今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】
訪れた旧市町村の数【61/2,091】 総計【71/2,266】2023年4月18日(火)
朝6時過ぎに出発した。口で息を吐くと白い水蒸気のかたまりがふわっと現れて、今日はかなりの冷え込みだ。徐々に体感温度も寒くなってきて、コンビニの駐車場で上着を着込んだ。最初から上着を着込めばいいのだが、なぜそれをしないのか。荷物から上着を取り出して着るまでが、面倒臭いから。午後からは雨も降り始め、1日中とても冷え込んだ。
旧新町(高崎市)
2006.01.23高崎市へ編入。
最初にやって来たのは旧新町。2006年に高崎市へ編入した。かつては中山道11番目の宿場町。とても小さな町(当時東日本最少)であり、高い人口密度を誇った。
大きな道路を抜けると、新町の静かな住宅街が広がっている。戸建てのお家が多く、ほんの少し前の時代から時間が流れている気配だ。
於菊稲荷神社へ立ち寄った。「於菊(おきく)」とは、江戸時代の心やさしく美しい女性の名前。稲荷神社で町の人々の面倒をいつも見ていたことから、親しみを込めて稲荷神社が於菊稲荷さんと呼ばれるようになったそうだ。
お菊さんの優しい思いを受け継ぐような、神社の温かさを感じた。
旧鬼石町(藤岡市)
2006.01.01藤岡市に編入。
次にやって来たのは旧鬼石(おにし)町。神流川の流れの左岸に位置し、川を挟んで埼玉県と接している。シーズンは過ぎているけれど、桜山公園に向かった。
桜山公園は冬桜も有名だそうだ。
旧万場町(神流町)
2003.04.01中里村と合併し、神流町へ。
鬼石から次にやって来たのは、旧万場町。神流川上流に進み、両岸の山並みはどんどん急峻になる。そして、やはり川の流れと共に暮らしがあったことを感じた。旧万場町はかつて宿場町でもある。
旧中里村(神流町)
2003.04.01万場町と合併し、神流町へ。
旧中里村では、昭和60年に日本で初めて恐竜の足跡が発見された。それ以来は恐竜のまち(村)として知られている。
モンゴル恐竜研究の父といわれるリンチェン・バルスボルト博士。このセリフを見たときに、ほぼ日で読んだ記事と言葉が重なった。やっぱり恐竜は生きているのだなあと。もちろん、捉え方として。
道路と一緒に見ると、かなり大きい。足跡を人間のサイズで想像すると、リアルさがあった。それにしても、恐竜は恐竜で、1億2000万年後の人間に自分の足跡を見られるなんて、思いもしなかっただろうなあ。
藤岡市
次は藤岡市へ。旧鬼石町以外の地域を巡る。最初は世界文化遺産の高山社跡へ。最初に文字を見たとき、城跡かなと思ったけれど、違う。高山社跡は、養蚕業を全国に広めた高山長五郎の生家で、養蚕の研究や指導を行っていた場所。世界文化遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』の構成資産のひとつだ。
施設の方が熱く親切で、とても丁寧に建物の特徴を解説してくださった。
今度はお部屋に案内いただき、高山社についてさらに詳しい解説をしてくださった。「1時間コースとダイジェスト、どっちがいい?」と尋ねられて、迷ったけれど、ダイジェストでお願いしますと。それでも、たっぷり話をしてくださった。
9番だけ数字がないのは、その蚕が病気だったから。当時西欧の蚕は病気が広まっていて、そのために日本の蚕の需要が高まったそうだ。
お話、とても面白かった。なぜ高山社跡が世界遺産に認定されたのか。それは養蚕学校を作り、指導者を育てたから。養蚕学校の生徒は兵役を免除されたという話も、当時の養蚕の位置づけを感じられて、驚きだった。
高山長五郎氏の研究によって、今まで不確かだった養蚕が安定して操業できるようになり、急速に全国へ拡大していった。先日訪れた、本庄市旧児玉町の競進社模範蚕室は、木村九蔵という人物が作り上げたものだが、高山長五郎氏とは15歳離れた実の弟である。お互いの会社の養蚕法に違いはありますかと尋ねたら、「調べてみたんですけれど、およそ一緒でしたね」という答えだった。
おじさんにたくさん説明していただいたおかげで、ようやく養蚕について話がつながってきたのだった。ぼくの感覚が正しければ、高山社さんや競進社さんは、全国に広まった養蚕の聖地なのだなあと。ありがとうございました。
古墳も訪れた。思った以上に大きくて、山でもあるし、ひとつの城跡のようだった。
旧吉井町(高崎市)
2009.06.01高崎市へ編入。
多胡碑とは何か。一言でいえば石碑だ。ただ、その誕生がとても古い。上野(こうずけ)も古代の国の名称で、飛鳥・奈良時代あたりを指す。多胡碑が誕生したのは和銅4年(711年)ごろとされ、日本に現存する石碑の中で4番目に古い。
当時の実物があることは、その時代を生きた人々がいること。かつての今がそこにはあり、土地には流れる時間があったということ。不思議だなあ。
辛科神社は渡来人がつくったとも言われている。今まで見てきた日本の神社とは確かに違う感じがした。
前橋のKさん。
今日の散策はここまで。その後は前橋市にあるKさんのお家へ伺った。4年前に新潟県で知り合った方で、とてもかっこいい大好きな方。現在はスポーツのお仕事をしている。
お花屋さんを営んでいらっしゃるFさんとも、久しぶりにお会いできた。Fさんは若い人とたくさんのつながりがあって、「前橋の母」と呼ばれていたり。
道中の雨はかなり寒くて、凍えながら原付を走らせたけれど、明日は暑いらしい。天気は日々変わっている。何より、無事に1日を終えられて、人とのご縁をいただいていて、とてもありがたい1日だった。いつだって今度はそれを、かえしていかなくちゃ。
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