今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【44/175】
訪れた旧市町村の数【251/2,091】 総計【295/2,266】スーパーカブの総走行距離
6070km
目次
2023年6月24日(土)福島県の旅のはじまり。特撮と出会いとホタルまつり。(日本一周79日目)
今日はちょっと長い記事なので、見たフリをして閉じていただいても、もちろん大丈夫です。普段からそんな感じでも大丈夫です。と、前置きを失礼しました。そして、さかのぼってしまいますが、まずは2日前から。
2日前、関東地方の旅が終わった茨城県日立市で、写真の大先輩と食事をした。上京前に長野県のキャンプ場で出会ったその方は、あらゆる撮影を仕事でこなす方だった。上京してからも、スタジオの手伝いをさせてもらったり、機材を貸してもらったり、今までとてもお世話になっていて、そして偶然、日立市で会うことができて、夜に居酒屋へ連れて行ってもらった。これ以上ないタイミングでお会いできてうれしかった。いろいろお話をさせてもらえたことで、自分がこの旅を経てどうありたいか、より明確に定まった。
翌日、いよいよ東北地方だと意気込んで、日立市から福島県の白河市を目指した。移動距離は90kmほど。道中は霧雨が続いて、原付だとすごく濡れるので、面倒だなあと思いながらも途中で合羽を着た。でも、ついに「福島県」と書かれた看板が目の前にあわられたときは、
「わあ、福島県かあ!」
と思わず声が出た。関東の旅が終わって、次の旅がはじまる。サトシがカントー地方からホウエン地方に移るみたいに、次の地方があらわれて、あたらしい旅がはじまる気がした。
旧表郷村(白河市)
昨日から白河駅近くの、ゲストハウスブランさんに宿泊している。2泊の予定で、今日は白河市まで戻ってくるので、白河市内の写真はあとでまとめることにする。でも、ゲストハウスに戻ってから、旧東村の「ホタルまつり」に誘ってもらって、とっても新鮮な夜が待っていたのだった。
さて。朝5時過ぎに向かった先は、旧表郷村。外に出ると、雨は止んでいるが路面はしっかり濡れていて、いつ降ってくるかわからない状態だった。合羽を着るか悩ましい…。まずは着ないでいいや。と、出発をしたのだが、朝はまだ寒かった。やがて結局雨が降ってきた。ただ、今の服装で、茨城県を巡っていて寒いと感じたことはなかったので、やはり東北にやって来たのだと思った。
「ビャッコイ」は、全国でも旧表郷村にだけ生息する多年草だ。地球上でも北半球ではここだけだという。「白虎隊」から名前の由来がきていることも面白い。
観光地化されているわけではないし、ひっそりと生息しているビャッコイだった。でも、植物にとっても、地元の方々にとっても、そのバランス関係が、合っているのかもしれない。
旧東村(白河市)
次にやってきたのは、旧東村。旧表郷村、旧大信村と同じタイミングで合併したが、旧東村の方々は、地域愛がとても強いのだそうだ。夜に「ホタルまつり」へ伺うことになったのだが、その車中で話を聞いた。そして、ほんとうにそうだと思った。自分たちの土地を誇りに思っていること、明るく過ごそうということ、そうした強さをのちに感じたのだった。
小松寅吉という名工が彫った狛犬だそうで、1903年の建立だ。躍動感、細部の意匠、技術がすごい。
須賀川市
次は須賀川市へ向かった。須賀川市は、なんといっても「円谷英二」さんのふるさとである。ということを、今まで知らずにいた。前回の旅では乙字ヶ滝を見に行っていたので、気づかなかったのだ。神炊館(おたきや)神社、またtette(テッテ)という須賀川市の市民サポートセンターと、その館内にある円谷英二ミュージアムを訪れた。
社名は全国唯一だ。御祭神の建美依米命(初代石背国造)が、新米を炊いて神に感謝したと言う事蹟によるのだそう。
ぼくのウルトラマン知識は「胸に付けてる マークは流星〜♪」が歌えるぐらいで、ゴジラに関してはかなりビビって育った。なので、ちょっとだけ見ていたぐらいで、さほど詳しいわけではない。だから、円谷英二さんの人生の軌跡を今回追って、初めて知ることがたくさんあったのだった。
そんな円谷さんでも、ゴジラが世に出たのは53歳のとき。ウルトラマンは65歳のときにテレビに初登場した。ここに至るまでの苦労や、心の葛藤があったことも知った。それでも駆け抜け続けた。それがかっこいいなあって。
展示の中で、ゴジラが須賀川市にやって来るという映像があった。そこには須賀川市民の方々も、エキストラでたくさん参加されていた。すごく生き生きと楽しそうだった。円谷さんが残したものはあらためて大きいのだなあと思った。
「移ジュウ! 定ジュウ! 怪ジュウ!」最高ですよね、この貼り紙。
旧岩瀬村(須賀川市)
次にやって来たのは、旧岩瀬村。2005年に須賀川市へ編入した村だ。ここにも「特撮アーカイブセンター」があって、訪れてみることにした。
偶然だったのだが、ちょうど「今から映像が流れますのでどうぞ」というタイミングで、『巨神兵東京に現わる』という映画を観た。特撮短編映画で、脚本は庵野秀明さん、監督は樋口真嗣さん、タイトルの“巨神兵”は宮崎駿さんの風の谷のナウシカの巨神兵のこと。…すごいメンバーだ。ナレーションは綾波レイの声だった。なんということだ…。
調べると、この短編映画は、2012年の東京都現代美術館での展示で公開された映像だそうだ。そのときどうだったのかはわからないけれど、今回は短編映画に加えて、メイキングもそのまま観ることができて、特撮映画の技術が惜しみなく使われていること、そしてたくさんの知恵を振り絞って出来上がった作品であることを知った。映画はグサグサ刺されるような完成度だった。ひとつの作品をつくりだす情熱、喜び、技術、さまざまな要素があった。真っ直ぐな大人は無邪気でかっこいい。
旧長沼町(須賀川市)
そして、次は旧長沼町へ。まちは東西に長い地形をしている。まずは横田陣屋の御殿桜を見に行った。
いちご味の冷やしだんご。はっきり言います、とっても美味しかった! 冷たい白玉と、甘いいちごのコラボレーションが、天国への階段だった。
旧大信村(白河市)
今度は旧長沼町から、もう一度白河市に向かって進んでいく。天栄村を抜けて、旧大信(たいしん)村へ。
町屋の二本カヤという木を見に行った。
ここで、確かに空が怪しかったのだけれど、土砂降りになった。ぼくはこのとき合羽を着ておらず、ずぶ濡れになった。
ずぶ濡れのあとに合羽を着て、再出発したら、今度はすぐに雨が止んで、それからはもう、降らなかった。
白河市
そして、戻ってきたのは白河市。その前に、昨日から白河市の市街地にはやって来たので、昨日の振り返りから。
そして、あらためて今日の散策。定番だけれど、やっぱり小峰城へ行こうと思った。
広々としていて、会津若松の鶴ヶ城の景色とも少し似ている気がした。
旧東村の「野出島の里 ホタルまつり」へ。
ゲストハウスブランさんに戻って、写真を整理していたとき、湯澤さんというひとつ年上の男性と会った。とても素敵な方で話も盛り上がった。そのとき、「今日、ホタルまつりがあるのを知っていますか?」と、聞いてくださった。
そうだ、思い出した! 知っています。なぜなら今日、旧東村を訪れたとき、お祭りの看板を見ましたから!「今日かあ〜!」って。でも、市街地からはちょっと距離があるし、原付だと現実的ではないなあと思っていた。ちょうど先週は、茨城県でホタルまつりを逃した。でも、このタイミングで、その質問をいただいて、「行きますか?」の返答をもらったとき、それはもう、すごくうれしかった。湯澤さんは別のご予定で行けなかったのだが、別の方の車で連れて行ってくださることになった。
車の中で、野出島の方々は地域愛があって、地元を誇りに思っていらっしゃることを伺っていた。そして、おまつりの会場に着くと、運営する方々は明るくキラキラとしていて、まさにその通りで、素敵だなあと思うばかりだった。
すごいな! ホタルを見ていないけれど、おまつりだ! 何より、この場にいる人たちが、みんなすごく楽しそうで、なんて素敵な場なのだろうと。
そして、徐々に外に人が増えて来たなあと思ったときだった。
「ドーン!!」
まさかの、打ち上げ花火であった。感動しっぱなしである。 今年、初めて観た花火だった。まさか今日、出会えるとは思ってもいなかった。会場に包まれる熱気が、体に染み渡った。
「ホタルまつり」なので、ホタルを見に行くことが主だと思っていたけれど、全体のおまつりの中の、最後のトリであった。みなさんと列になって、一緒に歩いて行った。こうしたホタル刈りは初めてであった。
なんとか写ってくれた。でも、肉眼で見るホタルが、やっぱり綺麗だった。あちこちで飛び回っていて、「いた!」とか「きれい〜!」とか、みなさんの声が聞こえることも、一緒に喜びを共感しているようでうれしかった。総じて盛りだくさんのおまつりだった。
帰ってきたあと、「また遊ぼうね〜!」「おやすみ〜!」「バイバイ〜!」の声が会場で響いていた。とてもいい夜だった。素敵な思い出になった。
というわけで、長くて短い1日が終わったのでした。ご縁に心から感謝です。
お祭り会場まで運転してくださった鈴木さんの、「なんか今日…夏っぽい匂いがする」と呟いた言葉が、沁みました。
(次回へ続きます)
<旅を応援してくださる方々へ&関連ページ>
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
旅についての心境を、日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。
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