ふるさとの手帖

市町村一周の旅

軍艦島の北東に浮かぶ高島と、長崎市街地を巡る。【旧市町村一周の旅(長崎県|1月9日―278日目)】

軍艦島の北東に浮かぶ高島と、長崎市街地を巡る。【旧市町村一周の旅(長崎県|1月9日―278日目)】

朝6時台の長崎市街地。路面電車はすでにたくさんの人が肩を合わせている。その路面電車を横目に、早足で港へ急ぐ。長崎港を出航する、高島行きの船に乗るためだ。

道を間違えて冷や汗をかいたが、出航時間に無事間に合った。ちょうど船が到着したところで、人が降りてきている。ブレザーや学ラン姿の高校生ともすれ違った。路面電車だけではなく、船にゆられて通学することも、長崎という街が持つ、ささやかな日常の一部かもしれない。

ここからおよそ30分の船旅。目指すは高島だ。

鷹巣という船に乗った。

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【81/175】

81/175
46.29%
訪れた旧市町村の数【776/2,094】
776/2094
37.06%
総計【857/2,269】
857/2269
37.77%

スーパーカブの総走行距離
21930km

旧高島町(長崎市)→長崎市、の2つ。

軍艦島とともに、炭鉱で栄えた高島。ー旧高島町(長崎市)

長崎港を出発した船は、昨日カブで訪れた伊王島を経由し、30分の船旅で高島へ着いた。伊王島から船に乗る方が距離も近いし値段も安いけれど、旅のバランスを考慮して、長崎港から訪れることにしたのだった。
船から、長崎市街地。
高島に着いた。
ぼくは今まで高島のことを詳しく知らなかった。もっと言えば、端島(軍艦島)のことも詳しくなかった。だから昨日、野母崎にある軍艦島資料館に立ち寄った。長崎市街地にある「軍艦島デジタルミュージアム」を訪れるのもいいだろう。
 
で、端島(軍艦島)の歴史が詳しく展示されていたわけだが、見ていくと、高島という島の存在も、見逃せないと感じられた。高島と端島の距離は3kmほど。島の特徴はどちらも炭鉱で栄えたこと。さらに、炭坑のはじまりでいえば高島の方が早かったこと。そして、1974年に無人島になった端島だが、高島は今もなお、人々が暮らしているのだ。

高島では帰りの船便に合わせて約1時間半、島内を歩くことにした。おそらく島を一周できるような気がしたので、ぐるっと反時計回りに進んでいく。まずは団地の雰囲気に緊張した。まだ現役のマンションもあれば、役割を終えたであろうマンションもある。いずれも、都市部にある団地マンションとは雰囲気が違っていた。8時になると学校のチャイムが鳴った。流れている時間は、生きている。
島を歩こう。
三菱財閥の創設者、岩崎弥太郎の像が建っていた。
丁寧に手入れされている。
おはよう。
高島地域センター。
時間の証。
高島炭坑、北渓井坑跡。
「北渓井坑跡」は、Googleマップに載っていない。

高島炭坑について調べていると、「北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと)」は国指定史跡かつ、世界文化遺産の構成資産なのだが、Googleマップでは検索しても出てこなかった。これは旅を通じて初めてのことだった。どれだけ時代が進んでも、Googleマップでピンされていない場所はあるのだ。一例だが、自分の足で訪れることにも意味があるかもしれない。そう思えた。

草が伸びていた。
島の西側に回ると、端島(軍艦島)(右)が見えた。
神社を見つけて参拝した。絵馬もいくつかあってとても良かった。
時間はあっという間に過ぎ、帰りの船便に乗って、長崎港へ戻った。高島は2005年まで高島町として存在していた。まだ、合併からは20年も経たない。ここにある暮らしに触れられてよかった。

長崎市街地を巡ろう。ー長崎市

さあ、高島から長崎市街地へ戻ってきた。ここからは、徒歩と路面電車で長崎市街地を巡る。有名どころが多いけれど、行きたい場所がいくつかあって、とにかく時間の許す限り、巡ることにする。

長崎港に戻ってきた。
いつか行けるといいな。
出島辺り。今は島ではない。
長崎新地中華街。
長崎市のまちなみ。
大浦天主堂へ。

大浦天主堂は正面から見たことはあったけれど、中に入ったことがなかった。入場料を支払って訪れよう。

入口の少し先で、三世帯の家族連れがいて、写真を撮ろうとしていたところ、全員が写らないので声をかけて撮ってあげた。「実は……」と言われて伺ってみると、一緒にいたおじいさんとおばあさんは、50年前にここで、結婚式を挙げたそうだ。

「だから、50年経った、ビフォーアフターの写真なんです」と。

なんて大事なタイミングだ。教会とご家族を、なんとか無事に撮れたと思う。

教会の中は撮影禁止だ。そして、同じ敷地内に博物館があって、日本とキリスト教の歴史に触れることができた。たとえば、信徒発見から禁教が完全に解かれるまで、20年ほどの歳月があることに気づいた。この20年間、今想像すれば何も感じなくても、当時を生きていた人々からすれば、とても長かったはずだ。そういうことを、ほかにもいろいろと感じた時間だった。


その後、昼食をどうしようかと思っていたところ、ちゃんぽんと皿うどんの発祥のお店である「四海樓」を見つけた。とても有名なお店のに、ほんとうに、偶然近くで出会った。

立派な建物の5階へ進み、平日だったので待たずに案内してもらえた。しかも、窓際のいい席に。すごく広いし賑わっている。スーツ姿のお客さんも多かった。隣の席には、日本人美女とインドのイケメン俳優みたいな人がいた。

奥にはクルーズ船だ。
四海樓(しかいろう)へ。
ちゃんぽんだ!

ちゃんぽんと皿うどんのどちらにするか迷って、ちゃんぽんにした。太麺でクセがなく、キャベツも食べやすい大きさで、すんごく美味しくて感動した。やさしい味だ。何度でも食べたくなる。

クルーズ船の窓。
ちゃんぽんミュージアムにも寄った。

昼食の後、今度は路面電車に乗って、平和公園へ向かった。長崎に何度か来たことがあっても、平和公園や長崎原爆資料館へ訪れたことがなく、ずっと心残りだった。

路面電車の路線で迷っていたら、地元のおばさんが様子を見て察して、「あなたこっちよ!」と案内してくれた。地元の人がやさしい。

平和公園に着くと、人で溢れかえっていて、7割ぐらいがおそらく中国の人だった。さっきの豪華客船の人たちなのかな。時間帯や日によっても、全然違うのだろう。混み合っているので、サッと離れることにした。

平和公園へ。
平和祈念像。
その後、長崎原爆資料館へ行く前に、爆心地を訪れた。「原子爆弾落下中心地碑」の石碑が建っている。こちらは平和公園とうってかわって、ほとんど人がいなかった。ぼくよりも先に、二人の女性が石碑の前で手を合わせていて、それからぼくも手を合わせた。そのとき、ひとりだけ外国人男性が遠くにいた。
 
手を合わせたあと、少し周辺を歩いて、原爆資料館へ行こうとしたとき、さっき遠くにいた、外国人男性が石碑の前に来ていて、日本人と同じように手を合わせていた。どこの国の人かはわからない。とにかく、その男性の心を感じた。
 
その直後だった。男性は、静かに合わせた手を下ろし、わずかな間を置いて、風の音が聞こえるようなスピードで敬礼をした。鳥肌が全身を走った。遠目なのに涙が出そうになった。平和公園では、楽しげに記念写真を撮っている人が多かった。だからこの男性に出会ってうれしかった。平和を切に願う心に、国籍は関係ない。とにかく、“人”なのだ。そう思った。
そして、長崎原爆資料館を見学した。写真は撮らずに展示を見ていった。もちろんいろいろ感じた。広島のことも思った。
 
永井隆博士の「平和を祈る者は針一本も隠し持ってはならぬ。武器を持っていては平和を祈る資格はない。」という言葉が、印象的であった。
長崎原爆資料館。
今度は浦上天主堂を訪れた。とても大きな教会だ。中に入ると、緻密なオルガンの曲が流れていて、映画の世界にいるようだった。
 
教会を出る間際、受付の方に「流れている曲は、讃美歌でしょうか?」と聞くと、
 
「今、練習されている方が弾いている曲なので、曲名はわからず……」
 
録音だと思っていた。まさか、生演奏だったんだ。気づかないぐらい、一切の乱れのない演奏だった。背筋が伸びた。
浦上天主堂。
最後に、再び路面電車に乗って、亀山社中記念館を目指した。新大工町駅で降りて、徒歩で坂を登っていく。偶然、上野彦馬の撮影局跡地も通った。日本初の営業写真館だ。上野彦馬は知っていたし、この跡地に訪れたこともある。今回は偶然通りがかってうれしかった。
 
そして、亀山社中記念館では坂本龍馬を中心とするエピソードが紹介されていた。坂本龍馬が長崎で過ごした時間は短いけれど、地元の人たちにこれだけ愛されているのは、やはりすごいと思うばかりだった。32歳で亡くなったのに、途轍もない活動量だ。
 
帰り際、受付の方が「写真を撮りましょうよ!」と、龍馬の写真が印刷された撮影可能な箇所で、写真を撮ってくれた。
 
それだけではなく、
 
「知られていないですけれど、こっち(反対)の柱には、龍馬がよくもたれかかっていたそうです。当時と変わらず、木は160年以上前の柱です」
 
と、反対側で別カットも撮ってくれた。片足を立てた状態で座ってください、模擬刀はここです…、と知られざるポーズをあれこれ指示してもらって。
 
「昨日は人が多くて、写真を撮る余裕もなかったんですよ」
 
と言われながら、不思議と龍馬の写真をたくさん撮ってもらったのだった。
再び移動。
上野撮影局跡。
よっ。
亀山社中記念館へ。
この写真と同じポーズと、別のポーズも撮ってもらった。

そして、昨日と同じくROUTEさんに宿泊した。振り返れば振り返るほど長い1日だった。

夜はROUTEのオーナーさん、スタッフさんと一緒に皿うどんをいただいた。皿うどんは家庭用で当たり前のごとく売られているそうだ。袋に入った麺を少し手で割って皿に盛り付けて、餡をかけるのが地元流だと。

やってみたけれど、結構ぎこちない。それからは一緒にいろんな話をして、とても楽しい夜でした。ありがとうございました

「家庭用の皿うどんです」
「餡は家庭ごとに、オリジナルです」
「バリバリと割って盛ります」
「そこに、餡をかけます」
「美味しい!!」
カステラもいただきました。
本日のひとこと
明日は朝一番で、五島列島へ行きます。

(終わり。次回へ続きます)

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