いったん、鹿児島県の旅も今日で最後になります。いったんというのは奄美大島が残っているからで、屋久島には訪れることができたものの、奄美大島はタイミングを逃してしまいました。ただ、沖縄県もまだ残っているので、どこかのタイミングで一緒に訪れられたらいいなと、画策中です。さて、今日は志布志市や曽於市を巡っていきました。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【943/2,094】 総計【1029/2,264】スーパーカブの総走行距離
25380km
今日の旅先のこと
旧志布志町(志布志市)(1/6)
志布志市役所まで訪れて、周辺を散策しようと思っていましたが、具体的にはふたつの場所へ、結果的に訪れました。ひとつは大慈寺。役所のすぐ近くにあるお寺で、境内は南国らしい木々も生えていて、でも竹もあったし、混ざっているような雰囲気でした。そして、その近くを歩いていると、「マルチョンらーめん」とかかれたのぼりが、夏祭りかっていうぐらい並んでいて、こんだけのぼりが並んでいるって、有名店なんじゃないかと。で、ぼくの知識不足ですが、やはり有名店みたいで、まだ朝9時だったんですが、なんと朝7時から営業していたので、入りました。朝食というより、昼食のつもりで(夕食までは何も食べない)。時間帯のおかげで店内は比較的空いてて、中麺をいただきました。麺かスープか、いや、どっちもだ。これはすごく美味しい。あっさりしたもやしも、熱々でした。
その後、ダグリ岬展望台にも行ってみました。岬からは長距離フェリーのサンフラワー号が見えて。一度、乗ったことがあります。確か、大阪に行くはず。「おお〜」って、懐かしい気持ちになりました。
志布志市役所まで訪れて、周辺を散策しようと思っていましたが、具体的にはふたつの場所へ、結果的に訪れました。ひとつは大慈寺。役所のすぐ近くにあるお寺で、境内は南国らしい木々も生えていて、でも竹もあったし、混ざっているような雰囲気でした。そして、その近くを歩いていると、「マルチョンらーめん」とかかれたのぼりが、夏祭りかっていうぐらい並んでいて、こんだけのぼりが並んでいるって、有名店なんじゃないかと。で、ぼくの知識不足ですが、やはり有名店みたいで、まだ朝9時だったんですが、なんと朝7時から営業していたので、入りました。朝食というより、昼食のつもりで(夕食までは何も食べない)。時間帯のおかげで店内は比較的空いてて、中麺をいただきました。麺かスープか、いや、どっちもだ。これはすごく美味しい。あっさりしたもやしも、熱々でした。
その後、ダグリ岬展望台にも行ってみました。岬からは長距離フェリーのサンフラワー号が見えて。一度、乗ったことがあります。確か、大阪に行くはず。「おお〜」って、懐かしい気持ちになりました。
旧有明町(志布志市)(2/6)
不思議だったのは、有明という地名ですが、市街地は内陸の開けた景色で、野菜畑や茶畑が多く広がっていました。これまでに九州でいくつか有明という地名に出会いましたが、いずれも有明海と関係していたので、それとは由来が違うのだろうなあと思います。元々の役場であろう有明支所はかなり大きくて、近くにある有明開田公園に訪れると、地元のおじいちゃんたちが花見をしていました。開田公園ということは、開田したってことですよね。公園では、遠くからホトトギスの声も聞きました。
不思議だったのは、有明という地名ですが、市街地は内陸の開けた景色で、野菜畑や茶畑が多く広がっていました。これまでに九州でいくつか有明という地名に出会いましたが、いずれも有明海と関係していたので、それとは由来が違うのだろうなあと思います。元々の役場であろう有明支所はかなり大きくて、近くにある有明開田公園に訪れると、地元のおじいちゃんたちが花見をしていました。開田公園ということは、開田したってことですよね。公園では、遠くからホトトギスの声も聞きました。
旧松山町(志布志市)(3/6)
市街地に入って、「おっ、城下町っぽいな」と感じました。屋根の様子から、城下町っぽいなあと。こんな感じで、いつも具体的な根拠までないことが多いのですが、そのあと松山城跡へ訪れたので、やっぱりそういうまちなみなのだろうなあと思います。松山城跡近くでは、桜が強風でどんどん散っていて、花びらが乾いているので、渦巻きになったり、ジグザグに風に流されたり、空から降ってきたり、自由自在でした。それで、移動しようと思っていたところで、最後に城跡を模した展望台を見つけて、危ない危ない。展望台からは、桜が舞っているのがよく見えました。
市街地に入って、「おっ、城下町っぽいな」と感じました。屋根の様子から、城下町っぽいなあと。こんな感じで、いつも具体的な根拠までないことが多いのですが、そのあと松山城跡へ訪れたので、やっぱりそういうまちなみなのだろうなあと思います。松山城跡近くでは、桜が強風でどんどん散っていて、花びらが乾いているので、渦巻きになったり、ジグザグに風に流されたり、空から降ってきたり、自由自在でした。それで、移動しようと思っていたところで、最後に城跡を模した展望台を見つけて、危ない危ない。展望台からは、桜が舞っているのがよく見えました。
旧大隈町(曽於市)(4/6)
「道の駅 おおすみ弥五郎伝説の里」と聞いたら、気になりますよね。ひとまず行ってみよう、と訪れてみる。おおー、まちだなあ、畑だなあー、と、比較的いつも通りの感じで道の駅に着きましたが、道の駅に着くとずいぶん敷地が広い。地図を見て、「弥五郎どん像」がかなり気になります。結構遠そうでしたが、歩いて向かってみました。すると、平日だけど、すんごい車の数で、どういうことだろうと考えたところ、「お花見のピークだ!」と結論が出ました。翌日には雨が降る予報だったので、ラストお花見を狙って、人が集まっていたわけです。お花見の平和な空間を抜けて、弥五郎どん像とも対面できました。想像以上に大きかったです。10mぐらい?(と思ったら、15mでした。)それで、見晴らしの良いところで女性二人がお花見をしていて、ちょっとだけ前で写真を撮ってもいいですかと声をかけたところ、「いいわよ、いいわよー!」と優しく返事をしてくださって、それから会話が進んで仲良くなりました。二人は霧島市からで、お母さんと娘さんで、お花見に来たと。母と娘の関係ですが、娘さんは実際にはお母さんの年齢で、男三兄弟、29歳、28歳、24歳の息子さんがいると。「もう、みーんな、思春期あったわよ!それをこえて、大人になっていくの!だからみんな自立してね、好きなことやんなさいって!あははー!」と、明るいお母さんでした。背中姿の写真も撮らせてもらって、嬉しかったです。
「道の駅 おおすみ弥五郎伝説の里」と聞いたら、気になりますよね。ひとまず行ってみよう、と訪れてみる。おおー、まちだなあ、畑だなあー、と、比較的いつも通りの感じで道の駅に着きましたが、道の駅に着くとずいぶん敷地が広い。地図を見て、「弥五郎どん像」がかなり気になります。結構遠そうでしたが、歩いて向かってみました。すると、平日だけど、すんごい車の数で、どういうことだろうと考えたところ、「お花見のピークだ!」と結論が出ました。翌日には雨が降る予報だったので、ラストお花見を狙って、人が集まっていたわけです。お花見の平和な空間を抜けて、弥五郎どん像とも対面できました。想像以上に大きかったです。10mぐらい?(と思ったら、15mでした。)それで、見晴らしの良いところで女性二人がお花見をしていて、ちょっとだけ前で写真を撮ってもいいですかと声をかけたところ、「いいわよ、いいわよー!」と優しく返事をしてくださって、それから会話が進んで仲良くなりました。二人は霧島市からで、お母さんと娘さんで、お花見に来たと。母と娘の関係ですが、娘さんは実際にはお母さんの年齢で、男三兄弟、29歳、28歳、24歳の息子さんがいると。「もう、みーんな、思春期あったわよ!それをこえて、大人になっていくの!だからみんな自立してね、好きなことやんなさいって!あははー!」と、明るいお母さんでした。背中姿の写真も撮らせてもらって、嬉しかったです。
旧末吉町(曽於市)(5/6)
曽於市の本庁は、旧末吉町にあります。市街地の周辺を散策しました。歩いていると、原付で移動している高校生も見かけます。鹿児島県ではたまに見る光景で、たぶん、感覚的には志布志市とか曽於市とか、この辺りで多いのかなあと思ったりします。子どもも元気一杯、自転車で立ち漕ぎしていたり、ダッシュしていたり。そうか、今は春休み。子どもの春休みは忙しい。市街地の地名を見ていても、曽於市でありながら、まだ末吉という地名は残っているのだなあとも感じられました。
曽於市の本庁は、旧末吉町にあります。市街地の周辺を散策しました。歩いていると、原付で移動している高校生も見かけます。鹿児島県ではたまに見る光景で、たぶん、感覚的には志布志市とか曽於市とか、この辺りで多いのかなあと思ったりします。子どもも元気一杯、自転車で立ち漕ぎしていたり、ダッシュしていたり。そうか、今は春休み。子どもの春休みは忙しい。市街地の地名を見ていても、曽於市でありながら、まだ末吉という地名は残っているのだなあとも感じられました。
旧財部町(曽於市)(6/6)
さあ、いよいよ鹿児島県でいったん最後、旧財部町へやってきました。都城市とすごく近くて、ここまで来ると、宮崎県ナンバーの車もごく普通に見かけます。財部駅舎は城のようなデザインで、町割りもまっすぐなので、かつてそういう暮らしがあったのかなあと。
そして、溝ノ口洞穴にも行ってみました。前回の旅でも訪れた洞穴です。ただ、宮崎方面から訪れたので、旧財部町としての土地勘は、前回はありませんでした。また、前回は洞穴の外観を見て満足したはずで、今回は洞穴が長細いということに気づいて、他にも観光客がいたので、懐中電灯を持って奥まで進んでみます。奥までかなり続いていて、こんなに立派な洞穴だったとは。最奥部にはコウモリが住んでいて、ものすんごい鳴くし、ものすんごい飛んでいきました。これはもうびっくり。しかも懐中電灯が無かったら、視界ゼロなわけです。周りに人がいなかったら、無理だと思うぐらいの怖さが十分にありました。最後にお地蔵さんにお参りして、鹿児島県の旅も、ひと区切りです。
さあ、いよいよ鹿児島県でいったん最後、旧財部町へやってきました。都城市とすごく近くて、ここまで来ると、宮崎県ナンバーの車もごく普通に見かけます。財部駅舎は城のようなデザインで、町割りもまっすぐなので、かつてそういう暮らしがあったのかなあと。
そして、溝ノ口洞穴にも行ってみました。前回の旅でも訪れた洞穴です。ただ、宮崎方面から訪れたので、旧財部町としての土地勘は、前回はありませんでした。また、前回は洞穴の外観を見て満足したはずで、今回は洞穴が長細いということに気づいて、他にも観光客がいたので、懐中電灯を持って奥まで進んでみます。奥までかなり続いていて、こんなに立派な洞穴だったとは。最奥部にはコウモリが住んでいて、ものすんごい鳴くし、ものすんごい飛んでいきました。これはもうびっくり。しかも懐中電灯が無かったら、視界ゼロなわけです。周りに人がいなかったら、無理だと思うぐらいの怖さが十分にありました。最後にお地蔵さんにお参りして、鹿児島県の旅も、ひと区切りです。
鹿児島県曽於市から、宮崎県都城市へ移動しました。数日後に旅を離れる都合があって、都城駅や西都城駅を訪れて、バイクを停められるかチェック。都城駅はむずかしそうで、西都城駅は、停められそうな気がする。翌日、市役所へ訪れて確認して、オッケーと返事をもらって、ほっとひと安心しました。バイクの駐輪場探しはいつもたいへんです。
本日のひとこと
都城市に入って、早速、チキン南蛮を食べました。はい、そうです、ミーハーです。
都城市に入って、早速、チキン南蛮を食べました。はい、そうです、ミーハーです。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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