今日までの旅メーター
訪れた23区内の駅の数 【258/490】
歩いた距離(目標2,000km)【727.5/2000】隅田川と荒川の間を歩こう。
こんにちは。今回もぐんぐん歩いて行きます。主な地域は隅田川と荒川の間。ただ、二本の川だけではなく、旧中川や北十間川、横十間川と、いくつかの川も通っています。水の存在が身近にあり、広々とした場所は気持ち良い。両国からうねうねしながら、最後は鐘ケ淵という駅まで歩きました。それでは、行ってみましょう。
両国駅(JR)
最初に訪れたのは総武線の両国駅。同じ駅名で、ひとつの駅としてカウントするかについては、ほぼ日の路線図を基準に算出している。両国駅はJRと都営大江戸線が通っているけれど、互いを結ぶ連絡通路がなく、地上で歩いた先にもうひとつの両国駅がある。
両国駅(都営大江戸線)
もうひとつ、都営大江戸線の両国駅に向かっていく。
どれぐらい、認知度されているのかな。両国の横綱町公園には、関東大震災と太平洋戦争の空襲で亡くなった方々の遺骨が、約163,000体納められている。ぼくは直前まで知らなかった。遺骨が納められている場というのは、本当に、大事な存在だ。そのことは「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」という本を読んで、腹の底から身にしみた。原爆供養塔は、今もあまり存在が知られていない。慰霊碑や原爆ドーム、資料館に目がいく。しかし、実際に引き取り手もなく眠る遺骨が、原爆供養塔には約7万体、納められている。この概算のような数字の中には、ひとりひとりが、直前まで生きた人生がある。死者は何も語れない。私たちは忘れないための努力と、忘れようとする努力の相矛盾の中で生きている。慰霊堂のことも、これからもっと知らなければと思う。
錦糸町駅
次はそのまま錦糸町駅へ。ひとつの大きなまち、という印象がある。
亀戸駅
次は亀戸駅。先に駅前ではなく、亀戸天神社と、亀戸香取神社へ向かった。
勝石という石のところで、赤い服の貴婦人と出会った。目が合って、挨拶をする。「あなた、あそこの神輿見ておきなさい。年に数回しか見られない。普段はシャッターが下りてしまっているから…」
言われなければ、全く気づかなかった。「あなた、ついてるわね…」と言い残した貴婦人は、ゆっくりと他のお宮を参って、去っていった。
亀戸水神駅
亀戸駅も、亀戸水神駅も、歩いて十分に行ける距離だ。そのまま商店街を通っていこう。
亀戸水神駅は、東武亀戸線にあたる。
観光客はほとんどいない。地元の方々が過ごす、ゆったりした時間の流れが心地良い。
平井駅
亀戸線に沿って北上する前に、平井駅を目指す。平井は江戸川区に位置していて、以前同じく江戸川区の新小岩を巡ったときに、どうして平井駅まで来てないのか、という声ももらった。今回、おじゃまします。
河川敷は、ほんとうに人の心が素直さで溢れていて、澄んでいる。
東あずま駅
ここからは、東武亀戸線を北上する。東あずまという名前は、どちらも同じ方角で面白いなあと思ったけれど、正確には「東吾嬬」だと知った。
ちなみに、ぼくの写真家としての恩人は、あずまさん(@sngazm)だ。だから、個人的な感情を移入しながら、巡り巡った。
小村井駅
次は小村井駅へ。同じく穏やかな時間を進む。
京成曳舟駅
曳舟には駅が2つあって、さっきまでは東武線だったけれど、先に京成線の曳舟駅を目指した。だいぶ、ゴールが近づいてきた感じがする。
曳舟駅
ほんっとに、高木さんは西片に対して、からかい上手なんですよねー。
東向島駅
東向島駅には、隣接して東武博物館がある。主には鉄道の歴史が展示されていて、車両もたくさんある。家族連れでとても賑わっていた。
運転シュミレーションみたいな箇所もいくつかあって、やりたいなあと思ったけれど、子どもたちがキラキラしながら運転していて、それでお腹いっぱいだった。
八広駅
あと二つ。まずは荒川のすぐそばにある、八広駅へ。
すぐそばにある荒川まで、行ってみた。
鐘ケ淵駅
そして、最後の鐘ケ淵駅へ。
気づいた。あの団地だ。写真家の大山顕さんが作品として残していた、「都営白髭東アパート」じゃないかなと。どうして気づいたのかというと、団地の圧倒的な長さだった。遠くまで、同じ団地がずらりと並んでいて、長さは1km以上に及ぶ。そして、この団地は、実際の機能として、防火壁(ファイヤーウォール)の役割も果たしている。
というような内容が書かれた作品を見たことがあって、おおよそこの辺りにある、とおぼろげに覚えていたのだった。
今日の散策はここまで。いろんな発見があったし、それでも、実際には見落としていたり、知らないことだらけなのだと思う。だけど、一度歩いてみることで、目の前にある景色が、体内に入っていく。ぼくにとっては、とても大切な1日だったなあと、心地良い疲れで帰ったのだった。
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