今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【44/175】
訪れた旧市町村の数【211/2,091】総計【255/2,266】スーパーカブの総走行距離5200km
2023年6月11日(日)(日本一周66日目)
天気予報はいつも、同時に3つ見ている。
バランスを見て、うーん、どんな天気だろうかと考えるわけで、まあまあ当たる。
検討の結果、今日は一日中雨なのだろうと思っていた。
ところが、朝になって。
えっ、午後から止むの?
予報が変わっていた。急に変わるのはやめてくれよぉ、と思わないことはないけれど、まあ、変わりやすい天気だもんなあ。
そうなると、もともと停滞する予定だったのを、予定通り停滞するか、変更して進むか、二択を迫られる。
そして、明日以降のスケジュールをもう一度見直して、午後からできる限り進むことにした。
麻生公民館と天王崎公園―旧麻生町(行方市)
行方郡麻生町
2005.09.02玉造町、北浦町と合併。
昼食後に鹿嶋市から出発して約1時間。最初に行方市の旧麻生町にやって来た。
まず、やっぱり最初に言いたいのは、「行方」を「なめがた」と読むこと。海外の人に、「どうして行方をなめがたって読むの?」と聞かれても、そうだから、としか答えられる気がしない。
富山県の滑川市を、「なめりかわし」と読むのも、埼玉県の滑川町を「なめがわまち」と読むのも、まだギリギリかろうじて読める気がする。
しかし、行方(なめがた)の行方(ゆくえ)は其処とも知らず、である。
というわけで、旧麻生町にやって来た。行方に気を取られて、麻生という地名も珍しいことを忘れてはならない。
大会ではなさそうで、おじさん方が談笑しながら、戻ってくるボートを眺めたり、自分のボート? をいじったりしていた。
趣味があって、同じ仲間がいると、たのしいでものだ。
ガヤガヤ明るくやっているのを見ると、
公園で将棋を指してたおじさんとか、朝から太極拳やってたおばさんとか、パラグライダーで「人生変わります」って言ってたおじさんとか、バイクも、自転車も、釣りも、サーフィン好きの人とか、たのしそうにやっていた人たちの背中や表情が浮かぶ。
西蓮寺と道の駅たまつくり―旧玉造町(行方市)
行方郡玉造町
2005.09.02麻生町、北浦町と合併。
合併の2005年までは、「玉造出身です」と言って、
「わあ、素敵な温泉街ですね」
「いえ、島根の玉造温泉じゃありません」
という会話が、きっとあったに違いない。
さて、その旧玉造町では、西蓮寺というお寺と、道の駅たまつくりを訪れた。
「あっ玉ねぎ干してあるな」と思いながら通り過ぎて、
「あの玉ねぎ、良かったな…でも、玉ねぎを撮る…?」
という葛藤を経て、Uターンして原付を停めて、ただ玉ねぎの写真を撮って、再出発している。
土浦方面につながる霞ヶ浦大橋。おおきな霞ヶ浦の中でも、地形的にちょっと狭い部分に橋がうまく架かっていて、よく出来ている。
鹿行大橋と北浦体育館―旧北浦町(行方市)
行方郡北浦町
2005.09.02麻生町、玉造町と合併。
次にやってきたのは旧北浦町。行方市の中では唯一、霞ヶ浦に面していない。けれど、一方で名前の通り、「北浦」という湖に大きく接している。
ちなみに霞ヶ浦と北浦は、お互いに少し離れているけれど、北浦は霞ヶ浦を構成する一部らしい。「チーム霞ヶ浦」って感じかな。
波崎海水浴場―旧大洋村(鉾田市)
鹿島郡大洋村
2005.10.01鉾田町、旭村と合併。
ここから、鹿行大橋を渡って鉾田市にやって来た。
ぼくの鉾田市のイメージは、完全にメロンだ。茨城の人も、「メロンと言えば鉾田だよね」と仰っていた。
実際、今日いくつか巡ってみて、いろんなところでメロン推しであった。
そして、鉾田市は野菜の生産量が日本一になるほどの、野菜王国であることも同時に知った。
さて、最初は旧大洋村へ。とっても明るい名前だ。
県立鹿島灘海浜公園―旧鉾田町(鉾田市)
鹿島郡大洋村
2005.10.01大洋村、旭村と合併。
次に訪れたのは旧鉾田町。県立鹿島灘海浜公園は、おおきな公園でもあり、道の駅のようでもあり、海も近いといういろんな要素が組み合わさった場所であった。
一人で買っても、どうしようもないので、買っていない。
でも実は、龍ケ崎のおうちに滞在しているとき、一回鉾田のメロンをいただいた。
ふふふ、「鉾田のメロンを食べた」という美味しさだけで、十分なだも。
サングリーン旭と旭総合支所。―旧旭村(鉾田市)
鹿島郡旭村
2005.10.01鉾田町、大洋村と合併。
そして、最後に訪れたのは、旧旭村。
千葉県にも旭市があるし、海の近い場所では「旭」という地名も生まれやすいのかもしれない。
直売所と、総合支所辺りを巡ることにしよう。
というわけで、今日の散策はここまで。
曇り空も相まって、絶景という絶景に出会ったり、キラキラと映えるような場面には遭遇しなかったかもしれない。
でも、そもそも、旧市町村すべてに、絶景らしい絶景は存在しない。
外から訪れるときは、観光の視点を持ちがちだけれど、観光産業がなくても、成り立っているまちはごまんとある。
だから、外に知られる機会が少なくとも、同じように暮らしがあるというわけである。
たとえ「なにもない」と言っても、そこには、暮らしが「ある」。
本日のひとこと。
どこかで、蛍と出会えるといいな。むつかしいかもしれないけれど、今ごろ飛んでいることを想像している。
(次回へ続きます)
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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