今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】
訪れた旧市町村の数【33/2,091】 総計【43/2,266】昨晩の中華料理屋さん
昨晩、まちの中華料理屋に入った。ご主人と奥さんは野球が好きだそうで、ぼくもその話題は得意なので、ひとしきり野球の話をした。そうなると、どこから来たんだい、という展開になり、旅をしている、となるわけで、「頑張りいな」と声をかけてもらった。人に頑張れ、と言われると、疲れがいちばん取れる。そう思った。
美味しかったです。写真もありがとうございました。
2023年4月13日(木)
週末の雨予報に合わせて、行程を調整している。今日巡る予定のまちの数は10。やや多いので、朝5時30分に出発した。関東平野のひらけた地平線から、満月を2つ足したほどの大きな朝日が昇っていた。地平線から顔を出したばかりで光が弱いので、太陽の丸い形がはっきりと見える。写真で撮るよりもずっと大きな太陽だった。
行田市
最初に訪れたのは行田市。足袋のまちとして知られているほか、忍城(おしじょう)も有名だ。今回は古代蓮の里、さきたま古墳公園、行田八幡神社へ。
お父さんは車で5分くらいのところに住んでいて、毎朝ここへ来ていると。
古墳を最初に見たとき、なんだこれはと思った。緑に包まれたこんもりした形。阿蘇のようで、五島列島福江島の鬼岳のようで、札幌市のモエレ沼公園のようであった。その中でも、いちばん小さいのだけれど。
反対側の方角には忍城も見えた。行田市に古墳群があることを知らなかったので、規模の大きさに感動するばかりだった。
街中にある。こぢんまりとしているけれど、スカッと気持ちいい空気が流れている。
旧南河原村(行田市)
次は行田市の北西部に位置する、旧南河原村へ。2006年に行田市へ編入した。
旧妻沼町(熊谷市)
次は、熊谷市に移る。妻沼(めぬま)町は2005年に熊谷市と合併した。道の駅めぬまと、妻沼聖天山へ。
熊谷市
今度は熊谷市そのものを巡る。前回は熊谷駅辺りで写真を撮っていたので、少し訪れる場所を変えて。
街中に佇む、熊谷総鎮守の神社だ。
前回訪れたのは熊谷駅だけだったから、あたらしい場所を訪れることができて良かった。
旧大里町(熊谷市)
次は熊谷市の南東に位置する、旧大里町へ。妻沼町と同じく2005年に合併した。
神社の大きな森に、お父さんと子どもが一緒に吸い込まれていった。
旧江南町(熊谷市)
次は旧江南町へ。行政センターと大沼公園を目指す。
釣りをしていたおじいさん。生まれは和歌山で、定年まで居酒屋で働いたと教えてくれた。料理をつくるのは好きだったから、休まず働いて、たのしかったと。
旧川本町(深谷市)
ここからは、最後に深谷市へ。深谷市も4つの市町が合併している。まずは旧川本町へ。
ここ数日ずっと、道中もうどん屋さんに出会うことが多い。小麦粉やそば粉の生産地であることを感じられた。
武蔵国の武将といえば、畠山重忠公。さいたま市をはじめ、ここにやって来るまでも何度か、畠山重忠の名前に出会う場面があった。
「鎌倉殿の13人」で、北条時政と北条泰時が畠山重忠を追い込んだストーリー。その畠山重忠の最期は、哀れで仕方がなかった。もはや、ぼくは重忠の顔と声が、完全に中川大志さんである。だから、地元の方々に愛されていることを感じられて、うれしかった。
旧花園町(深谷市)
次は旧花園町へ。道の駅や花園フォレストを訪れた。
照明が落ち着いていて、とても綺麗な店内だった。
店内にではスイーツやバウムクーヘン、せんべいなど、デパートのように商品を探すことができた。さらに洋風なので、窓際のカーテンや椅子を座ると、異国に来たようなたのしさがある。スイーツの甘い香りで数時間滞在してしまいそうなので、撤退した。
小前田駅のそばに佇む木には、風格があった。
旧岡部町(深谷市)
残りは2つ。旧岡部町へ。総合支所や岡部駅を中心に訪れた。
深谷市
最後は深谷市をもう一度巡る。旧渋沢邸「中の家」や渋沢栄一記念館など、渋沢栄一ゆかりの地を、主に辿っていった。
ここでのちに「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一が生まれた。
それでも、今工事をしている方たちがいて、この建物が守られていくことに感銘を受けた。
実は記念館も工事中で、資料を見ることはできなかったけれど、館内のおじさんに勧められて、20分の渋沢栄一に関する動画を見た。それがすごく面白くて、感動した。500余の企業の立ち上げに関わったこと。ちょうどぼくと同じぐらいの年齢で、フランスを訪れたこと。そして、論語の教えを尊び、忠恕の心、まごころと思いやりを大切にしたこと。どれだけおこがましくても、渋沢栄一の心のあり方には、憧れたくなる深みがあった。
今度は瀧宮神社へ。午後の光が新緑の木々を照らし、緑色が明るく輝いている。風によって聞こえる木々のざわめきが、とにかく心地良い。庭園も含めた敷地に爽やかさと温かみがあった。
今日もまた、たくさんの初めてに出会った。訪れたことのある市町村とは言っても、感じる印象は新しくなる。特に渋沢栄一のことは、詳しいことを知らずにいた。でも、ぼくが都内で拠点にしていた田園調布一帯も、渋沢栄一が開発をしていたし、栄一の孫である渋沢敬三は、尊敬している民俗学者、宮本常一とも大きな関わりがあった。実業家でありながら、論語を重んじ、まごころを大切にしていた姿は、学ぶべきことが詰まっている。心のあり方が、その人をどこへ導くのか、定めているようで。
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