今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【20/175】
訪れた旧市町村の数【140/2,091】 総計【160/2,266】2023年5月5日(金)
昨日、栃木県から神奈川県にやって来て、今日はほんの少しだけ、山梨県にも入った。相模原市と山梨県の上野原市は隣同士なのだ。GWの賑わいもあって、行きも帰りも何度か渋滞に巻き込まれつつ、進んでいった。
相模原市緑区
今日、訪れる相模原市の旧市町村は、いずれも緑区に含まれる。
関東で生活していたとき、電車で「橋本行き」を何度か見ていたけれど、毎回、和歌山県の橋本市ばかりを想像していたので、今回やっと、「橋本はここだったのか!」と、しっくりきた。
旧城山町(相模原市)
そして、最初に訪れたのは旧城山町。津久井湖城山公園を中心に散策した。
昨日も相模原市を巡っていたけれど、さらに、山という感じが増している。丘陵地でも台地でもなく、山が多い。
旧津久井町(相模原市)
今度は、すぐに城山ダムを渡って、同じく城山公園の花の苑地へ。ほとんど場所は変わらないのだけれど、相模川を挟んで、旧津久井町になる。
プログラムを見ると、昼にはプロレスもあるらしい。MCの女性が、「ご来賓のみなさま、プロレスリングの横にお集まりください〜」と言っていて、面白かった。
行くか迷ったけれど、結構なハイキングで時間がかかりそうだったので、撤退した。
旧相模湖町(相模原市)
次は、旧相模湖町へ。さっきまでいた水辺は、津久井湖や、城山ダムだったけれど、今度は相模湖に場所が変わる。周りの景色はさらに山が近くなり、「ここも相模原市なんだ」と、驚くばかりだった。
小原宿本陣を訪れた。本陣と聞くと、戦いの拠点みたいに聞こえるけれど、江戸時代の武家諸法度で定められた、参勤交代での諸大名や幕府役人、公家衆が使った休憩宿泊施設を指す。そして、小原宿本陣は、神奈川県下26本陣中、唯一現存する建物だ。
素晴らし屋敷だった。休憩するための場所だけれど、ぼくもずっとここにいられる気がした。
旧藤野町(相模原市)
神奈川県で訪れる旧市町村は最後。旧藤野町へ訪れた。山梨県上野原市と県境を接している。自然に囲まれたまちであり、芸術に触れられる場所も多い。
相模川の右岸の山の中に、大きなラブレターがある。結構、大文字焼きの文字ぐらい大きい。
知らないところで、知らない文化があるのだなあ。
旧上野原町(上野原市)
そして、ここからは山梨県上野原市へ。最初は旧上野原町の北にある、軍刀利(ぐんだり)神社へ訪れた。
帰り道が怖すぎると思えるほど、急な坂道を進んだ先にある、軍刀利神社。日本武尊を祀っている。
参拝して、パワーを感じた。もしくは、パワーを感じた、と思い込もうとしているのかもしれない。けれど、それでもいいと思えた。
さらに10分ほど歩いた先に、御神木のカツラがある。
軍刀利神社ですら遠いと思ったのに、さらにその先にあり、そして、辿り着いたときに感じる、「御神木だ」という感動。すごいなあと思った。もうひとり来ていた方は、近くに座って、ここでお昼ご飯を食べていた。気持ちいいよね。
旧秋山村(上野原市)
そして、最後に訪れたのは旧秋山村だ。名前の通り、集落の真ん中には秋山川が流れていて、のちに相模川に合流する。棚田の景色と、秋山温泉へ。
石積みの道路脇、幾重に重なる水田の景色。素晴らしかった。人の手によって、守られていること。ぼくはこの景色を見て感動したけれど、あくまで自分は部外者で、都合のいい人間に過ぎない。ぼくが感動するために、この景色があるのではない。この景色は、ここに住む方たちのためにある。目を閉じて小鳥のさえずりと、カエルの鳴き声を聞いた。
開館時間だったので、入浴した。もちろん、最初からそのつもりで、ひっそり楽しみにして。
温泉は源泉37.1度とぬるめ。透明なお湯が少しずつ、体に染み渡っていった。GWでもあるし、地元の人と、観光客が、入り混じっている。顔を見るだけでも、多分この方は地元の人だなあ、なんていうことを、案外わかるものだな、と思った。相手方からすれば、ぼくの顔は観光客だろうなあ。最後に、とても気持ち良かった。
今日の散策はここまで。特に今日訪れた相模原市は、イメージしていた相模原市とは全く違うし、別世界だと感じられた。それぐらい、ひとつの市とはいえ、地域に沿った暮らしがあり、日本も広い。
(次回へ続く)
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
旅についての心境を、日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。
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