今日は下関市から、隣の長門市と美祢市を進んでいきます。晴れ予報の土曜日ということもあり、観光地は賑わっていると思いますし、無理なく進んでいきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【1031/2,094】 総計【1117/2,264】スーパーカブの総走行距離
27766km
今日の旅先のこと
旧油谷町(長門市)(1/6)
油谷町の市街地は、北も南も山に囲まれた自然を感じます。そして、穏やかな暮らしが広がっていました。また、この後に元乃隅神社を訪れましたが、市街地の視点からすれば、この北側の山を越えた先にあるのだなあと。神社には9時過ぎに到着し、まだ人もまばらでしたが、10時にもなれば、かなり人が増えそうだなあという気配を感じます。何より、前回訪れた6年前の記憶では駐車場の整備が進んでいる最中で、今回訪れてみて、こんなにも整備されたのだなあと。駐車場ではおそらく地元の方々が、誘導や受付をしてくださりました。訪れるまでの道も含めて、大きな観光バスでも対応できるようになっているし、あらゆる観光に対応できる整備がなされたのだなあと。そして、それがまち全体に経済効果が生まれるきっかけにもなるよなあと。もちろん、観光客のマナーあってこそです。
その後、東後畑棚田という棚田にも訪れました。元乃隅神社と同じく日本海が眼下に広がる棚田。ちょうど田植えも行われていていました。なによりこうした原風景は、地元の方々の手によって守られていることを、忘れないように。写真を撮り、自分の写真だ、と思い込まないように。
油谷町の市街地は、北も南も山に囲まれた自然を感じます。そして、穏やかな暮らしが広がっていました。また、この後に元乃隅神社を訪れましたが、市街地の視点からすれば、この北側の山を越えた先にあるのだなあと。神社には9時過ぎに到着し、まだ人もまばらでしたが、10時にもなれば、かなり人が増えそうだなあという気配を感じます。何より、前回訪れた6年前の記憶では駐車場の整備が進んでいる最中で、今回訪れてみて、こんなにも整備されたのだなあと。駐車場ではおそらく地元の方々が、誘導や受付をしてくださりました。訪れるまでの道も含めて、大きな観光バスでも対応できるようになっているし、あらゆる観光に対応できる整備がなされたのだなあと。そして、それがまち全体に経済効果が生まれるきっかけにもなるよなあと。もちろん、観光客のマナーあってこそです。
その後、東後畑棚田という棚田にも訪れました。元乃隅神社と同じく日本海が眼下に広がる棚田。ちょうど田植えも行われていていました。なによりこうした原風景は、地元の方々の手によって守られていることを、忘れないように。写真を撮り、自分の写真だ、と思い込まないように。
旧日置町(長門市)(2/6)
東後畑棚田からさほど離れていない、千畳敷という場所へ訪れてみます。かなり急な坂道をのぼった先に広がる、日本海を一望できる場所。見晴らしの良さから、シートを敷いてアウトドアチェアに腰掛け、ゆったりしている方々もいました。そういう気持ちよさのある場所です。
その後、市街地も散策しました。主要道路の周辺にも水田が広がっていましたし、住宅は戸建てが多く、穏やかなまちなみです。鹿児島県には日置市がありますが、長門市では日置と読むことも、今回新しく覚えました。
東後畑棚田からさほど離れていない、千畳敷という場所へ訪れてみます。かなり急な坂道をのぼった先に広がる、日本海を一望できる場所。見晴らしの良さから、シートを敷いてアウトドアチェアに腰掛け、ゆったりしている方々もいました。そういう気持ちよさのある場所です。
その後、市街地も散策しました。主要道路の周辺にも水田が広がっていましたし、住宅は戸建てが多く、穏やかなまちなみです。鹿児島県には日置市がありますが、長門市では日置と読むことも、今回新しく覚えました。
長門市(3/6)
旧日置町から、まずは長門湯本温泉を訪れました。一度仕事で訪れたことがあり、今回も歩いてみたくて。前回訪れたときよりもさらに、良い雰囲気のような気がするなあと。ハンモックや足湯、温泉卓球台、とゆったりできる場所があり、温泉街のまちなみも良く、新しい建物もいくつか建っています。もちろん日帰り入浴や宿泊もできる。きっとこれからもっと良くなっていくんじゃないかなあと。具体的な根拠はないけれど、個人的な感覚です。
その後、市街地を少し北へ越えて、仙崎という港町にある、金子みすゞ記念館を訪れました。いつか、行ってみたいと思っていた場所。まず、なにより周辺のまちなみに昔ながらの気配が残っていました。記念館の入口の建物は、「金子文英堂」という金子みすゞが幼少期を過ごした書店が再現されており、館内に並ぶ当時の本も、見ていてドキドキします。そして、本館(撮影禁止)に入ると、まず正面に、昭和初期の仙崎の通りの写真が大きく展示されていました。その賑わいを見て鳥肌が立ちます。かつて仙崎は、北前船によってたいへん栄えた港町であると。また、写真の横にはやなせたかせさんのメッセージもありました。
展示もいろいろと見て、いろいろなことを感じました。同じく山口県出身の詩人、まど・みちおさんとは6歳しか違わなかったこと。26歳で夭折し、再評価されたのは亡くなって50年以上経ってからだったこと。あらためて壁に描かれた「私と小鳥と鈴と」をゆっくり読むと、瞳に込み上げてくるものがありました。
旅先で誰かの人生に触れてよく感じることですが、その人がその人であることは、その土地で過ごしてきたことが、無意識だとしてもとても大きく影響しているなあと。金子みすゞも、仙崎という土地が、あたたかな優しい心を、より育てていったのだろうなあと。やはり子どもが子どもの頃に触れたものというのは、その人に大きく関わるなあと思うのです。都会が良い、田舎が良い、ではなく、結果的に、というものです。金子みすゞの生涯を追ってみて、風土との関わりを感じました。
旧日置町から、まずは長門湯本温泉を訪れました。一度仕事で訪れたことがあり、今回も歩いてみたくて。前回訪れたときよりもさらに、良い雰囲気のような気がするなあと。ハンモックや足湯、温泉卓球台、とゆったりできる場所があり、温泉街のまちなみも良く、新しい建物もいくつか建っています。もちろん日帰り入浴や宿泊もできる。きっとこれからもっと良くなっていくんじゃないかなあと。具体的な根拠はないけれど、個人的な感覚です。
その後、市街地を少し北へ越えて、仙崎という港町にある、金子みすゞ記念館を訪れました。いつか、行ってみたいと思っていた場所。まず、なにより周辺のまちなみに昔ながらの気配が残っていました。記念館の入口の建物は、「金子文英堂」という金子みすゞが幼少期を過ごした書店が再現されており、館内に並ぶ当時の本も、見ていてドキドキします。そして、本館(撮影禁止)に入ると、まず正面に、昭和初期の仙崎の通りの写真が大きく展示されていました。その賑わいを見て鳥肌が立ちます。かつて仙崎は、北前船によってたいへん栄えた港町であると。また、写真の横にはやなせたかせさんのメッセージもありました。
展示もいろいろと見て、いろいろなことを感じました。同じく山口県出身の詩人、まど・みちおさんとは6歳しか違わなかったこと。26歳で夭折し、再評価されたのは亡くなって50年以上経ってからだったこと。あらためて壁に描かれた「私と小鳥と鈴と」をゆっくり読むと、瞳に込み上げてくるものがありました。
旅先で誰かの人生に触れてよく感じることですが、その人がその人であることは、その土地で過ごしてきたことが、無意識だとしてもとても大きく影響しているなあと。金子みすゞも、仙崎という土地が、あたたかな優しい心を、より育てていったのだろうなあと。やはり子どもが子どもの頃に触れたものというのは、その人に大きく関わるなあと思うのです。都会が良い、田舎が良い、ではなく、結果的に、というものです。金子みすゞの生涯を追ってみて、風土との関わりを感じました。
旧三隅町(長門市)(4/6)
次に訪れたのは、旧三隅町。三隅総合支所の周辺では、三隅川が豊かに流れ、中学校のグラウンドで野球の練習試合が行われていました。明るい声が響きわたっています。
そして、香月泰男美術館にも訪れました。香月泰男のことを、無知なことに詳しく知らずにいましたが、戦後の日本美術史を代表する洋画家のひとり。油絵を中心に構成された絵はすごく良いなあと。会ったことはないけれど、一心不乱に描いている背中姿が見えるようで。また、香月泰男の生涯を辿っていくと、旧三隅町で生まれ育ち、東京から北海道、さらにはハイラル、シベリアでも過ごし、再び三隅に戻ってきたと。シベリアで拘留されていたということも衝撃でしたし、従軍中に送られた軍事郵便ハガキなるものは、ありのままの絵と文字に圧倒させられました。小さなハガキサイズなのに。なにより、『ここが〈私の〉地球だ』と、香月泰男が三隅への郷土愛に溢れていたことも印象的でした。そして、「一瞬に一生をかけることもある。一生が一瞬に思えるときがあるだろう」という「一瞬一生」の精神も、共鳴するものがありました。ぼくは「一心」という言葉が好きなので、それに近いなあと。
次に訪れたのは、旧三隅町。三隅総合支所の周辺では、三隅川が豊かに流れ、中学校のグラウンドで野球の練習試合が行われていました。明るい声が響きわたっています。
そして、香月泰男美術館にも訪れました。香月泰男のことを、無知なことに詳しく知らずにいましたが、戦後の日本美術史を代表する洋画家のひとり。油絵を中心に構成された絵はすごく良いなあと。会ったことはないけれど、一心不乱に描いている背中姿が見えるようで。また、香月泰男の生涯を辿っていくと、旧三隅町で生まれ育ち、東京から北海道、さらにはハイラル、シベリアでも過ごし、再び三隅に戻ってきたと。シベリアで拘留されていたということも衝撃でしたし、従軍中に送られた軍事郵便ハガキなるものは、ありのままの絵と文字に圧倒させられました。小さなハガキサイズなのに。なにより、『ここが〈私の〉地球だ』と、香月泰男が三隅への郷土愛に溢れていたことも印象的でした。そして、「一瞬に一生をかけることもある。一生が一瞬に思えるときがあるだろう」という「一瞬一生」の精神も、共鳴するものがありました。ぼくは「一心」という言葉が好きなので、それに近いなあと。
旧美東町(美祢市)(5/6)
旧三隅町からしばらく走り、旧美東町へ入ります。道中は小さな集落が点在しており、いよいよ美東総合支所の周辺へ着くと、山もひらけてより大きなまちだと感じられます。そして、昔の町割りが残り、懐かしいまちなみが広がっていました。支所の入口には「奈良の大仏さまのふる里」と紹介があり、どういうことなのだろうかと思いましたが、奈良の大仏の銅は、長登銅山という旧美東町にある、日本最古の銅山から産出された銅が使用されたのだと。大仏や建物そのものに眼差しが向けられることは多いですが、確かにその材料は、どこからやってきたのだと。さらに銅がはるばる旧美東町から運ばれていたのかと思うと、想像しきれない苦労と時間があったのではないかなあと。
旧三隅町からしばらく走り、旧美東町へ入ります。道中は小さな集落が点在しており、いよいよ美東総合支所の周辺へ着くと、山もひらけてより大きなまちだと感じられます。そして、昔の町割りが残り、懐かしいまちなみが広がっていました。支所の入口には「奈良の大仏さまのふる里」と紹介があり、どういうことなのだろうかと思いましたが、奈良の大仏の銅は、長登銅山という旧美東町にある、日本最古の銅山から産出された銅が使用されたのだと。大仏や建物そのものに眼差しが向けられることは多いですが、確かにその材料は、どこからやってきたのだと。さらに銅がはるばる旧美東町から運ばれていたのかと思うと、想像しきれない苦労と時間があったのではないかなあと。
旧秋芳町(美祢市)(6/6)
最後にやってきたのは、旧秋芳町です。まずは秋吉台展望台へ。言わずと知れたカルスト台地の名スポットで、石灰岩と鮮やかな緑の織りなす風景は見晴らしは文句のつけどころがなく。かなり奥まで遊歩道があるみたいだったので、いつか時間をかけてまた歩いてみたいです。
そして、秋芳総合支所の周辺も散策しました。秋吉台や秋芳洞はとても有名だけれど、その近くに市街地も広がっています。まちなみは穏やかで、観光地とは違う日常の時間が流れていました。
さらに、やや離れた場所にある、別府弁天池にも向かいました。日本名水百選にも選ばれた池。駐車場から弁天池に向かう手前に給水所があり、地元であろう方々が、ポリタンクを持って湧水を汲んでいきます。かなり若い人たちも水を汲んでいて新鮮でした。そして、その奥に広がる弁天池は、淡いブルーの美しい池で。周辺の水の流れはとても透明で、それも見ていて非常に美しいのですが、池の中心だけが青く見えて、不思議だなあと。すでに曇っていましたが、晴れの日はまた一段と鮮やかに見えると感じました。同じ場所に鎮座する別府厳島神社を参拝して、今日の散策はおしまいです。
最後にやってきたのは、旧秋芳町です。まずは秋吉台展望台へ。言わずと知れたカルスト台地の名スポットで、石灰岩と鮮やかな緑の織りなす風景は見晴らしは文句のつけどころがなく。かなり奥まで遊歩道があるみたいだったので、いつか時間をかけてまた歩いてみたいです。
そして、秋芳総合支所の周辺も散策しました。秋吉台や秋芳洞はとても有名だけれど、その近くに市街地も広がっています。まちなみは穏やかで、観光地とは違う日常の時間が流れていました。
さらに、やや離れた場所にある、別府弁天池にも向かいました。日本名水百選にも選ばれた池。駐車場から弁天池に向かう手前に給水所があり、地元であろう方々が、ポリタンクを持って湧水を汲んでいきます。かなり若い人たちも水を汲んでいて新鮮でした。そして、その奥に広がる弁天池は、淡いブルーの美しい池で。周辺の水の流れはとても透明で、それも見ていて非常に美しいのですが、池の中心だけが青く見えて、不思議だなあと。すでに曇っていましたが、晴れの日はまた一段と鮮やかに見えると感じました。同じ場所に鎮座する別府厳島神社を参拝して、今日の散策はおしまいです。
というわけで、今日の散策はここまで。日本海側の美しい海岸線から、先人たちの作品やストーリー、そして、山あいの景勝地。それぞれの土地に広がっていたものを受けとめて、また、次へ進んでいきます。
本日のひとこと
明日は雨のため、休む予定です。はっきりとした雨予報だと、ありがたいです。
明日は雨のため、休む予定です。はっきりとした雨予報だと、ありがたいです。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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(終わり。次回へ続きます)
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