今日は、松浦市から佐世保市へ。
松浦市に加えて、世知原、吉井、江迎、鹿町、小佐々……といった佐世保市の旧町も巡ります。
どんな景色が広がっているのかな。
それでは振り返っていきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【81/175】
訪れた旧市町村の数【763/2,094】 総計【844/2,269】スーパーカブの総走行距離
21620km
お茶の産地のまちなみ。ー旧世知原町(佐世保市)
松浦市から次のルートを決めるとき、3パターンあるぞと思って、どういう巡り方にするか直前まで考えていた。
ひとつは平戸市の旧田平町を通って、国道204号線沿いに旧江迎町に入っていくこと。道が安定しているけれど、やや大回り。
ふたつめは峠から旧吉井町に入ること。峠越えは比較的しやすそうだが、旧吉井町からは東西に巡る必要がある。
みっつめは峠から旧世知原町に入ること。峠が大変そうだが、次のルートは組みやすい。
と、比べてみて、今回は旧世知原町を目指したのだった。ルートの流れがスムーズになると、やはり全体の流れを捉えやすいから。
うねうねした坂を登ってようやく峠を越えると、旧世知原町に入った。友人からは「お茶の産地だよ」と教えてもらっていて、茶畑に出会えるといいなと思っていたが、運よく見つけられた。近くにはグループホームの看板があり、その施設の名前もお茶が由来になっていたのだった。
世知原支所へ訪れて、市街地を散策していく。徒歩で通れる緩やかな坂道があって、そこだけタイル調の路面に変わり、服屋や肉屋、昔ながらのお店が並んでいた。昔から続く商店街だと思う。
ほかにも炭鉱資料館や石橋がある。倉渕橋という石橋を訪れてみると、生活路になっており、普通に走っていたら気づかないと思った。今も暮らしに溶け込んでいる姿は、とてもいいなあと思う。
牧の丘公園と福井洞窟へ。ー旧吉井町(佐世保市)
もう一箇所、福井洞窟という史跡を訪れた。洞窟の前には福井川が流れており、その浸食によってつくられた洞窟だ。旧石器時代から縄文時代にかけての出土品があり、洞窟を利用した旧石器時代の人々の暮らしも認められていると。
福井洞窟の目の前には小さな神社があり、お供え物のミカンが神棚に合わせた小さなミカンで可愛らしかった。そして、洞窟の岩石は反り立つ壁のような断崖で、岩の上には木々が生い茂り、緑も深く、その緑が崖の表面をも覆っていたのだった。
江迎川の河口に広がるまちなみー旧江迎町(佐世保市)
旧江迎町はその江迎川の河口近くに広がるまちだ。川幅も広くなっていて、集落は山に囲まれていながらも平地が多い。
寿福寺という寺へ訪れると、江迎のまちなみをのぞむことができた。ローソンも茶色のデザインで、まちなみが大切にされていると感じられる。バス停では高校生がたくさん、平戸方面のバスに乗っていった。
長串山公園から海をながめよう。ー旧鹿町町(佐世保市)
そういう時間だ。
海の向こうには遠くに平戸の島影も浮かんでいた。
駐車場に戻ると、ベンチで家族連れが楽しそうにお昼ご飯を食べている。もちろん駐車場も眺めのいい場所だ。ここでランチかあ、いいなあ。
日本本土最西端の地。ー旧小佐々町(佐世保市)
旧小佐々町には「日本本土最西端の地」こと、神崎鼻公園がある。ここに来たのは数日前のことで、連れてきてくれたのは大学の友人だった。
友人が佐世保市の出身で、年始ということもあって久しぶりに会うことができたのだ。数年ぶりなので会って話せるだけでも大満足だったけれど、せっかくだからと神崎鼻公園まで連れていってくれた。ここに来るのは初めてだ。
「日本本土最西端の地」と書かれた石碑や看板がいくつかあり、ほかの極地も紹介されている。
最北端は宗谷岬(北海道)、最東端は納沙布岬(北海道)、最南端は佐多岬(鹿児島県)だという。これらはそれぞれカブで直接訪れたことがあった。
「あっ、じゃあこれで、ぜんぶ行ったことになった!」
期せずして日本本土の四極を、すべて訪れることができたのだった。楽しい時間をありがとう。
そして、今日はカブでも旧佐々町に入った。今度は市街地周辺を意識的に走ってみる。
集落から外れた静かな水辺、車もあまり通らない道を、仲良しそうな男子高校生三人組がゆっくりと下校していた。彼らが進んでいた方向を先に進んだけれど、そこにはしばらく家がなく、何もない道があるだけ。
ああ、彼らは三人でしばらく一緒に帰るのだろうなあ。でも、まったく飽きないのだろうなあ。何時間でも一緒に歩けるんじゃないかな。そんなことを思った。何気ない時間が宝物だと思う。
展海峰や早岐瀬戸へ。ー佐世保市
さて、ずっと佐世保市を巡っていたけれど、合併前から佐世保市だった地域にも戻ってきた。
市街地はすでに巡っていないこともないので、無理をする必要はないし、天気も曇っていたので、市街地で作業をしようかなと最初は思っていた。
ところが。
九十九島の展海峰へ分岐する道を素通りした直後に、晴れ出したのだ。
まじかっ、と思った。
コンビニがあったのでそこですぐにカブを止め、空の様子を確認し、このあとすぐに曇るだろうかと考える。
これは、晴れだな、と思う。
だったら、行くでしょう! と。
Uターンして、展海峰へ向かった。
途中の住宅街の風景もとても良くて、この景色を見ないままに佐世保を離れようとしていたのだなあと思った。でも、出会いはそうした判断の連続なので、ほんとうは悔いる必要もない。だから、ただ晴れてくれてありがとうと思った。
展海峰からは九十九島の景色を気持ち良く一望できた。おばあさんと娘さんのお母さんが二人で展望台へやってきて、お二人の写真をスマホで撮ってあげると、少し会話が生まれて、同郷の岡山から来た人たちだった。お互いにこの景色を見られてラッキーですね、と。
展海峰を降りてからは、すぐに曇った。もちろんそれはぼくの先入観だと言ってしまえばそれまでだ。言い方や捉え方はいくらでもあるけれど、でも、とにかく晴れた展海峰に来られて嬉しかった。
最後に、早岐(はいき)の観潮橋にも行った。
早岐瀬戸といって、潮の満ち引きによって流れが変化する、まるで川のような瀬戸だ。
大村湾と海を結ぶ瀬戸は、早岐瀬戸と針尾瀬戸の二ヶ所しかない。この二つの狭い瀬戸が、時に潮の流れをダイナミックに動かす。
ぼくが訪れたときは、大村湾に向かって海水が流れていた。別の映像を見ると、逆方向に海水が流れ出ているときもある。自然の作りだす動きに驚かされた。
というわけで、今日の散策はここまで。たとえば世知原は山の気配だけれど、そこから東に行けば行くほど海のイメージが強くなるし、雰囲気もまるで変わった。ひとことに佐世保市といっても、ほんとうに広いなあと思った1日でした。
佐世保市周辺は佐々町のみ、合併せずに今も市町村として残っています。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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