今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】
訪れた旧市町村の数【76/2,091】 総計【86/2,266】2023年4月21日(金)
朝、原付のシートが結露していた。思いのほか冷え込んでいる。5時半の赤城山は春霞に包まれ、山の輪郭だけが淡く姿を見せていた。前橋・渋川バイパスに乗ると、妙義山方面や前橋市の景色がよく見えて、さながらハイウェイドライブである。利根川を越えたあたりで、杖片手にリュクサックを背負い、背中に「日本一周」の看板を掛けて歩く人がいた。普段生活していると、旅人にはあまり出会わない。それがいざ、自分が旅の真似事をしていると、旅人にあたりまえに出会うようになる。新しい出会いがあると、人はよくそれを偶然と呼ぶが、自分が過ごしている環境によって、その偶然出会う人というのは、まるっきり変わる。
旧東村(東吾妻町)
2006.03.27吾妻町と合併。
今日は合わせて7つのまちに訪れた。移動距離が長いので、どんどん巡っていく。最初に訪れたのは東吾妻町の旧東村。「東村」と「吾妻町」の名前が現在の町名に含まれている。箱島湧水へ訪れた。
箱島湧水は、日量約3万トンという湧出量を誇り、榛名湖の水が湧出するものと伝えられている。水環境の保全状況が良く、日本名水百選にも認定されている。
ぼくも手ですくって飲んだ。手のひらが水中の中でも透き通って見えた。美味しいに決まっていると思って、美味しかった。けれど、どうして美味しいのだろうと考えてみると、この場所に立って、目の前で湧出している光景を見て、音を聞いて、ありがたいと感じられるからだと思えた。
湧水は、岩と岩の間から、こんこんと溢れ出ている。それまで川はなく、岩の隙間からほんとうに溢れ出ているという感じだ。見事な湧水だった。
旧吾妻町(東吾妻町)
2006.03.27東村と合併。
岩櫃城は山の地形を活かした、巨大な山城である。真田昌幸は、岩櫃城にて主君である武田勝頼を徳川・織田軍の軍勢から守り抜くと進言したが、実際は叶わなかった。もしそうなっていれば、歴史は大きく変わっていたと。もし、がないからこそ、今の世の中はあるのだが。ただ、分岐点がここにあったことは、面白い。そして、城跡の起伏激しい小道を歩くと、城という名のラビリンスであった。森であり、ひとりで歩くにはやや恐怖感がある。怖いと感じるとき、前回の旅で怖かった体験がいくつか蘇った。別の山城で迷いかけたときや、薄暮の寺に取り残されそうになったとき…。
旧六合村(中之条町)
2010.03.28中之条町へ編入。
赤岩地区の標高は700m前後。気候も異なり、桜は見頃を迎えていた。
かつて赤岩地区では養蚕農家が多かった。その建物も残されている。
住居の前に咲くチューリップ、水仙、芝桜。庭木は枝も葉も隅々まで整えられ、集落全体がひとつの美しい体裁をなしている。これほど美しい集落が日本にはあるのかと、驚きと感動が交錯した。
中之条町
旧六合村からしばらく道を進み、次に訪れたのは中之条町。四万の甌穴群や奥四万湖、四万温泉街へ訪れた。
甌穴とは川の流れが渦巻き状になり、侵食されてできた丸い穴のこと。水量が多く甌穴まではあまり見えなかったが、侵食された地形の自然美があった。
四万温泉は何度も名前を聞いていたけれど、初めて来た。
積善館は日帰り入浴も可能なので、是非入浴するつもりでいた。ただ、入浴料が1500円で、千円札と小銭しか使えないという注意書きがあり、ぼくは朝千円札を使ってしまって、五千円札と一万円札しか持っていなかった。「お前にはまだ早い」と、積善館さんではなく、お天道さんに言われた気がした、というより、そう思い込むことにしたので、入浴しないことにした。いつか来たるべきときに、ここに来たい。
旧新治村(みなかみ町)
2005.10.01月夜野町、水上町と合併。
あとはみなかみ町の旧町村を巡っていく。最初に訪れたのは旧新治(にいはる)村だ。
最初にあらわれた集落も、なだらかな地形に家々がのびのびと点在していて、また感動してしまった。
たくみの里は美しい原風景が今も広がっている。
春の喜びとともに。ここにいると、歩く速さも、時間の流れも、ゆっくりになる。
旧水上町(みなかみ町)
2005.10.01月夜野町、新治村と合併。
次は旧水上(みなかみ)町。大自然に囲まれ、温泉街もある土地だ。
水上駅の電車を見て、高崎から電車で来れることを知った。標高が高く山肌が近いからか、冷たい風がびゅうびゅうと吹きおろしてくるのだった。
旧月夜野町(みなかみ町)
2005.10.01月水上町、新治村と合併。
最後に訪れたのは旧月夜野(つきよの)町。もう、ほんとうに美しい名前の地名だと思う。旧市町村一周の旅を始めて、美しい地名に出会う機会が増えた。
上越クリスタル硝子という会社さんが運営している、月夜野びーどろパーク。吹きガラスの体験などもできる。今回はちょこっとお伺いした。
館内のガラスの商品はあまりに見事なので、ゆくゆく揃えたくなってしまった。
工芸品はいつ見てもかっこいい。それを生み出す職人さんも然りだ。
「歴史を変えた」というコピーの、名胡桃城跡。関わりのある城は、近くの「沼田城」。沼田城を巡り、支城だった名胡桃城も、真田氏と北条氏が争ったのだが、北条氏が豊臣秀吉の裁定に背き、名胡桃城を武力で奪取したことで、豊臣秀吉の怒りを買った。その後、北条氏は小田原征伐を受けてしまう。結果として、名胡桃城の奪取により、北条氏は滅亡したわけだ。
訪問者であるから、その土地で暮らすことの苦労を知らないままに、感想を持っている。しかし、今日出会った集落の美しさは、心に深く残るものばかりだった。自分が違う場所で過ごしていたとしても、今日出会ったような景色が、それぞれの土地には流れているということを、心の片隅に、しまっておきたい。
あと、先日は野生の雉とすれ違ったが、今日は野生の猿とすれ違った。
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