ふるさとの手帖

市町村一周の旅

4年ぶりの、神田祭へ。【旧市町村一周の旅(東京都・35日目〜37日目)】

4年ぶりの、神田祭へ。【旧市町村一周の旅(東京都・35日目〜37日目)】

4年ぶりの、神田祭へ。【5月12日(金)】

5月12日から5月14日にかけて、4年ぶりの「神田祭」に伺った。『神田の写真。』という連載を2年間させていただいた間、昨今の社会情勢で、「神田祭」は、通常開催されなかった。地元の方が、「ほんとうに神田祭は、すごいよ」と何度も仰っていた。が、今年の春から日本のどこにいるかわからない旅に出てしまったので、今年、いよいよ4年ぶりに本開催される神田祭に、行けるかどうかはわからなかった。正直、行けないならば仕方がないとも思っていた。

それでも、旅に出る直前。「えっ。神田祭に来ないの、君?」と、半ば、“来ないなんてありえない”ぐらいの勢いで、勧めてくださった地元の方がいた。その方は、お祭りにおける中心人物ではない。なのに、神田祭に来ないとはもったいないと仰った。

その言葉が離れずに、旅の中で、神田祭の日程はずっと覚えていた。それでも、無理なら無理だろうともまだ思っていた。そして、結果的に、スーパーカブで3,500kmを走って、前日に東京へ着いた。調整してやって来たとも言えるし、運良く合わせられたとも言える。でも、長かった。前夜祭の金曜日、神田へ行くと、まちの至るところに飾られたのぼりや、出店の準備があった。やがて、まちを練り歩く神輿が見えた。笛の音と掛け声が、日常から非日常を生み出し始めていた。今まで知らなかった神田が、聞こえてきた。

5月13日(土)雨のち曇り。

土曜日。夕方まではいくつかお伺いしたい場所があって、雨の東京へ出掛けた。しかも、いろいろあった。ぼくの人生にとって、神田祭とは離れたところで、小さなことだけれど、今まででいちばん大きいかもしれない出来事も、あった。それは、お金が入ったとか、名誉が手に入りそうだ、みたいな大きさではなくて、心に与える影響の大きさだ。しかも、大きいと感じるのは、自分の心が、まだまだ小さいからだ。知らない人とひっそり過ごした、とても素晴らしい時間だった。

そして、夕方に神田へ向かった。錦町三丁目町会さんに伺うと、これまで何度もお世話になっている、ほぼ日さんチームがいた。ゆかいさんという大好きな写真家さんもいた。神田錦町更科さんという素晴らしいお蕎麦屋さんのご家族もいた。

お祭りごとは手順を順に、踏んでいくことが何より大切だ。ぼくは一人の単独行動。その場での唐突な出会いを楽しむ番組のように突撃して、サプライズで何かが起きることを、望んでいるわけではない。できるだけ失礼なことをしたくない。けれど、それでも、訪れた先で、「御神輿、担ごうよ」と仰ってくださって、血が騒がないわけはなかった。

宮入りの日曜日。【5月14日(日)】

いよいよ、日曜日だ。神田明神さんへの宮入りというビッグイベントがある。午前中、少しだけ神田周辺を巡り、それから神田稲荷湯さんの半纏をお借りして、鎌倉町会さんにご一緒させていただいた。外からの参加だし、心細さはあった。しかも、一昨日は鎌倉町会さん、昨日は錦町三丁目町会さんに伺って、今日はあらためて鎌倉町会さん。ということは、どちらの町会さんにも失礼ではないかと、心の中では数えきれないほど考えた。その罪みたいな気持ちを背負って、それでも、何度か御神輿を担がせてもらい、声を出して、汗をかいて、雨に濡れて、神様に、少しでも、その罪を許してもらえるならば。一気に、写真で、最後まで。


神輿の後ろから、宮入りまでを歩いた。映画みたいな景色だった。道中も何度か神輿を担がせていただいた。すでに、昨日で右肩はダメだったので、左肩を使う側に入って。神輿って、どうして、こんなにも重いのだろう。どうして、こんなにも重くて、地元の方も「しんどい」と口を揃えて仰るのに、それでも、やっぱり、担ぎたくなるのだろう。御神輿には神様が鎮まっていらっしゃる。鎌倉町会さんの御神輿は見事な装飾が施されており、屋根の隅にはオレンジ色の紐房が飾られていた。最高潮の宮入りを終えて、それから神酒所(みきしょ)へ戻るまでの道中も、特に終わりになればなるほど、ボルテージは沸点に達し、強烈なうねりの一体感があった。「エッサ、ホッサ」の声はもちろん、それに合わせて動く足の動きが、寸分狂わず揃っていた。その、見事な掛け声と足のリズムに合わせて、御神輿に飾られたオレンジ色の紐房が、一定のテンポでゆっさ、ゆっさ、と、大きく前後に揺れていた。単なる揺れではなく、小刻みに大胆に、紐房が嬉しそうに、踊っていた。それを見たとき、神様が笑っている気がした。少し涙が出そうになった。

‥‥とても楽しかった。歩く歩調も、「エッサ、ホッサ」のリズムのまま帰った。神田でお世話になったすべての方に、鎌倉町会さんの方々に、心から感謝の気持ちでいっぱいだ。きちんとすべての方にご挨拶ができたわけでもないから、その寂しさはずっとある。それでも、経験させていただいた、与えていただいたものすべてが、宝物になった。

人が、今を、生きていたよ。

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