今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【49/175】
訪れた旧市町村の数【390/2,093】 総計【439/2,268】スーパーカブの総走行距離
10115km
五所川原の巨大な立佞武多(たちねぷた)に出会えた。(2023年8月4日(金)―116日目)
昨夜、初めて青森ねぶた祭りを見れたのはとても嬉しいことで、宝物のような体験だったけれど、青森県はまだまだ広い。もっともっと進まなきゃ。
早朝からではなく、お昼前から旅を進めた。青森市から藤崎町を巡って、夜は五所川原市の立佞武多(たちねぷた)へ。いろいろなねぶた(ねぷた)の祭りが青森では行われているけれど、立佞武多はものすごく巨大なのだ。そのことを知ってはいたけれど、実際に出会うと、もう、大きすぎてとんでもないと思った。
それでは順に、振り返っていこう。
青森市
最初に訪れたのは、青森市の三内丸山遺跡。まだ訪れたことがなかった。この集落は約1500年にわたって存続したと言われていて、縄文時代という時代の凄みを忘れてはいけない。
遺跡は景色も気持ちよくて、展示は丁寧で子ども大人も楽しめて、見事な施設だった。
そして、次に三内丸山遺跡近くの青森県立美術館で、生誕120年による棟方志功展を見た。展示のことは直前まで知らなくて、先日ねぶたを観に来られていた方に、おすすめしてもらっていた。
棟方志功。名前はすごく聞いたことがあるけれど…と、半生や作品について、今までほとんど知らなかった。そして、そのまま入ったら、面食らってしまった。黒と白を中心とした板画(版画)の作品群、こんなにも飽きないとは。あまりに気持ちのいい展示だった。民藝の柳宗悦とのつながりも興味深かった。でも、満足だけしちゃあダメだ。エネルギーに変えていかなきゃ。カメラをロッカーに入れて展示を見たので、写真はほとんどないけれど、いつも以上に時間がかかったと思う。
旧浪岡町(青森市)
そして、青森市は2005年に南津軽郡の浪岡町と合併して、現在の姿になっている。旧浪岡町を訪れると、やはりここにもひとつのまちがあった。
道の駅で昼食に、青森県産のりんごを使ったカレーを食べてみた。ほんのりとりんごの味がした(ような)。とかく美味しかった。
加えて浪岡城跡と浪岡駅周辺も訪れた。城跡はダンジョンのようで、浪岡駅はとても綺麗だった。
旧常盤村(藤崎町)
次にやって来たのは、旧常盤(ときわ)村。合併前までは、県内で2番目に小さかったまちだ。常盤出張所や北常盤駅など、小さな暮らしを歩いてみた。
藤崎町
そして、次に藤崎町を訪れた。町役場に行ってみると、駐車スペースに対して停まっている車がずいぶん少なくて、閑散としていた。もしかして、お祭りで人がいないのかな、と思ったり思わなかったり。
五所川原市
そして、いよいよ五所川原市の立佞武多を観に行った。いろいろな種類の立佞武多やねぶたが、五所川原のまちを練り歩く。
何より、大型立佞武多は背が高いのが特徴で、かつて立佞武多の館で本物の山車を見上げたこともあったが、展示で見たときの山車と、実際に動く山車は、もう、別物だった。まちなみに対して、比率がおかしいのだ。なんという大きさだろうか。
西日に照らされて堂々とまちなかへ入場してくる山車たちの様子を、口をあんぐり開けて見上げるばかりだった。今年が初陣だという素戔嗚尊(すさのおのみこと)も揃って、巨大ネプタが3台揃った姿は、シンゴジラやウルトラマンの世界にいるかのようで、NARUTOなら口寄せの術によって対峙した、大蛇丸のマンダ、綱手のカツユ、自来也のガマブン太のようであった。
青森市のねぶたとは掛け声も演奏も違っていた。「ラッセラー!」ではなく、「やってまれ!」の掛け声で、リズムもちょっとはんなりだ。それに合いの手で「はっ!」と何度か挟むところが、すごくお洒落で。踊り方もチームごとに違っていた。ねぶたが「ますらおぶり」なら、立佞武多は「たおやめぶり」かなあと思ったりもした。
青森県は今、ほんとうに一日一日が夏である。
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