今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】
訪れた旧市町村の数【16/2,091】2023年4月11日(火)
肌がヒリヒリする。もう、日焼けがはじまっているらしく、日焼け止めを持ってきてはいるものの、結局は驚かれるぐらい日焼けをしてしまうのだろう。早朝は春の冷え込みを感じるが、8時を過ぎたぐらいからは、日差しのエネルギーが届きはじめる。晴れているここ数日の具合である。
今日は、春日部市と久喜市の旧市町村を6つ巡った。
春日部市
春日部市、という名前は合併前から変わっていないけれど、あらためて訪れる。前回の旅では春日部市役所や春日部駅を巡っていて、今回も同じ箇所を巡った。そして、もう一箇所新たに春日部八幡神社へ。
春日部八幡神社は、鎌倉時代に鶴岡八幡宮を遥拝するために創建されたとされる。御神木も創建時のもので、約700年の時を生きている。
前回訪れたときと、窓ガラスの文字が変わっていた。
旧庄和町(春日部市)
次は中川を越えて、庄和町へ。2005年に合併し、春日部市となった。
旧栗橋町(久喜市)
道の駅庄和からバイパスに乗って、久喜市を目指す。道中は茨城県五霞町も通過した。関東平野が続いているので、茨城県や千葉県も身近に感じられる。栗橋町は2010年に、久喜市と合併した。
駅と、駅の周辺を散策した。
もちろん、今も栗橋という地名が残っていて、人々の暮らしがあるわけだが、かつては行政として小さな町が存在していたことを、想像しながら歩いた。穏やかな時間が流れていた。
旧鷲宮町(久喜市)
栗橋町と同じタイミングで、鷲宮(わしみや)町も合併をした。鷲宮神社へ訪れた。アニメの聖地としても知られているが、大変古い歴史を持つ神社で、吾妻鏡にも登場するという。
それでも、境内は清々しい雰囲気であった。
久喜市
そして、久喜市の中心部へ。高速のインターチェンジが近く、トラックも多い。駅周辺も中心部の気配が漂っていた。
旧菖蒲町(久喜市)
最後は旧菖蒲町へ。植物の名前が町名の自治体は珍しいと思う。6月下旬にかけては、あやめとラベンダーの季節には「ブルーフェスティバル」が開かれる。
本多静六は「日本の公園の父」と言われている。そして、旧菖蒲町の出身だ。以前、日比谷公園の歴史を調べていたときに、本多静六が設計したことを知った。日本で最初の西洋式公園であった。記念館では、明治神宮の森づくりにも大きく関わっていたことも紹介されていた。100年を見越しての造林計画。そして、今の明治神宮があること。最近の明治神宮外苑の再開発について、本多さんならどう思うだろう。それに、巨木の調査で全国を転々と巡っていたことも知った。熱意あるすごい方だ。
蕎麦粉は久喜産であった。地産地消がいちばん美味しい。そして、今日はここまで。
通り過ぎていたかもしれない町の存在。ここで暮らしている人や、働いている人がいるということ。それは、ぼくの人生と直接交わることはないかもしれない。しかし、ぼくの知らない人たちがこの国のほとんどを占めていて、その人たちがいることで、町は成立している。土地を訪れるとき、そのあたりまえのことを毎回突きつけられる。あたりまえの中にある不思議さに、これからも出会っていくのだろうか。
スーパーカブで移動しながら、でも途中で降りて歩くのですね。日焼けしながら。すごいなあ。自転車でさえ速すぎると思うことがありますよね。歩く、立ち止まる。いっぱい見て教えてください。
はい、立ち止まることも忘れず、散策することができればと思います。ありがとうございます☺️