ふるさとの手帖

市町村一周の旅

埼玉県も最後。滝やダムから、煉瓦倉庫まで。【旧市町村一周の旅(埼玉県)】

埼玉県も最後。滝やダムから、煉瓦倉庫まで。【旧市町村一周の旅(埼玉県)】
旧両神村→小鹿野町→旧吉田町→
旧神泉村→神川町→旧児玉町→本庄市

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】

10/175
5.71%
訪れた旧市町村の数【47/2,091】
47/2091
2.25%
総計【57/2,266】
50/2266
2.52%


雨の土曜日。

土曜日は雨だったのでお休みに。連泊している「ゲストハウス錦」のオーナーさんが、三峯神社の参詣道である手掘りのトンネルに連れて行ってくださった。

ゲストハウス錦さん。
イノシシに襲われたと思った。謎の犬である。

車を停めて歩いている途中、急に足元に動物が突っ込んできた。ぼくはイノシシに襲われたと思って、やばい、なんとかしなければ、と思ったら、犬である。曰く、謎の犬らしい。

しかも、ついてくる。どゆこと?
オーナーさんは地域を紹介する看板もつくっている。
手彫りのトンネルへ。謎の犬は、まだまだついて来るのだ。
霧深い山中。

そして、手掘りのトンネルに着いた。すごい。

かつて、参詣道の難所であった場所に手掘りでトンネルを掘ったのだそうだ。今まで全然知らない世界だったので、すごくビックリした。そして、謎の犬はトンネルまでついてきた。一緒に元の場所へ帰って、到着したあとに颯爽と去っていった。人間のような、案内されているような、やっぱり謎の犬だった。謎だ。

夜は宿泊者のみなさんと。4年半前に泊まったときも、同じタイミングで宿泊されていた常連さん。

テーブルにはほかに、もう一人の常連さん、ドイツから来た男女3人組、地質調査でやって来た19歳の大学生、そして、今日が誕生日だという女性。個性豊かな、一期一会な夜であった。

みなさん、ありがとうございました。

2023年4月16日(日)

天気の様子も気になっていたけれど、大丈夫だと判断して出発した。朝、雲海に光があたり、天国のような世界だった。今日は小鹿野町や秩父市、神川町や本庄市のまちを巡り、無事に進めば埼玉県もラストになる。ひとつひとつ、焦らず進んで行こう。

朝、部屋からの景色。
新緑が光を浴びて。
大学2年生のKくん。地質調査、行ってらっしゃい!
オーナーさん、2日間ありがとうございました。

旧両神村(小鹿野町)

最初にやって来たのは旧両神村。2005年に小鹿野町と合併した。埼玉県で唯一「日本の滝100選」に選定されている、丸神の滝を見に行く。

旧両神村へ。

道中、採掘場もあった。

丸神の滝は遠い。細い道をうねうねと進む。ようやく駐車場に着いて、滝が近くにあるかと思ったら、それも違う。今度は徒歩で、山道を歩いて行く。短いトラッキングである。大変ではあったが、渓谷は朝日を浴び、苔はいきいきと輝いていた。

朝日が差し込む。

丸神の滝へ。

細い滝の糸が岩を撫でて、離れることなく流れ落ちている。名瀑といえば巨大で、高低差も高く、顔にまで水飛沫が飛んでくるような勢いを想像するかもしれないが、丸神の滝は違う。いたって「静」なのである。神秘的な滝であった。

道の駅両神温泉薬師の湯。前回の旅でも訪れた。

丸神の滝に行けたので、ホッとしている。

小鹿野町

次は同じく小鹿野町へ。小鹿神社では金曜日と土曜日に春祭りが開かれていて、今日は撤収の作業をしていらっしゃった。

小鹿神社へ。

「昨日はお疲れ様でした」という声が聞こえる。お祭りはまちの誇り。ぼくはそれを知ったように書くこともできない。関わっている方々にとって、大切であることが何よりだ。

町役場近くの通りへ。風情がある。

笠鉾かな。片付けが行われていた。

小鹿野町役場。

法被を来ている人を見ると、お祭りの法被ってどんなドレスコードよりも強い気がした。

旧吉田町(秩父市)

秩父市ではまだ訪れていなかった、旧吉田町。椋神社の神賑行事として行われる、「龍勢」というロケットが有名なまちだ。

吉田町へ。

吉田川が流れる。

吉田総合支所。

地形が独特だなあ。

吉田町はとにかく地形が不思議だった。遠くの山々は普通だが、手前の小高い山たちは、植生も違う気がするし、気配が違う。

椋神社。
近くにロケット台もある。
「奉納龍勢打上順番」

境内の看板が新鮮で、驚いた。花火にもいろいろな流派があるらしい。

面白いなあ。
神社にも参拝した。

奉納神事として、花火という文化が地域に根付いていること。狭い日本もまだまだ広い。

旧神泉村(神川町)

今度は皆実町を超えて、旧神泉村へ向かう。山を抜けると道がひらけて、広々とした盆地が広がった。村が現れた感覚である。低地には神流川が流れていて、群馬県との県境にもなっている。

峠を越えて。

近くのヤマキ醸造さんは大盛況で、満車の看板を持ったお兄さんが忙しそうであった。

反対側の斜面は群馬県。

神流川。右側が群馬県藤岡市で、左側が旧神泉村。

町立城峯公園へ。

冬桜が有名な、町立城峯公園。今日はのんびりと空いていた。

展望台へ。奥には神流湖が見える。
神流湖と下久保ダム。展望台からの景色は圧巻であった。

ダムのそばにある駐車スペースにはなんだも大きなバイクが停まっていた。ここをひとつの目的として、ツーリングに来たのであろう。

神川町

今度は合併前と変わらない地域の神川町へ。まずは金鑚神社から。

金鑚神社の多宝塔。
金鑚神社。
武蔵国二宮である。前回の旅でも訪れたけれど、凛々しさを感じる。

隣の金鑚大師さんへも。

ほとんど一緒の場所に、金鑚大師さんもある。合わせて参拝した。

神川町役場。あたらしい。
初代村長、川野平治さんの銅像。

「神川村」という名前が発足したのも1954年で、それまでにもいくつかの村が合併している。そうして、今の土地の名前がある。

近くの丹荘駅にも。

手書きのタクシーのりば。

旧児玉町(本庄市)

最後は254号線を進み、本庄市へ。本庄市の看板が現れたとき、同時に「塙保己一生誕の地」と書かれた看板もあった。その、「塙保己一記念館」を訪れる。

塙保己一(はなわほきいち)記念館へ。

盲目の国学者、塙保己一さん。

塙保己一は江戸時代の後期に活躍した国学者。群書類従という、日本の古代のものから当時の江戸時代に至るまでに存在していた古書をまとめた叢書(そうしょ)を編纂した。それまでは古書が整理されておらず、広く人々が勉強できずにいた。34歳のときに刊行を決意して、40年余の歳月をかけて完成したという。

骨の折れる作業だ。

失明しながらも努力を続けて国学者になった姿。40年の歳月をかけてひとつの目標を達成する胆力。すごい。渋沢栄一やヘレン・ケラーが敬愛していたというエピソードもあった。初めて知った方だったけれど、知ることができてよかった。

競進社模範蚕室(きょうしんしゃもはんさんしつ)へ。

競進社模範蚕室は、1894年に建築された。木村九蔵という方が養蚕改良を経て新しい飼育法を考案し、その拠点となったのがこの場所だ。新しい技術は全国に広まり、産業は大きく発展した。

木村九蔵先生の銅像。競進社社長。葬儀には1万数千人が訪れたという。
建物の中へ。

歴史はひとつの繋がりだから、当時の技術や発展があったことを、現代とは関係がない、と思うことは違う。あと、受付のおじいさんと話をして、「(旧)児玉町に愛着はありますか?」と聞いてみたら、「やっぱりありますね。児玉郡ですから」と仰った。

雉岡城跡にも訪れた。

なだらかな丘で、種々の緑に包まれていた。
児玉駅も。
見つけた看板。

本庄市

最後は本庄市のまちなかへ。今回はマリーゴールドの丘公園と、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫に訪れた。

マリーゴールドの丘公園。マリーゴールドの季節は7月から10月ごろだが、今は芝桜が咲いていた。

とても素晴らしい公園だった。180度景色が開けている。訪れている人たちもとてものんびりしていた。子供たちも走り回ったり、バク転をしたり、大人もぼーっとしたり、話し込んだり。

旧本庄商業銀行煉瓦倉庫へ。

国登録有形文化財である、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫にも訪れた。建築されたのは明治29年。

館内にて、祭りのお人形。

キングポストトラスという構造で建てられている。建物は柱のない空間だ。
留め具も当時のもの。
網戸も当時のものだそうだ。一箇所残されている。

係の女性が館内を案内してくださって、建物のことがよくわかった。中山道の宿場町として栄えていた本庄。養蚕のまちとして発展を遂げ、だからこそ大きなお金が動き、銀行が建てられた。そして、融資の担保に繭を保管したため、柱がなく通気性が考慮されたキングポストトラス構造を用いた建物になったのだそうだ。煉瓦倉庫は本庄の繁栄を伝える、貴重な建物である。

窓からの景色。瓦がずらり。

本庄には蔵もまだ60ほど残っているそうだ。知らなかったなあ。

中山道だった道。

蔵だ。

 


最初は山奥の滝を訪れることからはじまった1日だったけれど、ダムや神社仏閣、塙保己一記念館や養蚕室、城跡に煉瓦倉庫、と、いろいろな場所を訪れることができた。そして、今日で埼玉県の旅は終わりである。以前の旅とはまた全然違う、埼玉県の表情だった。出会うことのできたひとつひとつが、とてもありがたい。

明日からは群馬県へ。

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