今日までの旅メーター
訪れた23区内の駅の数 【167/490】
歩いた距離(目標2,000km)【475.2/2000】雨上がりの浅草橋からスカイツリーへ。
こんにちは。気候が春めいてきました。路線図ダウンを着る機会はあと何度あるでしょうか。まあ、次の冬も着るでしょう。
さて、今回は台東区と墨田区を進んでいきます。浅草橋から、後半は隅田川を越えて墨田区へ。最後はスカイツリーも8年ぶりに展望台へ上がりました。
浅草橋駅
浅草橋駅は総武線と都営浅草線の2つが停まる駅。まだ、雨が上がってまもない朝、しっとりと路面は濡れている。
江戸から続く暮らしを垣間見ながら。
蔵前駅
次は蔵前駅へ。お米がこの辺りで貯蔵されていたのが地名の由来だそうだ。
手前は早咲きの桜、奥には黄色のミモザが見事に咲いていた。みなさん蔵前神社のことを知っていて、多くの人がカメラを持って写真を撮っている。
田原町駅
そして次は田原町駅へ。蔵前駅からそのまま線路に沿って北北東へ進めば浅草駅なのだが、少し北西に進む。田原町は銀座線の駅。
やはり、この辺りはとても寺が多い。そしてその中でも大きな東本願寺へ参拝した。そうか、東本願寺は京都と何が違うのだろう。似ているのかな、と思ったら、違った。宗派が分かれて、それからの独立を経て、別の宗派としての東本願寺だそうだ。いろんな事情がお寺さんたちにもあるわけだ。とにかく平和を願っての、参拝。
浅草駅
さて、ここからは浅草駅へ向かう。と言っても、2ヶ所の浅草駅を別々に向かう。ただ路線が2つ、というわけではなくてややこしい。マイルールみたいなものだけれど、今回は「ほぼ日の路線図」さんを基準にして駅数をカウントしている。浅草駅は地下通路で移動できない距離で、主に2ヶ所あるというわけだ。総じて、浅草はとても広い。
来る時間が早かったけれど、とても有名な問屋街だ。
フランス座を見つけた瞬間「わあ、浅草だ!」と強く感じた。ビートたけしさんを描いた『浅草キッド』で観た映像が蘇った。かっこいいなあ。今度必ず劇場に入ろう。
行きたい場所ができたので、次の浅草駅から離れてかっぱ橋道具街に戻り、北上していく。
目的は生涯学習センター内の、池波正太郎記念文庫。そうだ、池波正太郎氏の生まれはこの辺りだった、と。館内は撮影禁止だから撮っていないけれど、どのような方だったのか、以前よりもイメージが大きく膨らんだ。かっこいい大人はかっこいい。
どんどん駅から離れて、次は吉原の方へ。
上京して酉の市を観たことがまだないけれど、鷲神社が発祥なのだなあ。今年の11月、どうだろう。
ご存知の通り、この辺りはかつて遊郭街だった。江戸時代においてとても大きな存在だったわけだ。いまは、静かな住宅街になっている。深く考えすぎるわけでもなく「お邪魔しました」と参拝した。
浅草駅
吉原の方まで歩いて感じたことは、「浅草はとても広い」ということだ。有名な場所がありつつ、観光地と生活圏は棲み分けられている。さらに、今は中止が続いているけれど浅草神社の「三社祭」は、超ビッグイベントだ。仕事でお世話になった浅草出身の方は、「三社祭」に人生を捧げていた。懸けていた。それは生き方として、とてもかっこいいことだ。浅草を知り尽くすことは、ぼくにはまだまだ出来ないだろうなあという感覚が、実際に歩いての落としどころになった。
浅草サンバカーニバルのチーム「バルバロス」さんとは市町村一周の旅で、岩手県宮古市で一緒に踊った。あの時間は本当に最高だった。
先ほどの通りで、440円のラーメン(大盛り)(チャーシューを抜いてもらって)を食べた。普通サイズは330円で、驚いた。地元の人や仕事関係の人が黙々と食べていた。隣はすぐに観光地、こちらはローカル。とても良かった。
わずかに海外の方もいたけれど、ほとんどは日本人のようだった。
駅舎が素晴らしい。そしてこれで浅草の駅巡りは完了。すぐに隅田川を渡りたいぐらいちょっと疲れているのだが、ここから待乳山聖天まで歩いて行く。
『神田の写真。』で記事に書いたよなあと思って、なんて名前だったっけなあと思い出せず、結局調べて「築地塀だ!」と分かった。
諸説ありつつも、待乳山は23区で一番低い山。とても清々しく参拝させてもらった。
聖天様の供養にと、大根がお供えされている。それが有名だとは知らずに来てしまったけれど、素敵。
池波正太郎と待乳山聖天の関係も深い。ここで育ったんだなあ。
本所吾妻橋駅
ようやく、隅田川を渡る。言問橋を渡ってそのまま進めばスカイツリーだが、先に南へ折れて本所吾妻橋駅へ。
塩パンと塩メロンパンを買ったのだけれど、とーっても美味しかった。元のお店は愛媛県の八幡浜と松前にありますと書いてあって、瞬間的に信頼できる! と思った。
とうきょうスカイツリー駅
さて、スカイツリーに登ったのは高校2年生の修学旅行のときだ。そもそも、それが初めての東京だった。今回この辺りへ来て、スカイツリーを登らずしていつ登ると、高い入場料を喜んで払う覚悟を決めた。
果てしない。あまりに果てしない暮らしの数だ。そしてここを歩いているのだな…。
俯瞰することも、大事だな。もっともっと、歩かなければ。
押上駅
最後は同じくスカイツリーのそばにある押上駅へ。本来は押上駅から錦糸町、両国まで歩くつもりだったけれど、すでに20km以上歩いて体が疲れていて、今回は押上駅で終わることにした。
スカイツリーから離れれば、穏やかな暮らしが広がっていた。それもまた、良いのである。
浅草から押上まで、主に江戸の下町を進んだ。わたしたちは「下町」という言葉から何かを求めようとするけれど、その必要はおそらくない。いまの暮らしが広がっている。それを感じられることが、何よりとてもありがたい。
別日に撮った浅草とスカイツリーも、最後に残しておく。
(最後まで読んでいただきありがとうございました。)
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