今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【49/175】
訪れた旧市町村の数【377/2,093】 総計【426/2,268】スーパーカブの総走行距離
9780km
目次
2023年7月31日(月)青森県の旅へ。八戸を含む南部地方を巡ろう。(日本一周116日目)
岩手県の旅が無事に終わって、いよいよ青森県へやって来た。都道府県では11県目で、ちょっとずつ中盤が近づいているかもしれない。でも、全体の進捗率はまだ2割に満たないので、序盤だと思っておいた方が、気持ちのコントロールはしやすいかも。
今日は八戸市を起点に、南部町とおいらせ町を含む7つのまちを訪れた。海を見たのは最初の八戸市だけで、あとは緑豊かな地域も多かった。それでは振り返ってみよう。
八戸市
朝6時半に出発。朝は曇り空で、雨もぽつぽつ降り始めたけれど、レーダーを見て、これから向かう方向なら大丈夫だろうとそのまま行くことにした。「晴れていないこと」が久しぶりだったので、そこに新鮮さも感じられた。
八戸市では蕪島神社と葦毛崎展望台に向かった。市街地の東側に位置する太平洋沿いで、海と神社、展望台の景色もとても良かった。そして何より、道中の陸奥湊駅辺りですれ違った、朝の市場の風景に惹きつけられて、帰り道で立ち寄った。
細い道路沿いに魚屋や八百屋、花屋などが並んで、じいちゃんばあちゃんたちが元気よく会話している。
「懐かしい風景」に出会うことは、よくある。「昭和の頃、賑わっていたのだなあ」と感じられる建物などだ。ただ、ここは建物の雰囲気に加えて、地元の人たちがたくさんいた。人がいると、まちが生きている。まちが生きていると、過去のものではなく、地続きで繋がって見える。変わらない暮らしの中に自分がいるように感じられて、本気でタイムスリップしているような気持ちになった。
旧南郷村(八戸市)
次にやって来たのは旧南郷村。峠を登り切ると、鷹の巣展望台があった。見下ろす先は島守盆地で、キャッチコピーは「屋根のない博物館」。まさにその通りで、この景色も抜群に良かった。
屋外でもjazzが流れていて、スピーカーの下に立ちだけで心地良かった。ひとりミニジャズフェス。
南部町
次に訪れたのは、南部町。南部町、旧名川町、旧福地村が合併して、現在の南部町になっている。この辺りは南部藩の発祥の地だ。
新しい土地にやってくるとき、アメリカでは入植と言ったり、日本でも城があれば入城と表現したりするけれど、南部藩に関する記事を読んでいると、「入部」という表現があった。ちょっとだけ部活動みたいだね、って個人的に思った。
約500年ほど前、聖寿寺(しょうじゅじ)館は三戸南部氏が居城していた場所で、当時の北東北では、最大勢力として君臨していた。最近の発掘でも、豪華な装飾品などが出土しているという。
旧名川町(南部町)
そして、次にやって来たのは旧名川町。「白華山法光寺」は、名久井岳東麓に鎮座する古刹だ。団体の観光バスが停まっていて、年配の方々が境内の中でご住職の説法を受けているようだった。
旧福地村(南部町)
次にやって来たのは、八戸市とも近い旧福地村。馬淵川沿いを下るとまもなく、ひらけた田園風景が目に入った。苫米地駅ではちょうど青い森鉄道もやって来て、この電車はまだ乗ったことがないなあと思いながら。
旧下田町(おいらせ町)
そして、次にやって来たのは旧下田町。現在はおいらせ町である。「おいらせ」って十和田方面の渓流を想像するけれど、海に面しているおいらせ町もあるわけだ。もちろん、上流からずっと流れてきた「奥入瀬川」も、ここまで流れている。
旧百石町(おいらせ町)
そして、最後にやって来たのは旧百石町。「ももいし」と読む。調べていたときに、「日本一の自由の女神像」が目に入った。なんと、自由の女神がいるのか。行ってみると、賑やかな声がする。近づいていくと、それが英語だとわかった。やはりここはニューヨーク…! ではなかったが、アメリカ?の人たちが、大勢でダンシングしてた。真上には自由の女神だし、青森感は全然なくて、異国に来たようだった。
ちなみにお台場の自由の女神よりも、8mぐらいこっちの方が大きいんだぜ。
というわけで、今日の散策はここまで。
岩手県から青森県にやって来て、印象が違うんだよなあと思う。山並み、まちなみ、家の雰囲気…。「青森にいる」という脳内モードだからというのも否めないけれど、それを除いても、「ああ、青森にいるなあ」と感じる何かが、ある、ような…。
14時過ぎから2時間ぐらい、えげつない台風みたいな風雨になった。かろうじてマクドナルドに間一髪、滑り込みました。
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