今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【74/175】
訪れた旧市町村の数【660/2,094】 総計【734/2,269】スーパーカブの総走行距離
19300km
炭鉱のまちに思いを馳せる。(2023年11月29日(水)―237日目)
今朝まで鞍手町のご家族にお世話になり、ご夫婦それぞれの出勤をお見送りしたあと、ぼくも出発した。6時半から7時ぐらいの間に家を出られるので、やっぱり自分もがんばんなきゃなあと思う。たくさんお世話になりました、ほんとうに素敵な時間をありがとうございました。
今日は宮若市から飯塚市まで進んでいった。それでは振り返っていこう。
旧若宮町(宮若市)
宮若市は「旧若宮町」と「旧宮田町」が合併している。どちらも名前に「宮」がついていて、“若宮”は“宮若”とも名前が混同してしまいそう。後に訪れた宮若市石炭記念館で教わったのだけれど、「旧若宮町は農村で、旧宮田町は炭鉱のまちでした」と。今は同じ宮若市でも、暮らしの特徴には違いがあったわけだ。
工場団地を抜け、市街地からやや離れたところにある、竹原古墳を訪れた。古墳というものはだいたい、ひらかれた公園のようになっていて、自由に出入りできることも多いが、竹原古墳は調べたときにはっきりと営業時間が9時からと書いてあった。
駐車場に着くと、管理棟のような建物があり、そこに「受付」の張り紙がある。なるほど、管理棟で入場料を支払う仕組みですね。建物に入ると暖房の効いた室内からおじいさんがでてきて、入場料を支払い、「それでは一緒に行きましょう」と。
諏訪神社の石段を登ると左手には確かに古墳が見える。その横にさらに小さな建物があり、おじいさんがシャッターを開けると、大きな液晶画面が現れた。「まずは5分間の映像を見てください」とおじいさんは言ったけれど、10分ぐらいあったように思う。竹原古墳に関する歴史的な背景を知った。
その後、いよいよ古墳内の壁画を見せてもらった。建物の中に、四つん這いになって進ほどの小さな扉があって、厳重に鍵がかかっており、それをおじいさんが開けてくれた。ただ、ここから先は撮影禁止だ。カメラバッグを置いて、四つん這いで扉の中を進むと、ガラスの扉に差し掛かり、その奥に古墳時代の本物の壁画を見ることができた。鳥肌ものであった。
約1500年前の古墳時代に、豪族の遺体が安置されたと思われる横穴式石室で、その壁に見事な装飾壁画が今もなお残されているのだ。単色ではなく、淡い橙色の顔料も使われていて、その色味にも感動した。高さ3メートルもある壁にくっきりと馬や波、人物が描かれていた。その大きさにも驚かされると同時に、空間全体が持つ時代を凌駕した雰囲気に、圧倒されたのだった。レプリカでもなく本物の壁画だったからこそ。
旧宮田町(宮若市)
次にやってきたのは旧宮田町。ところどころ、斜面に住宅地がびっしりと並び、暮らしの気配を感じさせる。最初に宮若市役所を訪れたあと、宮若市石炭記念館を訪れた。
筑豊地域にはいくつか石炭記念館があるけれど、ここでは「貝島炭鉱」の歴史にスポットを当てた展示を見ることができた。説明文の手書き文字が、独特の統一された柔らかいフォルムで懐かしさを感じさせる。
炭鉱の暮らしには栄枯盛衰があり、みんなで生きた喜びも、誰かが亡くなってしまった悲しみも、いろんな喜怒哀楽がここにはあったのだなあと、展示から思いを馳せた。
最後に、職員のおじいさんからも話を伺った。その方曰く、貝島炭鉱で感心するのは、従業員の子どものために学校を5つ作ったこと。石炭記念館があるこの施設も、元々はその5つのうちのひとつの学校だった。さらには奨学金を整備したり、昔は東京にも寮をつくったり、教育的なサポートにも努めていたのだと。
そして、その方が宮本常一さんが好きだというので、しばらくその話でも盛り上がってしまったのだった。いい話をたくさん聞くことができた。
旧頴田町(飯塚市)
宮若市から小竹町を通過して、飯塚市の旧頴田(かいた)町へやって来た。遠賀川の右岸に小さなまちが広がっている。お昼時だったので、近くで良いお店がないかなと探してみたら、ラーメン屋さんもあったけれど、うどん屋さんの方が気になって、寄ってしまった。店内は幅広い客層で賑わっているし、お店のホールを仕切るおばさんたちの姿もかっこいい。値段もリーズナブルで美味しいし、福岡県ですっかりうどんの虜になってしまった。
そのあと頴田支所周辺を訪れた。ひっそりと暮らしが佇んでいる。大きな住宅団地の姿もあった。
旧庄内町(飯塚市)
旧頴田町から南下し、旧庄内町を訪れた。市街地に向かう前に、国道201号線の交差点を左に折れる。この道をまっすぐ進めば烏尾峠を越えて、糸田町に入るのだが、今回はその手前に広がっている筑豊緑地へ。サッカー、野球、テニス、様々なスポーツ場が緑地一帯に点在しているようで、規模の大きさが伝わってくる。ザ・リトリートというスポーツ&ウェルネスのグランピング施設もあるようだった。広い敷地でありながらも、池が多く点在していることで、水を見ているととても心が落ち着く。
庄内支所の周辺部も訪れた。山が東側に広がり、西側には庄内川があることで視界も広い。近くの住宅街は新旧どちらの住宅も見受けられた。
旧穂波町(飯塚市)
最後にやって来たのは、旧穂波町だ。再び国道201号線に戻り、それを西に向かって進み遠賀川を渡ると、旧穂波町に入る。その国道201号線からは、遠賀川を渡ってまもなく山が見える。木々が生い茂り、一見何の変哲もない普通の山に見えた。でも、この山はかつて「ボタ山」だった。鉱山を掘り進めて出た土が積み上がった、人工的な山なのだ。
事前にそこにボタ山がある、とわかった上で訪れたから気づいたけれど、何も知らなければ、気づきようがないなと思った。山の麓にある忠隈山の神公園を訪れる。子どもたちが楽しそうに遊んでいて、親御さんがその様子を見守っていた。100年も満たないうちに、山の麓の姿は変わっている。
そして、穂波支所の周辺を散策していると、かつてはこの辺りが「長崎街道」であったと石碑が立っていた。小倉から長崎までのルートが通じている。たくさんの人がここを歩いたのだろうなあ、すごいなあとただ思うばかりだ。
というわけで、今日の散策はここまで。日々、新しい景色に触れる機会があることに感謝です。
<旅を応援してくださる方々へ&関連ページ>
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
二見書房編集部noteのページはこちら
旅についての心境を、週に一度日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。
日本加除出版noteのページはこちら
旧市町村で気になったまちのことについて、月に一度まとめています。本文は『戸籍時報』でも連載中です。
ストレートプレスのページはこちら
トレンドニュースサイトのSTRAIGHT PRESS(ストレートプレス )にて、旧市町村をひとつずつまとめた記事を連載中です。
LEAVE A REPLY