秋の日のような鱗雲が広がる朝、萩ゲストハウスrucoを出発し、萩市から山口市へと進んでいきました。途中は仮眠を取って、体力を回復させながらの散策でした。それでは振り返っていきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【1049/2,094】 総計【1135/2,264】スーパーカブの総走行距離
28157km
今日の旅先のこと
旧福栄村(萩市)(1/6)
萩市街地から東へ進むには主に海側と山側があり、今回は山側の道を進んでいく。そして、内陸を進んだ先にある、旧福栄村へ向かいました。道がY字に分かれたところが中心地になっており、庁舎と道の駅が並んでいます。水田を見ると里山らしさも感じられてホッとする。
その後、市街地からはかなり離れた「大板山たたら製鉄遺跡」を目指しました。遠いので訪れるのをちょっと迷ったぐらい。隣の阿武町との境界線近くにあり、なおかつ不安になるような細い山道を進んだ先にありました。遺跡は石垣が積まれており、城跡のようにも錯覚してしまったけれど、たたら製鉄の遺跡。展示室で映像も見て、たくさんの木炭を使うからこそ、山林が豊富なこの地が選ばれたのではないかということでした。なるほど、山奥なのにも意味がある。そして、操業時はここに仕事や生活の場があったということで、今では静かな山林だからこそ、より不思議に感じられたのでした。
萩市街地から東へ進むには主に海側と山側があり、今回は山側の道を進んでいく。そして、内陸を進んだ先にある、旧福栄村へ向かいました。道がY字に分かれたところが中心地になっており、庁舎と道の駅が並んでいます。水田を見ると里山らしさも感じられてホッとする。
その後、市街地からはかなり離れた「大板山たたら製鉄遺跡」を目指しました。遠いので訪れるのをちょっと迷ったぐらい。隣の阿武町との境界線近くにあり、なおかつ不安になるような細い山道を進んだ先にありました。遺跡は石垣が積まれており、城跡のようにも錯覚してしまったけれど、たたら製鉄の遺跡。展示室で映像も見て、たくさんの木炭を使うからこそ、山林が豊富なこの地が選ばれたのではないかということでした。なるほど、山奥なのにも意味がある。そして、操業時はここに仕事や生活の場があったということで、今では静かな山林だからこそ、より不思議に感じられたのでした。
旧むつみ村(萩市)(2/6)
次は旧むつみ村を目指しました。先ほどの旧福栄村の市街地もそうでしたが、川の流れがあるところが土地がひらけて住みやすく、そこに集落が広がると。旧むつみ村の市街地も、蔵目喜川沿いに広がっていました。
その後、雲林寺という寺が「ネコ寺」とのことで、気になって向かってみると、大小さまざまな猫の彫刻が入口にもお堂にもいっぱいで。ネコがたくさん住んでいるのかと最初は思ったのですが、一匹だけ出会いました、ひとまず。ちなみにお参りし終わった直後、スーツ姿の若い人たちがたくさんやってきた。坐禅したのかな…?
次は旧むつみ村を目指しました。先ほどの旧福栄村の市街地もそうでしたが、川の流れがあるところが土地がひらけて住みやすく、そこに集落が広がると。旧むつみ村の市街地も、蔵目喜川沿いに広がっていました。
その後、雲林寺という寺が「ネコ寺」とのことで、気になって向かってみると、大小さまざまな猫の彫刻が入口にもお堂にもいっぱいで。ネコがたくさん住んでいるのかと最初は思ったのですが、一匹だけ出会いました、ひとまず。ちなみにお参りし終わった直後、スーツ姿の若い人たちがたくさんやってきた。坐禅したのかな…?
旧須佐町(萩市)(3/6)
旧むつみ村から次へ向かったのは、旧須佐町です。およそ30kmの移動で、阿武町も通過しました。現在は萩市が阿武町をぐるっと取り囲んでいて、旧須佐町は阿武町よりも東側。萩市街地よりも阿武町の方が近いという立地で、島根県の益田市もすぐそこです。そして、ようやく旧須佐町市街地へ入ると、須佐駅横に物産館が建っている。その名も「スサノモノミトコ館」。ネーミングセンスが良い。
また、スーパーでおにぎりを買って、入口のベンチに座って食べていたところ、横にあった自販機でジュースを買ったおじいちゃんが話しかけてくれて、ぼくと同じベンチに座るのでした。これを、違和感なくさらっとやっちゃうもんだから、そのまま会話がはじまるわけで。おじいちゃんは旧須佐町の出身で、ケンサキイカが美味しいことや、まちのいいところをいくつか教えてくれました。気さくかつ、自然体のおじいちゃんだった。
そして、もともと行く予定だったし、おじいちゃんにも勧められた「須佐ホルンフェルス」へ。地層が縞模様になって見えるのが特徴で、スイーツみたいにも見えました。でも、相当大きな断崖で、上から降りていくときは足元がすくんで。日本にもいろんな地層があるんだなあと。
旧むつみ村から次へ向かったのは、旧須佐町です。およそ30kmの移動で、阿武町も通過しました。現在は萩市が阿武町をぐるっと取り囲んでいて、旧須佐町は阿武町よりも東側。萩市街地よりも阿武町の方が近いという立地で、島根県の益田市もすぐそこです。そして、ようやく旧須佐町市街地へ入ると、須佐駅横に物産館が建っている。その名も「スサノモノミトコ館」。ネーミングセンスが良い。
また、スーパーでおにぎりを買って、入口のベンチに座って食べていたところ、横にあった自販機でジュースを買ったおじいちゃんが話しかけてくれて、ぼくと同じベンチに座るのでした。これを、違和感なくさらっとやっちゃうもんだから、そのまま会話がはじまるわけで。おじいちゃんは旧須佐町の出身で、ケンサキイカが美味しいことや、まちのいいところをいくつか教えてくれました。気さくかつ、自然体のおじいちゃんだった。
そして、もともと行く予定だったし、おじいちゃんにも勧められた「須佐ホルンフェルス」へ。地層が縞模様になって見えるのが特徴で、スイーツみたいにも見えました。でも、相当大きな断崖で、上から降りていくときは足元がすくんで。日本にもいろんな地層があるんだなあと。
旧田万川町(萩市)(4/6)
山口県で最も東に位置するまちである、旧田万川町。「道の駅ゆとりパークたまがわ」に着いたときには疲れがたまっていて、ちょっと休みたいぞと。で、道の駅内に椅子があったので、座ったら寝てしまいました。一瞬で一時間経ったかな。その後、再出発。
そして、総合事務所や江崎駅周辺も散策しました。事務所の裏手からは、セミみたいにカエルが合唱していて、ぼくはそれが心地よく聞こえるタイプなので、歓迎してくれてありがとうと。お寺の屋根が立派な石州瓦だったことも印象的でした。
山口県で最も東に位置するまちである、旧田万川町。「道の駅ゆとりパークたまがわ」に着いたときには疲れがたまっていて、ちょっと休みたいぞと。で、道の駅内に椅子があったので、座ったら寝てしまいました。一瞬で一時間経ったかな。その後、再出発。
そして、総合事務所や江崎駅周辺も散策しました。事務所の裏手からは、セミみたいにカエルが合唱していて、ぼくはそれが心地よく聞こえるタイプなので、歓迎してくれてありがとうと。お寺の屋根が立派な石州瓦だったことも印象的でした。
旧阿東町(山口市)(5/6)
旧田万川町から旧阿東町まで、45kmありました。車ならまだ良いかもしれませんが、カブなので、けっこう体力を使うわけです。移動中、誰もいないトンネルの中で、「元気出していこおおーーー!!!」とか、思いっきり叫んだりして、元気を出していました。
そして、ようやく市街地に着くと、古き良きまちなみが見事に広がっています。南側の山並みも美しく、山とまちのバランスが心地良い。さらに、徳佐八幡宮を訪れたとき、6年前に親戚のおばさんに連れてきてもらった神社だと気づきました。旅の初日に怪我をして傷心だったぼくを励ますために、津和野や阿東を案内してくださったんですね(とてもナチュラルに)。そのときは阿東という地名を強く意識していなかったので、今日こうしてやってくるまで、神社のことも気づかなかった。参道のしだれ桜の並木が有名で、今は新緑が風にたなびいていました。
旧田万川町から旧阿東町まで、45kmありました。車ならまだ良いかもしれませんが、カブなので、けっこう体力を使うわけです。移動中、誰もいないトンネルの中で、「元気出していこおおーーー!!!」とか、思いっきり叫んだりして、元気を出していました。
そして、ようやく市街地に着くと、古き良きまちなみが見事に広がっています。南側の山並みも美しく、山とまちのバランスが心地良い。さらに、徳佐八幡宮を訪れたとき、6年前に親戚のおばさんに連れてきてもらった神社だと気づきました。旅の初日に怪我をして傷心だったぼくを励ますために、津和野や阿東を案内してくださったんですね(とてもナチュラルに)。そのときは阿東という地名を強く意識していなかったので、今日こうしてやってくるまで、神社のことも気づかなかった。参道のしだれ桜の並木が有名で、今は新緑が風にたなびいていました。
旧徳地町(山口市)(6/6)
さらに、旧阿東町から30km移動します。細い谷間を移動していき、大原湖を通過し市街地へ。旧徳地町も山に囲まれたのどかな風景が広がっていました。山口市街地も山に囲まれてはいるけれど、のどかさの本気度が違うというか。山口市、という感じもあまりしないです。物産店に入ると、地元の猪肉も売っていました。庁舎の方では移動販売車の曲が大きく鳴り響いていて、こうした日常も程よいなあと感じながら。
さらに、旧阿東町から30km移動します。細い谷間を移動していき、大原湖を通過し市街地へ。旧徳地町も山に囲まれたのどかな風景が広がっていました。山口市街地も山に囲まれてはいるけれど、のどかさの本気度が違うというか。山口市、という感じもあまりしないです。物産店に入ると、地元の猪肉も売っていました。庁舎の方では移動販売車の曲が大きく鳴り響いていて、こうした日常も程よいなあと感じながら。
というわけで、今日の散策はここまで。途中、仮眠も取りましたが、無事に当初の計画通り進み切れました。しんどいとき、先日の香月泰男美術館で出合った彼の座右の銘「一瞬一生」にも、かなり助けられています。
本日のひとこと
今日はかなりの疲れで、夜、やよい軒でごはんを700g食べました。
今日はかなりの疲れで、夜、やよい軒でごはんを700g食べました。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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