ふるさとの手帖

市町村一周の旅

はじまりの朝。—田園調布—【23区駅一周|2021年10月1日】

 

旅メーター 
全ての駅を訪れた23区の数【0/23】

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訪れた23区内の駅の数 【1/490】
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0.20%

訪れた場所。
【歩きリスト】ちいさな赤色。

はじまりの朝。—田園調布—

めり、めり、めり。とカレンダーを破った。

今日は10月。そして台風。予定もあるし駅巡りは翌日かな、と思っていたけれど、朝なら散歩できそうな気がして、なんとなくその気に従うことにした。

田園調布に住んでいる。高級住宅街で、相変わらずぼくには似合わない。歩く人々はもれなく、お金持ちに見える。たまに抑えきれないぐらいお金が有り余ってそうなおじさんやおばさんもいる。偶然100万円ぐらいポン、ってもらえないかなと思う。少し切ない。

でも、治安は良いし、なによりぼくの部屋は隣に友だちがいて家賃も安いから、ここに住んでいる。この街に縁ができたことは、決して悪いことじゃない。この街を歩くことも、嫌いなんかじゃない。

風が目に見える日もあれば、
光が見える日もある。
街が眩しい日もあれば、
街が溶ける日もある。

街の姿は思いのほか自由で、のびのびしている。

夢の合格。

しかし、たまにこういうのを見つけて、ドキッとする。たまに、というのだから、一度ではない。真相や全貌は分からないけれど、たぶん、この人はぼくの知らない幸せを、知っているのだと思う。


また、アンケートフォームで、田園調布に関するお話をいただいた。
 
田園調布駅に行って欲しいです。大学時代、新宿に住んでいた彼女と横浜に住んでいた自分が待ち合わせで使ったのがこの駅でした。駅前の噴水で待ち合わせて自由が丘まで散歩したり、当時放送していた『陽当たり良好!』というドラマで使っていた洋館を眺めて、こんな家に住みたいね!と語った青春の日々でした。
—50代男性・北海道在住—

なんて青春!30年前のお話。たしかに新宿と横浜のおよそ中間に田園調布はある。当時は駅舎も昔のままで、流れる時間から違っていたんだろうなぁ、とゆっくり想像した。

旧田園調布駅舎(復元)。今朝。夜明け前。

約30年前まで、この駅舎が玄関だった。いまは地下鉄ができて駅舎の機能は持っていないけれど、晴れた日の清々しさは爽快だ。あとTwitterでちょうど30年前の写真を見つけた。当時を知らないのに、懐かしい。

東京急行 田園調布駅
この歴史ある 田園都市を みんなで美しく 護りましょう
池とベンチ。

ここで待ち合わせして、デートしたのかな。そんな人が、もっともっと、たくさんいたんだと思う。

田園調布は大正時代から分譲が進んだ。放射線状につくられた土地構造は地図上でも壮観だ。歴史があるかと言われれば、あるけど浅い。主に100年ほどの歴史。しかし、この住宅街には、力強さがある。まだまだ衰えそうな気はしない。住んだ直感。


最後に散歩の振り返り。朝5時過ぎから。

傘に落ちる雨粒、線香花火の音。
コンビニの前、ヘルメット。

ヘルメットの水滴を撮った。同じタイミングで、朝食片手にバイクのお兄さんが出てきた。すみません、水滴撮ってました、と話して、あっ、配達ですか、「お疲れさまです!」と口に出してしまい、「ありがとうございます!」が屈託なく返ってきた。やっぱり、すみません、呑気な挨拶で。今日みたいな悪天候でも、夜明け前からあたりまえに新聞配達する人を知った。

イチョウ並木の前で、銀杏を拾うお母さんがいた。

田園調布駅の西側には、イチョウ並木が続いている。時期になれば、圧巻だ。だけどもうそんな時期なんだ。

葉は緑でも、銀杏が落ちていた。

「ここはね、ほかよりも早いの。それに、今日台風でしょう?きっと、落ちていると思って。」

話を聞いて、なるほど。台風だからこそ、今日なのか。

かがんだとき、あの香りがした。

お母さんは手際よく拾って、その場を離れてった。

思い返せば、田園調布で街の方々と会話したのは、今日がはじめてかもしれない。

秋のバラかな。

違うかもしれないけれど。

街灯にあたる水滴が溶けそう。
カラスの羽だと思ったとき、ほんとにカラスが鳴いた。もしくは泣いた。

そして夜明け。

家を出たとき、空はまだ暗かった。ようやく深い青に変わったのに、すぐ鉛色だと種明かしをして明るくなった。いちばん低い雲は、飛行機を追いかけるようにぐんぐん移動した。結局このあと、風も雨も強くなった。でも、そうなる前の夜明け、この街が動きはじめる前の舞台裏と出会ったみたいで、1日得したような気持ちになった。

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