今日までの旅メーター
訪れた23区内の駅の数 【118/490】
歩いた距離(目標2,000km)【336.8/2000】江東区の暮らしを歩こう。
江東区の暮らし、というタイトルだけど、全てのエリアを巡れたわけではない。まだ、亀戸や有明方面が残っている。ただ、今日は30km歩いたので、どうか許していただけたらと思う。
いくつかの商店街や整備された川を通りながら、隅田川から荒川の間を進む。観光地というよりも、地元の方々の暮らしそのものを、歩いていく。
清澄白河駅
清澄白河(きよすみしらかわ)は、清澄と白河の名前を組み合わせたものだ。アートの街、コーヒの街でもあるし、そして情緒深い町並みも残っている。
実は、清澄白河に知り合いの方がいて、建物の屋上へ案内していただいた。スカッとした青空と、織り混ざった建物の対比。人間は広い空が好きだな、とつくづく思う。
森下駅
清澄白河駅の北側にある、森下駅へ向かった。さらに北上すれば両国駅がある。森下エリアは、「深川」という地名の発祥の地だ。
深川神明宮は、深川発祥の地。歴史のことを全然知らなかったけれど、訪れてみて、知って、あたらしく気づくことは多い。
菊川駅
今度は東へ進んでいく。菊川駅へ。
観光客、という人はあまり多くないかもしれない。だからこそ、飾らない時間が流れている。
整備された細い川も多い。ただ、これは近年の整備というよりも、江戸時代に造られた水路が元になっている。水と暮らす、江東区の歴史が感じられる。
住吉駅
住吉駅に向かう前に、小名木川と大横川の合流点を目指してみた。
ぽんっ、と飛んで渡れるような小さな水路の十字路なら、地元にもあったけれど、それがきちんとした川幅で、十字路になっているというのは、とても新鮮だった。上から見たら、すごく面白いと思う。
第七、ってすごい。「どこ中(学校)?」「第七だよ」ってことだもんね。
調べてみたら、第八中学校まであった。
西大島駅
今度は横十間川を渡って、大島エリアに向かっていく。
ここで、木の実を摘んで歩いていたお母さんと、仲良くなった。
お母さんは、昔の話をしてくれた。
「昭和43年、東京に来たわ。服飾の学校に通うために。私は8人兄弟だったのよ」
もう、東京に来て50年以上経つ。地元は山口県の下関だと教えてくれた。
「田舎に帰るのが嫌で東京に残ったけれど、いまじゃあこっちの町の子どもたちも、みんな大きくなって、いなくなっていって、寂しくて。でも、下関には20年帰っていないから、向こうに帰っても、もう、知り合いはいないのよ」
この辺りも昔の賑わいと、いまはきっと違うんだろうな。そしてほんとうは、長年帰っていない故郷の景色を見たいのかな、と思った。
お母さんの明るく寂しそうな目が、印象的だった。
大島駅
次は西大島駅から、そのまま隣の大島駅へ向かった。
細麺のお蕎麦がとても繊細で、やさしいのどごしが、ほっと心を落ち着かせてくれた。
商店街が多いのも、団地やアパートがあるからで、人々の暮らしという規模の大きさを感じる。
そして、『サンロード中の橋』という商店街を通ったのだけど、すごく良かった。地元の方の暮らしを感じた。
もし、家の近くに商店街があったらなあと思ってしまう。商店街には、デパートやショッピングモールとは違う、人と人の近さがある気がする。
東大島駅
都営新宿線は地下鉄、という印象だったけれど、東大島駅付近で、これだけの高架橋がかかっていることに驚いた。駅の海抜は2.6m。一連の駅の海抜を調べてみても、今日歩いているまちは、ほんとうに海抜が低いのだなあと感じさせられた。
旧中川を渡ると、江戸川区に入る。前回、江戸川区を歩いたときに、「小松エリアが入っていない」というご指摘があったけれど、荒川ではなく、旧中川で区が分かれているのだ。まだ平井駅(江戸川区)を訪れていないから、そのときに小松川を、もっと細かく歩けたらと思っている。
南砂町駅
いままでは主に都営新宿線の路線だったけれど、ここで移動して、東西線を目指して行く。最初は南砂町駅だ。
砂町銀座商店街も、訪れたかった場所だ。どの駅からも離れているから、あまり観光客は来ないんじゃないかな。でも、地元の方々の、賑わいがあった。
東陽町駅
あともう少し。東陽町には、江東区役所がある。
同じ江東区でも、ちょっと雰囲気が変わった。
木場駅
東陽町駅と木場駅はとても近いけれど、先に寄り道をして、木場公園に向かった。ちなみに公園の北側には、東京都現代美術館がある。清澄白河駅からも徒歩で行ける。だからぐるっと一周、帰ってきた感じがする。
門前仲町駅
最後は、門前仲駅だ。ぼくはまだ、「門仲(もんなか)」と呼ぶことには慣れていない。富岡八幡宮と、成田山深川不動堂へ訪れた。いつかは行きたい場所だったから、とても嬉しい。
富岡八幡宮には、伊能忠敬の銅像がある。ぼくもたくさん、歩けますように。
ものすごい回転力で、時には火花も散った。あれ、『火花を散らす』の語源って、ベーゴマなのかな? と思って調べたら、刀と刀だった。でも、そういうことなんだなあと腑に落ちた。
今日はたくさんの商店街と出会ったけれど、暮らしが近くにあって、また大きな団地があって、そういう規模の大きさに、驚かされてしまう。つくづく、暮らしとは不思議な感覚がしてならない。暮らす場所は、選んでいるような、選んでいないような、でも確かに、なにか縁に近いものが、あるような。
普通の暮らしのお写真にじぃーんといたします。ベーゴマのお写真、生まれて初めて見ました。商店街ならではの風景ですねぇ。女子大の茶道の先輩のお宅が木場にありまして、一時期通っておりました。お稽古以外の時に伺うと磯辺焼きを食べさせてくださって。あれからもう二十余年。時の経つのは余りにも早いですねぇ。
田尾さま
コメントいただきありがとうございます。ベーゴマも、とても素敵でした。茶道で木場に通われていたのですね。きっと景色も、少しは変わっているかもしれないですね^^