今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【10/175】
訪れた旧市町村の数【10/2,091】目次
2023年4月10日(月)
県庁所在地、さいたま市。2001年に「浦和市」「大宮市」「与野市」の3市が合併し、その2年後には、政令指定都市に。さらに2005年には「岩槻市」が編入し、現在に至る。区はそれぞれの旧市が細分化されていて、どのように巡るか検討した結果、旧浦和市の南区や桜区、旧大宮市の西区や北区‥‥という具合に、旧市を大きなくくりとして、10ある区を巡っていった。順番に振り返ろう。
南区(旧浦和市)
最初に訪れたのは南区だ。朝の時間もあるだろうが、若い人が多く、ファミリー層がたくさん住んでいるように感じられた。
駅に向かう娘とパパの背中が目にとまった。背中が浮き上がって見えた。公園も自然豊かであった。噴水に人々の影が映る。穏やかな日々が流れていた。
桜区(旧浦和市)
次は南西に位置する桜区へ。西側の区の境界線には荒川が流れている。秋ヶ瀬公園近くへ訪れた。
荒川沿い、秋ヶ瀬公園の河川敷の清々しさは格別だ。ここを通勤や通学で利用している人にとって、晴れの日は気持ちいいだろうなあ。あらためて地図を見ても、当然ながら荒川は、東京湾まで流れ出ている。東京の荒川も好きだったけれど、さいたま市の荒川は上流にある分、河川敷を含めるとさらに広く感じ、何より高層ビルがないため、空が広々としていた。
浦和区(旧浦和市)
浦和区の中心街に向かう道中、好意的かつ気づかされた意味で、「ふつう」だと思った。あくまでぼくが通った道中は、閑静な住宅街が広がっていたから。無理に開発をされた気配もない。ふつうだからこそ、そのままだ。市役所や県庁の通りは行政のまちらしい雰囲気だったが、ぼくはそのふつうをわずかでも感じられて嬉しかった。
浦和区の中心地にある調神社。通勤前に素早く参拝して出ていく方が何人かいらっしゃった。
浦和駅周辺は朝の通勤ラッシュ。県庁にも多くの人が入っていく。ここでもたくさんの人たちが働いているのかと思うと、あたりまえのことだが、ひとりひとりの数の多さに驚くばかりである。同じ日本の中で、知らない土地でたくさんの人が生きているのだなあ。そう思うと、クラクラする。
緑区(旧浦和市)
旧浦和市の区として最後は、緑区へ。ゆったりした時間が流れていた。心なしか、歩く人々の速度も遅い。これから入学式があるようで、家族連れの制服姿が眩しかった。
お宮を囲む木々が素晴らしく、何よりものすごく高かった。15メートルはあったのではないだろうか。
中央区(旧与野市)
次は中央区へ。かつては旧与野市だった。浦和区と大宮区に接している。全国にはいくつか「中央区」が存在する。ぼくはまだ銀座や築地がある東京の中央区にしかきちんと行ったことがないけれど、旧与野市の中央区は名前の響き以上に穏やかで、優しい雰囲気に包まれていた。
西区(旧大宮市)
ここからは、旧大宮市の区へ。西区は名前の通り、さいたま市の中で最も西側に位置している。三橋総合公園へ訪れた。
区役所の近くにも住宅街とひらけた土があって、穏やかな日常が清々しく感じられた。
北区(旧大宮市)
北区といえば、盆栽である。大宮公園の北側は「大宮盆栽村」という呼称があり、日本有数の盆栽の名地である。大正の関東大震災後に、盆栽業者がこの地に移り住んだことから発展し、盆栽村として現在に至るという。が、ぼくは直前までそのことを全然知らなかった。恥ずかしいかな、そのような基礎知識もないのである。どれだけ巡っても、ぼくは博学多才にはなれない。だから旅は続く。
館内はご高齢の日本人と、西欧の観光客がいた。
盆栽の知識はない。根の張りや枝ぶり、どこが秀でているのかはわからないままに、いろいろな盆栽を眺めた。そして、「感動したのかどうか」で聞かれたら、感動した。数多くの時間と手がかけられているだろう、という想像で感動したのではない。ただ、目の前にある盆栽の佇まいが、良かった。盆という小さな世界が巨木に見えた。
大宮区(旧大宮市)
盆栽村から踏切を渡ってすぐ、大宮公園にやって来た。大宮公園といえば、「大宮」の地名の母体となった氷川神社だ。歴史は遡ること、2400年以上。その姿が公園として守られながら、現在に至るということは、あたりまえのようで、実は素晴らしく、そしてとても大切なことではないだろうか。
全国の氷川神社は何度も訪れたことがあったけれど、ようやく、ここに訪れることができた。ご利益は求めていない。ただホッとする。
駅の周辺は街の中心部。商業施設が密集し、賑やかであった。ただ、それと同時に、大宮公園・氷川神社も存在しているということである。
見沼区(旧大宮市)
今日は残りふたつ。見沼区は北区と大宮区の東側に位置している。通った道は戸建ても多く、穏やかな時間が広がっていた。
岩槻区(旧岩槻市)
最後は岩槻区。さいたま市に編入した際にそのまま岩槻区になった。岩槻総鎮守である久伊豆(ひさいず)神社と岩槻城址公園へ。
岩槻城址公園に、宇宙飛行士の若田光一さんと宇宙を旅した桜があった。発芽した種は200粒のうち4粒しかないそうで、さいたま市制の20周年を機に、そのうちのひとつが植樹されたという。誰よりも遠くを旅したんだね。
というわけで、本日の散策は終わり。
さいたま市は10の区に分かれており、そこには元々4つの市が存在していた。どの土地もさいたま市であり、そして、目の前には誰かの日々が流れていた。ぼくはそのごく一部を垣間見ただけに過ぎない。散歩する人、買い物に行く人、仕事に行く人。見る側と見られる側が、逆になってもおかしくない。知らない誰かがひとりひとり生きていて、その知らない誰かがいることで、ひとつの市ができている。
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