朝は肌寒く、降水確率は40%だったのですが、霧雨がわずかに降っています。本降りにはならなそうだけれど、こういう雨は体が冷えます。といいつつ、限界を感じるまでは普段どおりの格好で、出発しました。杵築市から国東市へ少しずつ、国東半島を進んでいきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【1015/2,094】 総計【1101/2,264】スーパーカブの総走行距離
27323km
今日の旅先のこと
旧大田村(杵築市)(1/5)
昨日、Nさんとお話をしていた中で、旧大田村の「どぶろく祭り」の話題が出ました。なんでも、その名の通りどぶろくを振る舞うお祭りがあると。その舞台になっているのが、白髪田原神社です。山を越え、トンネルをいくつか越えた先でようやく旧大田村に辿り着きました。集落がブワッと一気にひらけた感覚で、確かにここに村があったのだなあと感じられます。集落を散策したのち、白髪田原神社へ訪れました。入り口にはどぶろく祭りのことが紹介されています。もちろん、今日は当日ではないですし、とても静かな神社の気配でした。ただ、献納の札がとても多かったことも印象的ですし、知ってしまうと、お祭りの日に来てみたくなりますよね。
昨日、Nさんとお話をしていた中で、旧大田村の「どぶろく祭り」の話題が出ました。なんでも、その名の通りどぶろくを振る舞うお祭りがあると。その舞台になっているのが、白髪田原神社です。山を越え、トンネルをいくつか越えた先でようやく旧大田村に辿り着きました。集落がブワッと一気にひらけた感覚で、確かにここに村があったのだなあと感じられます。集落を散策したのち、白髪田原神社へ訪れました。入り口にはどぶろく祭りのことが紹介されています。もちろん、今日は当日ではないですし、とても静かな神社の気配でした。ただ、献納の札がとても多かったことも印象的ですし、知ってしまうと、お祭りの日に来てみたくなりますよね。
杵築市(2/5)
旧大田村から、杵築市街地へ向かって進んでいきましたが、まず何より、こんなにも標高差があるのだなあということが印象的でした。ようやく見えてきた海がかなり低い位置にあり、同じ杵築市でも、まったく違う場所に感じられて。そして、杵築市街地へ着く頃には徐々に日差しも出てきました。まず最初に杵築城跡を訪れます。駐車場に車を停めて、城跡へ向かっているときに、若いエネルギー溢れる声がして、その声につられて進んでいくと、おそらく中学生たちが、グラウンドで大縄跳びの練習をしていたのでした。「いくよー!せーの!」「いっせーのーせ!」「いち!にい!」「あーもうー!おいー!」と、その声を聞いているだけで元気が出るし、あの頃の自分を思い出すような。大縄跳びや、長縄に捧げていたあの頃。
杵築城跡では受付の方が最初に、「見てください、海の奥に見えるのが、愛媛県の佐田岬です!」と。確かにはっきりと目視できて、四国も近いのだなあとワクワクします。城内の資料も見学しました。杵築の元になった漢字は「木付」と知って、おお〜と思ったり。
その後、酢屋の坂を目指して短く移動しました。昔ながらのまちなみと今の住宅地が混在している中でも、酢屋の坂、志保屋の坂という二つの坂の周辺のまちなみはとても美しく、この坂がすり鉢状になっている地形も独特で、印象的でした。
旧大田村から、杵築市街地へ向かって進んでいきましたが、まず何より、こんなにも標高差があるのだなあということが印象的でした。ようやく見えてきた海がかなり低い位置にあり、同じ杵築市でも、まったく違う場所に感じられて。そして、杵築市街地へ着く頃には徐々に日差しも出てきました。まず最初に杵築城跡を訪れます。駐車場に車を停めて、城跡へ向かっているときに、若いエネルギー溢れる声がして、その声につられて進んでいくと、おそらく中学生たちが、グラウンドで大縄跳びの練習をしていたのでした。「いくよー!せーの!」「いっせーのーせ!」「いち!にい!」「あーもうー!おいー!」と、その声を聞いているだけで元気が出るし、あの頃の自分を思い出すような。大縄跳びや、長縄に捧げていたあの頃。
杵築城跡では受付の方が最初に、「見てください、海の奥に見えるのが、愛媛県の佐田岬です!」と。確かにはっきりと目視できて、四国も近いのだなあとワクワクします。城内の資料も見学しました。杵築の元になった漢字は「木付」と知って、おお〜と思ったり。
その後、酢屋の坂を目指して短く移動しました。昔ながらのまちなみと今の住宅地が混在している中でも、酢屋の坂、志保屋の坂という二つの坂の周辺のまちなみはとても美しく、この坂がすり鉢状になっている地形も独特で、印象的でした。
旧安岐町(国東市)(3/5)
さて、国東市へ入りました。まずは旧安岐町を訪れます。総合支所の周辺は、海よりもやや内陸に位置していました。支所を訪れる理由は、およそまちの中心地になっていることが多いからですが、旧安岐町の市街地は海がもっと近いのかなとも思っていたので、少し意外です。
そして、今度は山側へ一気に進んでいき、両子寺を目指しました。気づけばあっという間に山奥へ入り、山寺の雰囲気をビシビシと感じます。撮影禁止の護摩堂内はうす暗く、蛍光灯と蝋燭の灯りがわずかにあるのみで、無音ですが、ぎゅいんと何かが鳴っているような、厳粛な雰囲気で満ち溢れていました。ほかにも境内を歩きましたが、大きな鳥居もあり、国東半島の神仏習合の気配も感じられます。山門の仁王像も、カッコよかったなあ。
さて、国東市へ入りました。まずは旧安岐町を訪れます。総合支所の周辺は、海よりもやや内陸に位置していました。支所を訪れる理由は、およそまちの中心地になっていることが多いからですが、旧安岐町の市街地は海がもっと近いのかなとも思っていたので、少し意外です。
そして、今度は山側へ一気に進んでいき、両子寺を目指しました。気づけばあっという間に山奥へ入り、山寺の雰囲気をビシビシと感じます。撮影禁止の護摩堂内はうす暗く、蛍光灯と蝋燭の灯りがわずかにあるのみで、無音ですが、ぎゅいんと何かが鳴っているような、厳粛な雰囲気で満ち溢れていました。ほかにも境内を歩きましたが、大きな鳥居もあり、国東半島の神仏習合の気配も感じられます。山門の仁王像も、カッコよかったなあ。
旧武蔵町(国東市)(4/5)
再び山から海の方へ降りていき、旧武蔵町へ向かいます。ひとつ隣の山から降っていったので、また違う風景が広がっていましたし、当然ではあるものの、海と山でこれほど高低差があるのかと驚かされます。国東半島は海と山が近いけれど、その高低差が大きいような。そして、市街地へ向かって降りていくと、谷から平野部へと変わっていく様子も感じられました。市街地は水田や小麦畑、静かな住宅街が広がっています。近くには大分空港もあるので、飛行機の音もかなり聞こえてきたのでした。
再び山から海の方へ降りていき、旧武蔵町へ向かいます。ひとつ隣の山から降っていったので、また違う風景が広がっていましたし、当然ではあるものの、海と山でこれほど高低差があるのかと驚かされます。国東半島は海と山が近いけれど、その高低差が大きいような。そして、市街地へ向かって降りていくと、谷から平野部へと変わっていく様子も感じられました。市街地は水田や小麦畑、静かな住宅街が広がっています。近くには大分空港もあるので、飛行機の音もかなり聞こえてきたのでした。
旧国東町(国東市)(5/5)
翌日に跨いで旧国東町を巡りました。まずは市街地を通り、ちょっと名前が長いですが、「弥生のムラ安国寺集落遺跡公園」を訪れます。その道中の景色も、遠くに険しい山々が広がっている様子が、国東半島らしいなあと。公園では縄文や弥生時代の住居が復元されていました。国東半島では縄文時代から暮らしが営まれていたということですが、最初にここまでどうやってきたのだろう、なんて想像すると、不思議ですよね。
その後、市街地を訪れた後、夜には県内に在住されているNさんUさんと、一緒に食事をさせてもらいました。やっぱりいろいろと話がすごく面白くて、今でももっと、あのことを尋ねてみたかったなー、みたいなことを思います。すてきなお時間をありがとうございました(なにより、ご馳走様でした!)。
そして、翌朝ですが、「文殊仙寺」を訪れました。朝は外に出た瞬間、風を浴びて、青空で、景色を見て、「わーっ、気持ちいい!」と思わず声が出て。お寺は石畳の階段が続き、本堂に着くと建物の背中に巨大が岩壁が聳え立っており「うぉー、なんじゃこりゃ!」と声が漏れました。建物もとても立派で、堂内にも入らせてもらい、静かに手を合わせました。
翌日に跨いで旧国東町を巡りました。まずは市街地を通り、ちょっと名前が長いですが、「弥生のムラ安国寺集落遺跡公園」を訪れます。その道中の景色も、遠くに険しい山々が広がっている様子が、国東半島らしいなあと。公園では縄文や弥生時代の住居が復元されていました。国東半島では縄文時代から暮らしが営まれていたということですが、最初にここまでどうやってきたのだろう、なんて想像すると、不思議ですよね。
その後、市街地を訪れた後、夜には県内に在住されているNさんUさんと、一緒に食事をさせてもらいました。やっぱりいろいろと話がすごく面白くて、今でももっと、あのことを尋ねてみたかったなー、みたいなことを思います。すてきなお時間をありがとうございました(なにより、ご馳走様でした!)。
そして、翌朝ですが、「文殊仙寺」を訪れました。朝は外に出た瞬間、風を浴びて、青空で、景色を見て、「わーっ、気持ちいい!」と思わず声が出て。お寺は石畳の階段が続き、本堂に着くと建物の背中に巨大が岩壁が聳え立っており「うぉー、なんじゃこりゃ!」と声が漏れました。建物もとても立派で、堂内にも入らせてもらい、静かに手を合わせました。
というわけで、散策はここまで。今までは国東半島の海岸線しか走ったことがありませんでした。なので、山側と海側と、今回はどちらも訪れつながら進むことができ、新しい発見がたくさんあり、とてもありがたいです。
本日のひとこと
いよいよ、明日で大分県の旅、そして、九州本土の旅が最終日になります。安全運転で、コツコツ、がんばりましょう。
いよいよ、明日で大分県の旅、そして、九州本土の旅が最終日になります。安全運転で、コツコツ、がんばりましょう。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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