ふるさとの手帖

市町村一周の旅

初めての長岡花火へ。【旧市町村一周の旅(新潟県|8月2日―118日目)】

初めての長岡花火へ。【旧市町村一周の旅(新潟県|8月2日―118日目)】

地元で記憶に残るほどの大きな花火大会は無かったから、花火大会というものは、どこか遠くで華やかに行われている存在で、それをテレビのニュースで見るものだと思っていた。SNSやYoutubeが発達してからは、全国の花火大会の様子が次々と流れてきて、それでも、それをネット上で眺めるものだと思っていた。

それが今、旅に出ているので、自由にどこにでも行くことができる。ただ、当然多くはないお金には限りがあるし、旅の行程もあるし、「花火大会はその場で出会えたらいいな」というスタンスを取っていた。

でも。その偶然を待つ状況を変えてくれたのは、半年以上前、まだ旅を始める以前に連絡をくれた高校の後輩だった。ひとつ年下の女の子で、吹奏楽部で熱心に練習に励んでいた真面目で優しい女の子。大学も東京だったので、展示に来てくれたり、都内を巡ったりしたこともあった。

その後輩が、今は新潟県の長岡市で働いていて、「よかったら長岡花火を見に来ませんか?」と誘ってくれたのだった。一年前に長岡花火を現地で見て、心から感動したと。

デート!? と思うかどうかは自由だが、その後輩が東京で所属していた吹奏楽団の団長ご夫婦と、お父さんも地元の岡山からはるばるお越しになっていて、大人数での観賞だった(その場ではじめまして)。

動き方もちょっとだけ地元流だった。駅から一直線に歩いて行くのではなくて、一旦後輩のおうちで休憩と準備を整えて、気温が下がってきた頃合いに出発する。地元の方たちも行動は焦らずゆっくりで、“通”な長岡花火に、初心者ながら混ぜてもらった気持ちで楽しかった。

もし、長岡花火の何がどうだったのかと聞かれたら、最初に浮かぶ答えは、

「河川敷の群衆が凄かった」

かもしれない。徐々に混み合って、汗だくになりながら河川敷を登り終えたとき、目の前に広がる世界は、信濃川の河川敷を埋め尽くす圧倒的な大群衆だった。見渡す限り、という言葉を人混みに対して使うなんてあまりないけれど、遮る建造物もなく、遠くまで景色がひらけているので、その遠い先まで果たして何万人がいるのだろうと、クラクラする人間の数だった。西高島平の集合団地の人たちが全員集合しても、ここまでは集まらないんじゃないか。これだけの人がいれば、独裁者の権力にも勝てるんじゃないか。人間の数という力を感じた。

席には開始の数分前に着いたので、それからはあまりに一瞬の出来事だった。最初に打ち上げられた3発の花火が、会場を静寂と興奮へいざなう。1945年の空襲では、1488名の命が失われた。そこから復興へと立ち上がり、手を取り合い、再び力強く長岡の人々は生きてきた。そして、花火大会がいつもそばにはあった。最初の3発に「慰霊」「復興」「平和」への願いを込めて、花火が打ち上がる。2023年の長岡花火がはじまった。

信じられない速さで花火大会が半分を過ぎたところで、先に帰らせてもらった。皆さんにご挨拶をして、終電の時間に遅れないように。もちろんとても名残惜しかったけれど、最後までここにいたら、絶対に終電で無事に帰れないと確信できるぐらい、人が多かったから。それでも帰りの電車はとても混雑した。帰り道、大きな音が何度もこだまして、振り向くと花火が建物を軽々と越えていた。前を向いて駅に進んでいても、目の前がピカピカ光った。すべてが圧倒的で、誰一人、この花火を見て後悔する人はいないと思った。

この素晴らしい花火を撮るには、ぼくはまだまだ力不足で、肉眼で見た花火を超えることはできないと思った。一枚の写真も動画も撮らずに、すべて眼で見ている人がいたら、きっとその人はほんとうに花火を見ている。ただ、人間はすべてを記憶できないから、思わず撮りたくなってしまうし、それでいいのだ。

実家の父や母や兄に、この花火を間近で体感してもらえたら、どれだけ幸せだろうと思った。後輩はそれに似た気持ちで、ぼくを長岡花火に誘ってくれたのだとも思った。もちろん、日本中の1億人が長岡に集合することはない。そして、花火大会は全国各地でひらかれている。今、台風で悪天候の地域もあるけれど、夏祭りは日本列島を駆け抜けている。

ハレとケがあれば、誇りがあれば、喜びがあれば、そこに大輪の花が咲く。花火が地上を明るく照らした瞬間、何度か観客席の方を見ていた。そのときの子どもも、若者も、大人も、同じ空一点を見つめて、口をポカンと開いて、眼をキラッキラに輝かせて、喜びが魂から溢れている表情は、生きる喜びそのものだと思った。

山下清が長岡花火を見て、有名な言葉を残している。

「みんなが 爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて起きなかったんだな」

2023年の今も、決して変わらない言葉だ。

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