問に答えていくと、特に「鹿野町に来たくて来ました」と答えたとき「まあ、鹿野に来てくれたのね、うれしいわあ!」とすごく喜んでくれて、「これから漢陽寺へ行こうと思っています」というと、「だったら私が今から案内するわね!」と、車で先導してくださったのでした。とても明るいおかあさんだったし、「あなた、わたしの孫と同じ年齢に見えたから。孫はハタチなの」と、大学生として迎えてくださったことにも感謝です。
その漢陽寺というお寺がほんとうに見事でした。まず、境内の周辺の水の流れが軽やかで美しい。大小さまざまな水路の雰囲気は、見ているだけで心が洗われる。さらに、お堂の中から見た枯山水の庭園がほんとうに素晴らしかった。白い砂利のぐるぐるした形。規則性のない岩の配置。ほんのり香ってくる線香。そして、流水の美しさ。京都のお寺や庭園をたくさん知らない、というのもあるけれど、じぶんが今までに出会ったお寺の中でも、間違いなく過去トップレベルに好きでした。
肌寒い風が吹く中、山を進みさらに気温が下がっていくのを感じます。ただ、旧鹿野町に入る頃には空が晴れてきて、この嵐で夏がすこし近づいたような緑の濃さでした。旧鹿野町は、周南市の北に位置するまちで、かなり山道をのぼっていったので、海岸線の風景とはまるで違う、自然に包まれた里山が広がっていました。
ふと景色のいいところで写真を撮っていたら、玄関から出てきた地元のおかあさんと仲良くなりました。どこから来たのか、どうしてここに来たのか、という質問に答えていくと、特に「鹿野町に来たくて来ました」と答えたとき「まあ、鹿野に来てくれたのね、うれしいわあ!」とすごく喜んでくれて、「これから漢陽寺へ行こうと思っています」というと、「だったら私が今から案内するわね!」と、車で先導してくださったのでした。とても明るいおかあさんだったし、「あなた、わたしの孫と同じ年齢に見えたから。孫はハタチなの」と、大学生として迎えてくださったことにも感謝です。
その漢陽寺というお寺がほんとうに見事でした。まず、境内の周辺の水の流れが軽やかで美しい。大小さまざまな水路の雰囲気は、見ているだけで心が洗われる。さらに、お堂の中から見た枯山水の庭園がほんとうに素晴らしかった。白い砂利のぐるぐるした形。規則性のない岩の配置。ほんのり香ってくる線香。そして、流水の美しさ。京都のお寺や庭園をたくさん知らない、というのもあるけれど、じぶんが今までに出会ったお寺の中でも、間違いなく過去トップレベルに好きでした。
旧熊毛町(周南市)(4/5)
旧熊毛町も、海に面していない内陸のまちです。旧鹿野町からは、30km越えの移動でした。最後にかなり急な峠を越えて、まちなみが点のように見えたときは、うれしかったなあ。山に囲まれた小盆地になっており、落ち着いた住宅地も広がっています。「三丘ゆめ広場」という広場にも向かい、展望台まで上がってみると、見晴らし抜群で、水田と家並みを気持ち良く眺めることができました。あと、近くに熊のモニュメントがあったけれど、熊毛だからかな?
黒岩峡という場所へ訪れる計画もありましたが、今日は突風で普通の峠道でも枝がたくさん落ちていて、道が悪くなっている予感もしたので、訪れるのはやめました。いつか、行けるといいなと。
旧熊毛町も、海に面していない内陸のまちです。旧鹿野町からは、30km越えの移動でした。最後にかなり急な峠を越えて、まちなみが点のように見えたときは、うれしかったなあ。山に囲まれた小盆地になっており、落ち着いた住宅地も広がっています。「三丘ゆめ広場」という広場にも向かい、展望台まで上がってみると、見晴らし抜群で、水田と家並みを気持ち良く眺めることができました。あと、近くに熊のモニュメントがあったけれど、熊毛だからかな?
黒岩峡という場所へ訪れる計画もありましたが、今日は突風で普通の峠道でも枝がたくさん落ちていて、道が悪くなっている予感もしたので、訪れるのはやめました。いつか、行けるといいなと。
旧大和町(光市)(5/5)
最後にやってきたのは、旧大和町。今度は旧熊毛町から近く、5kmほどでまちを移動できました。そして、前回の旅でも訪れた、「伊藤公資料館」へ。初代内閣総理大臣、伊藤博文の生まれ故郷がここ、旧大和町です。前回は外観しか見ていなかったので、今回は入館料を支払い建物の中へ。エントランスより奥は撮影禁止で、豪華な装飾品や著名人の書、軍服など、伊藤博文の華々しい業績が紹介されていました。
さらに、市街地である岩田駅周辺へ。小学生が遊びながら楽しげに下校している様子は微笑ましく、のびやかな雰囲気いっぱいで、落ち着いた日常がそのままあると。
最後にやってきたのは、旧大和町。今度は旧熊毛町から近く、5kmほどでまちを移動できました。そして、前回の旅でも訪れた、「伊藤公資料館」へ。初代内閣総理大臣、伊藤博文の生まれ故郷がここ、旧大和町です。前回は外観しか見ていなかったので、今回は入館料を支払い建物の中へ。エントランスより奥は撮影禁止で、豪華な装飾品や著名人の書、軍服など、伊藤博文の華々しい業績が紹介されていました。
さらに、市街地である岩田駅周辺へ。小学生が遊びながら楽しげに下校している様子は微笑ましく、のびやかな雰囲気いっぱいで、落ち着いた日常がそのままあると。
というわけで、今日の散策はここまで。まだまだコツコツ1日1日ずつ、がんばって進んでいきましょう。
本日のひとこと
今日、旧鹿野町で出会ったお母さんが、「鹿野町に来てくれてありがとう!」と、明るい表情を見せてくれたとき、周南市の工場地帯と山側の比較で、よしあしを論じてはいけない、そう認識させられた気がしました。お母さんにとっては旧鹿野町が中心であり、このまちの美しさを知っていて、誇りに思っている。そして、人口やまちの大きさの差で、その主体的な思いは動かない。世界は主体的な思いから意味づけられていく。自分自身が一人称をしっかりと持っていられたら、大切なものを大切だと信じられる、そう感じました。
今日、旧鹿野町で出会ったお母さんが、「鹿野町に来てくれてありがとう!」と、明るい表情を見せてくれたとき、周南市の工場地帯と山側の比較で、よしあしを論じてはいけない、そう認識させられた気がしました。お母さんにとっては旧鹿野町が中心であり、このまちの美しさを知っていて、誇りに思っている。そして、人口やまちの大きさの差で、その主体的な思いは動かない。世界は主体的な思いから意味づけられていく。自分自身が一人称をしっかりと持っていられたら、大切なものを大切だと信じられる、そう感じました。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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