今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】
訪れた旧市町村の数【133/2,091】 総計【143/2,266】2023年5月2日(火)
昨日よりも、キンキンに冷えた朝5時半。栃木県の旅も最後になる。今日は那須塩原市や那珂川町まで、焦らずしっかり進んで行こう。
旧西那須野町(那須塩原市)
2005.01.01黒磯市、塩原町と合併。
最初に訪れたのは那須塩原市の旧西那須野町。黒磯市、塩原市と合併したまちで、西那須野駅や野木神社を目指した。
名前の通り、乃木将軍夫妻を祀る神社だ。近くには別邸があり、この土地で過ごした時間も長いという。
旧塩原町(那須塩原市)
2005.01.01黒磯市、西那須野町と合併。
今度は旧塩原町へ向かう。山並みのある西の方角を見て、雲も多いし、寒そうだなあと思いながら。まずは竜化の滝を訪れた。
今回の旅では滝を見る機会も増えた。出会うごとに似ているようでそれぞれ違っていて、毎回音を聞くと、深呼吸したくなる。
塩原は、那須野ヶ原の自然に包まれた土地だ。温泉も泊まってみたいな。
旧黒磯市(那須塩原市)
2005.01.01西那須野町、塩原町と合併。
もう一度塩原から東に進んで、今度は旧黒磯市方面へ。
黒磯駅周辺は昔ながらの建物が点在していた。時折通り過ぎる、新幹線のゴォという大きな音とのギャップを感じながら。
大田原市
次は大田原市へ向かう。大田原市は、旧黒羽町と旧湯津上村と、大田原市の3つにまちがわかれていた。
那須与一は、平安時代の後期から鎌倉時代にかけて活躍した武人だ。有名なエピソードは屋島の戦いで、平家の扇の的を射抜いたこと。(平家物語に載っているこの話の信憑性は、完全にはっきりとしているわけではないらしい)
いろんな神社の参道があるけれど、その中でも自然体な上で整っていて、とても印象深い風景だった。
抜群に知名度のある神社ではないかもしれないけれど、ぼくはこの神社をとにかく素晴らしいと思った。
旧黒羽町(大田原市)
2005.10.01湯津上村と、大田原市へ編入。
次に訪れたのは、旧黒羽町。同じ大田原市とはいえ、先の大田原市の市街地とは違って、山並みに囲まれた景色に変わる。そして、温泉やお寺が有名な場所である。
昼間だけれど、他県ナンバーの車もたくさん駐車あって、賑わっていた。入りたいなあと思いつつ、ここは我慢。
意識していなかったけれど、前回の旅でも雲巌寺に来ていたのであった。だから、4年半ぶりになる。
旧湯津上村(大田原市)
2005.10.01黒羽町と、大田原市へ編入。
黒羽町の次は、旧湯津上村を訪れた。今回は下侍塚古墳と、栃木県なかがわ水遊園へ。
淡水魚水族館の、栃木県なかがわ水遊園。GWということもあって、家族連れで賑わっていた。ぼくも水族館の中へ。
面白かったのは、鬼怒川水系や渡良瀬遊水地の魚など、今までの栃木県で訪れた地域の魚も見ることができたこと。上から川を眺めることはできても、水中までは見ることができなかったから。栃木県の小さなまとめをしているようであった。
旧小川町(那珂川町)
2005.10.01馬頭町と合併。
巡るのはラストは二つ。まずは那珂川町の旧小川町へ。
旧馬頭町(那珂川町)
2005.10.01小川町と合併。
そして、最後は旧馬頭町だ。温泉街や馬頭広重美術館が知られている。その中でも、行きたかった「もうひとつの美術館」へ訪れた。
展示は圧倒的であった。相当なインパクトで、完全にくらってしまった。何より、展示作品をつくっている方々の若さに驚いた。ぼくより若い方もいた。年齢に関係なく緻密で熱量に溢れ、生き生きとした力強さがあった。
というわけで、旧馬頭町の観音湯さんで日帰り入浴した。ぬるぬるした泉質は美肌効果があるとされ、露天風呂には午後の光が差し込んで、温泉の心地良さと美しさが印象的だった。
今日の散策はここまで。そして、栃木県の旅もここまで。35ある旧市町村をなんとか無事に、巡ることができた。大きなまち、小さなまち、観光地のまち。それぞれにかつてのまちの姿の名残があった。前回訪れたときよりも数倍、栃木県のことが好きになった。知らない土地にも誰かの暮らしがあり、歴史がつながって、今日がある。
<旅を応援してくださる方々へ>
今回の旧市町村一周の旅をはじめる前に、自費出版で写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは今回の旅の活動費として、活用させていただきます。よければ是非、読んでくださるとうれしいです。
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