今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【19/175】
訪れた旧市町村の数【134/2,091】 総計【153/2,266】2023年5月4日(木)
昨日、元隣人の部屋に泊まらせてもらった。いろんな会話をするけれど、お互いもう、勘ぐるような質問もしない。。心を流れる水の音を、じゃばじゃばさせずに、静かに聞くのだ。その川の流れが、増水していたり、枯れていたりしなかったら、それで良いのだと。
大家さんは、ぼくの東京暮らしの救世主であるけれど、過干渉もしない方だった。普段からサバサバしていて、物静かで。なのに、困ったことがあったらすぐに助けてくれた。端的にまとめるなら、真の紳士。それも、圧倒的な。
川崎市高津区
もう、元隣人の部屋に泊まる予定は、現時点では無いので、荷物をすべて持って出発した。しかし、メガネを忘れてしまった。どこかで回収しなければ。今日は、昨日巡った川崎市の3区のほかに、まだ残っていた4つの区と、相模原市の2区を巡る。
今、一人だけ、手紙を送っている方がいる。月に一度のペースで、旅の進捗やそのときの心境をまとめて。その方は、写真の仕事でお世話になった。かつては車の広告写真をバリバリに撮っていて、今は別の撮影が主だけれど、仕事の手伝いを何度かさせていただいていた。そして、「旅に出ている間、手紙よこしな」と、やりとりがあって、今に至るわけだ。で、4月分の手紙を書いて、郵送しようと思ったのだが、GWで郵便局が開いてなくて、さらに、その方は高津区に住んでいらっしゃるので、直接ポスト投函してもいいな、と思った。
事前の連絡はしていないし、GWだから外に出ていても当然だ、と、ご自宅に訪れると、その方の車があった。もしかしたら、いらっしゃるかもしれない。インターホンを押して見たら、ビンゴだ。いらっしゃったのであった。
突然の訪問だったので、すみませんと事情を説明して、手紙を渡したのだけれど、「まあ上がって行きなよ」と、家に上がらせていただいたのだった。
あまりに長居をしても良くないので、大谷選手が2回、エドマン選手を三振に取ってカージナルスの攻撃が終了したところで、おいとまさせていただいた。ありがとうございました。また、手紙書きます。
川崎市には、江戸時代初期につくられた用水路「二ヶ領用水」が通っている。農地の開発のための用水路で、多摩川最古の農業用水が、今も住宅街を流れているのだ。
溝の口駅からも近い、溝口神社。御祭神は天照皇大神だ。訪れると初宮参りであろうご家族が複数いらっしゃって、神社は神聖さと温かさが溶け合っていた。
江戸時代につくられた二ヶ領用水だが、その用水を各村に届ける際にはムラがあった。そこで、円筒分水という方式を採用することで、均等に用水を分配できるようにしたわけだ。
川崎市宮前区
次に訪れたのは、宮前区。東高根森林公園や、等覚院というお寺を訪れた。
途中、富士山が見えます、というスポットの紹介があったが、やや空が霞んでいて、はっきり確認することはできず。
道路沿いから眺める住宅は台地が多く、緑にも包まれていた。かつて開発が進んで住宅地が増えていったのだろうなあ。
川崎市多摩区
次に訪れた多摩区では、王道ではあるけれど、生田緑地に訪れた。駐車しようと思ったところ、右から左から、車が列をなしていて、今からここで、フジロックでもあるのか、という混み具合である。駅から歩いて来る家族連れも多く、賑やかな声が溢れていた。
生田緑地には、ほかにも岡本太郎美術館があるし、ゆっくり1日かけても、楽しめるような広さだと思う。
小説家の庄野潤三さんが好きだ。そして、庄野さんがかつて暮らしていた、「山の上の家」と呼ばれる家が、生田にはある。夏葉社さんの影響で庄野さんを知ったのだが、「夕べの雲」を読んだとき、何気ない日常が、飾られるわけでもなく、でも、鮮明にいきいきと描かれていて、好きになったのであった。だから、生田駅に立って、庄野さんの家が、ここから坂の上へ歩いたところにあった、と思い浮かべることに、ちいさな喜びがあった。
川崎市麻生区
7つある川崎市の中で、最後にやって来たのが、麻生区だ。王禅寺見晴らし公園と、琴平神社に訪れた。
斜面にびっしりと建てられた住宅の景色は独特。観光地ではないのだから、誰かにとってのささやかな日々の時間が詰まっている、というわけである。
相模原市
相模原市南区
ここからは、相模原市へ移動した。横浜市の青葉区から厚木街道に乗って、恩田大橋を渡って、大和市も通って、まずは相模原市南区へ。
トンネルのような、シェルターのような道がある。「騒音対策かな?」と、思ったところ、実際の意図としても、騒音に配慮する形でつくられたそうだ。
さらにもうひとつ、有名な場所だけれど、相模原麻溝公園にも訪れた。
相模原市中央区
そして、今日最後に訪れたのは、中央区だ。亀ヶ池八幡宮と、相模原市役所へ。
夕方だったので、静かに気持ちよく参拝することができた。
地図を見ても、中心部はとても計画的にまちづくりが行われていると思った。
というわけで、今日の散策はここまで。今まで、川崎市も相模原市も、ぼんやりたくさんの人たちが暮らしていて、都会でもある、という淡いイメージだったけれど、日常そのものは、自然が近くて、広々としたところもあって、そうした場所でもあるのかなあと感じられた。どの土地も、開発されて今の暮らしがあるし、その上で、わたしたちにとって、これから何を大切にしなきゃいけないか、表れていたような気もする。
旅は明日へ続く。
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
「旧市町村日誌」として、ブログにまとめきれなかった内容も含めて、旅についての心境を日記形式で書いています。結構、自然体です。
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