ふるさとの手帖

市町村一周の旅

つがる市と五所川原市の旅。木造や車力の変わった地名と、太宰治疎開の家。【旧市町村一周の旅(青森県|8月13日―129日目)】

つがる市と五所川原市の旅。木造や車力の変わった地名と、太宰治疎開の家。【旧市町村一周の旅(青森県|8月13日―129日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【49/175】

49/175
28.00%
訪れた旧市町村の数【404/2,093】
404/2093
19.30%
総計【453/2,268】
453/2268
19.97%

スーパーカブの総走行距離
10605km

旧柏村→旧森田村→旧木造町→旧稲垣村→旧車力村→旧金木町、の6つ。

つがる市と五所川原市の旅。木造や車力、変わった地名と、太宰治疎開の家。(2023年8月13日(日)―129日目)

津軽半島は西側を日本海、北側を津軽海峡、東側を陸奥湾と、3つの海に囲まれた地形だ。そして、今日訪れたつがる市や五所川原市の多くは、津軽平野に位置している。

津軽平野はかつて広大な湿地帯であり、亀ヶ岡遺跡や田小屋野貝塚といった、縄文時代の史跡も確認されている。海と津軽山地に挟まれた地形で今日も風が強かった。冬であれば厳しい気候が待っているように思われた。

それでも、ここには2000年をはるかに超える歴史がある。ぼくごときの小さなまなこで1日観察したところで、深淵までは覗けないだろう。その前提をもって、お邪魔させてもらった。

旧柏村(つがる市)

最初に訪れたのは、つがる市の旧柏村だ。2005年まで存在していた小さな村で、鶴田町や五所川原市と接している。住宅地はいくつかまとまりがあって、それ以外は広大な田園風景が広がっていた。遠くの岩木山は、雨が降っているようだった。

それに、イオンモールにつがる市図書館があって、新鮮だった。パチンコ屋に郵便局が入っているケースは見たことがあるけれど、イオン内に図書館は初めてだった。北海道のコンビニ・セイコーマートがインフラを守っているように、イオンがそうした方向性へ進んでいくこと、いや、そうした方向性へ進んでくれるのなら、といったことを考えさせられた。

柏分庁舎。

みうらじゅんさんは、本数の少ない路線バスを「地獄表」と表現している。

遠くに岩木山。

イオンと図書館。

旧森田村(つがる市)

次にやって来たのは旧森田村。旧柏村と同じく小さな村だったけれど、2005年に同じくつがる市になった。

そして、森田には「つがる地球村」という施設がある。宿泊施設、温泉、レストラン、アウトドア施設、スポーツ施設、バーベキュー場、5千人収容の野外イベント会場と、複合的な施設だ。地球村の看板を見る機会はたくさんあったし、今はお盆だから、すごく賑わっているのかもしれない。

森田支所を訪れると、石碑に森田村の「百周年を寿(ことほ)ぐ」と彫られた石碑が建っていた。今から百年後、日本はどうなっているのだろう。

森田支所。

森田村は約116年間続いた。
つがる地球村も近い。
陸奥森田駅へ。
猫さん。

地域猫も数匹いた。

道の駅もりたにて。メロンだ。
旧増田家住宅母屋。

津軽の立派な家は、とにかく大きい。よくこれだけの大きさの建物が…という印象を強く受ける。

旧木造町(つがる市)

次にやって来たのは旧木造町。「きづくり」と読む。面白い名前だなあと思うと同時に、木造りには有名な亀ヶ岡遺跡がある。と、自分で「有名な」と言っておいてだけれど、亀ヶ岡遺跡については、聞いたことのある名前だなあと長く思っていた。要はおぼろげだったわけで、ただ、木造駅に行くと、スッキリ解決したのであった。巨大な遮光器土偶が駅にめり込んでいたのだ。

遮光器というのは、北極圏で暮らすイヌイットなどの北方民族が、雪の光避けにつくったサングラスのような道具で、その道具と、土偶の目が、似ていることから遮光器土偶と名付けられている。調べてみると、確かにとても似ていた。

木造駅を訪れたあと、亀ヶ岡遺跡へ。木造駅で見た静岡ナンバーの車も停まっていた。案内所に入るとボランティアの方がいて、丁寧に説明をしてくださった。あれ、そうなんだと気づくことも多くて、どうやら先日は三内丸山遺跡に行ったというのに、全然わかっていないのだなあと感じられた。三内丸山遺跡は縄文中期、亀ヶ岡遺跡は縄文晩期だとされているようで、年数でいえば全然違うわけだ。

仮に縄文時代の終わりを紀元前400年ぐらいだとして、ぼくが毎回70歳生きられると仮定しても、まるっと30回以上生きてきて、ようやくその頃に逆戻りできるかどうかだ。人間の命はなんて短くて儚いのだろう。

木造駅だ。
どどん。
迫力満点の大きさだった。

縄文遺跡案内所。
縄文時代の約1万年という時間の長さ。

遺跡も歩いた。わかりやすい史跡が残っているわけではなく、気配を感じていくスタイル。

縄文人の姿を、イマジン、イマジン。

旧稲垣村(つがる市)

次に向かったのは旧稲垣村。内陸の平野が広がっていた。それでもかつては湿地帯だったはずで、開拓をした人たちがいるということだ。

樹齢千年を越えるという、タモの木も見た。津軽は開拓の歴史であって、千年のうち人間はどれぐらい、この木を見てきたのだろうと。

建物が、津軽らしいなあと。

樹齢千年を越える、一本タモの木。
木も何を見てきたのかな。

津軽山地に雲が乗っていた。

旧車力村(つがる市)

次に訪れたのは旧車力村。進撃の巨人を読んだことのある人は、「車力の巨人」が思い浮かぶかもしれない。旧車力村は読み方も進撃の巨人と同じで、「しゃりき」だ。いや、むしろ、旧車力村には100年を越える歴史があるので、大先輩だろう。

前回の旅では高山稲荷神社という赤い鳥居が連なる神社を訪れたけれど、今回は村の中心部を訪れた。むらおこし拠点館というのがあったので、そこで昼食に。特産のごぼうを使った「つがるごぼう餃子」というメニューが気になって注文してみると、生姜も効いた優しい餃子だった。

むらおこし拠点館。

つがる市産のスイカがたくさん並んでいた。
とろろうどんと、ごぼう餃子。ごぼうを感じられる餃子って嬉しいなと。

旧金木町(五所川原市)

そして、最後にやって来たのは五所川原市の旧金木町だ。「旧」という表現をしなくても、金木は広く知られた町かもしれない。理由はもちろん、太宰治の故郷だからだ。

太宰治に触れる場所として、最も有名な施設は「斜陽館」である。かつての旅でも訪れた。今回再訪してもいいけれど、それは太宰に触れたフリをしているような気もして(もちろん、どこへ訪れてもフリであることに変わりないのだけれど)、芦野公園と旧津島家新座敷を訪れた。芦野公園は太宰治の銅像もあるが、静かな公園だった。旧津島家新座敷は、太宰治が戦時中に疎開した居宅で、唯一現存する邸宅である。斜陽館と違って観光客は少なかったが、同じこの空間で太宰が1年4ヶ月過ごしていたという事実は、とても不思議に感じられた。

芦野公園。

津軽三味線発祥之地。津軽三味線は金木で生まれている。生みの親は目が見えなかった仁太坊という人物だ。生きるための芸として、津軽三味線の叩き奏法が生まれた。

太宰治の銅像も。

有名な斜陽館。駐車場もいっぱいだ。
産直メロス。どストレート。
横から斜陽館。やはり、ものすごい立派な建物だ。

そして、太宰治疎開の家 旧津島家新座敷を訪れた。写真はほとんど撮っていない。館内に貼られた太宰の言葉が、とても良かった。
旧津島家新座敷を外から。

金木庁舎。

天邪鬼なので、これから太宰治の故郷の話が出たら、斜陽館もいいけれど、と前置きをして、疎開の家を勧めそうな気がする。縦書きの原稿用紙や言葉たちが、いい部分を抜粋しているなあと、ストレートに良かった。生身の人間を感じた。


というわけで、今日の散策はここまで。雨に降られることもなく、最高気温も30度以下だったので、比較的動きやすかった。初めて訪れる場所は新しい発見があり、もう一度行く場所は別の角度から触れることができて、つくづく、ありがたい旅だなあと感じるばかりだ。

本日のひとこと
ホームセンターのコメリで「電池ありますか?」と店員さんに聞いたら、「でんぢ?↑、でんぢ↑はレジ前ですね」と、アクセントが「で↑んち」ではなくて、「でんぢ↑」と尻上がりで、心の中が燃えた。
(終わり。次回へ続きます)

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