今日は午後から、人とお会いする約束がありました。初めましての方々で、どうなるのかは、そのときになってみるまでわかりません。その時間までに、宮崎市の旧市町村も巡りました。それでは1日を振り返っていきましょう。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【959/2,094】 総計【1045/2,264】スーパーカブの総走行距離
25834km
今日の旅先のこと
旧高岡町(宮崎市)(1/3)
最初にやってきたのは、旧高岡町です。清武の交差点を北に折れて、ずっと道なりに進んでいくと、旧高岡町のまちなみが見えてきました。市街地は大淀川のそばにあって、水運を中心とした暮らしがあったことを想起させます。大淀川をとまちなみを見て、石巻市の北上川を思い出しました。雰囲気が似ている気がするなあと。天ケ城公園へ訪れて、資料も見てみます。高岡は薩摩藩の外城だったそうです。日南市の飫肥城は伊東家ですし、このあたりもバチバチだったのかなあ。暮らしの面では、川がもたらす豊かさと水害のことが共に紹介されていました。恩恵と代償というものは、不思議なぐらいに紙一重です。
最初にやってきたのは、旧高岡町です。清武の交差点を北に折れて、ずっと道なりに進んでいくと、旧高岡町のまちなみが見えてきました。市街地は大淀川のそばにあって、水運を中心とした暮らしがあったことを想起させます。大淀川をとまちなみを見て、石巻市の北上川を思い出しました。雰囲気が似ている気がするなあと。天ケ城公園へ訪れて、資料も見てみます。高岡は薩摩藩の外城だったそうです。日南市の飫肥城は伊東家ですし、このあたりもバチバチだったのかなあ。暮らしの面では、川がもたらす豊かさと水害のことが共に紹介されていました。恩恵と代償というものは、不思議なぐらいに紙一重です。
旧佐土原町(宮崎市)(2/3)
次にやってきたのは、旧佐土原町です。国富町は通過だけしてしまったので、ちょっと申し訳ない気持ち。そして、久峰総合公園に着くと、日本で出会ってきた数多のゲートボールの中で、過去最大規模だと感じるほどの人数が集まっていました。おじいちゃんおばあちゃんたちですが、予選が必要なんじゃないかと思えるぐらい。
その後、佐土原総合支所の周辺を散策すると、マンションのある風景は一瞬横浜がよぎりましたし、戸建ての住宅地はまた違った印象に見えました。支所が丘の上にあり、東の空は開けていて、それも気持ちよかったです。
次にやってきたのは、旧佐土原町です。国富町は通過だけしてしまったので、ちょっと申し訳ない気持ち。そして、久峰総合公園に着くと、日本で出会ってきた数多のゲートボールの中で、過去最大規模だと感じるほどの人数が集まっていました。おじいちゃんおばあちゃんたちですが、予選が必要なんじゃないかと思えるぐらい。
その後、佐土原総合支所の周辺を散策すると、マンションのある風景は一瞬横浜がよぎりましたし、戸建ての住宅地はまた違った印象に見えました。支所が丘の上にあり、東の空は開けていて、それも気持ちよかったです。
宮崎市(3/3)
順々に書き残していくと、まずは自分で「生目古墳群」と「平和台公園」へ行ってみました。古墳は特に3号というのがすんごく大きくて、木も茂っているので、古墳というよりは丘で。平和台公園は、シンボルの平和の塔がやはり印象的でした。海外の観光客がピースで写真を撮っていたけれど、たぶん、地元の方々からすれば、違う印象の場所なのだろうなあとも感じました。
さて、ここから「ハワイアンショップ ハノハノ」さんで店主の長浜尚美さん、バレリーナの宮沢美津江さん、音楽プロデューサーの川島牧さんにお会いしました。みなさん宮崎で活躍されている女性で、ピアニストの永田ジョージさんがつないでくださったご縁です。冒頭では、フラダンスの世界大会で2位の実績を持つ圖師瑛斗さんにもご挨拶をしました。年下の男性でなんとも爽やかな方で。などなど、もう、あれこれと初めましてで、怒涛の時間です。お店ではみなさんとお茶をしました。かれこれ1時間半以上喋っていたのですが、みなさんがパワフルな宮崎弁スピーカーで、ぼくは聞く専門だったんですけれど、話がまた面白くて。宮崎では絆創膏を「リバテープ」って言うって、知ってました?
ハノハノさんでの茶話会がひと段落したあと、川島さんに、宮崎市街地へ食事に連れて行っていただきました。1軒目は地元の方でもさらに知る人ぞ知る、雰囲気抜群の隠れ家のようなお店で、予約を取ってくださって。すべてが美味しすぎて、店内も大人な和モダンの世界なので、震えました。でも、店主の方はぼくとそんなに歳が離れていなかった。2軒目は大衆的な居酒屋です。とっても人気店で、日本酒の取り揃えも抜群で。いやー、楽しかったですし、川島さんがほかにも知り合いの方を呼んでくださって、短い時間で挨拶をさせてもらったり、最終的には席を移動して、川島さんのお知り合いのご夫婦と一緒に食事をしたり。何より、出会ったみなさんが素敵でしたし、地元の方と交流する機会って、ぼくはあるようでありません。ほんとうにいろんな世界を楽しく教えてもらった、ぎゅっと濃い1日でした。翌日には川島さんにラジオにも呼んでもらいまして、それもまたすごく嬉しかったです。
その後、宮崎神宮を訪れて、宮崎市とはお別れです。宮崎市がとても思い出深い土地になりました。
順々に書き残していくと、まずは自分で「生目古墳群」と「平和台公園」へ行ってみました。古墳は特に3号というのがすんごく大きくて、木も茂っているので、古墳というよりは丘で。平和台公園は、シンボルの平和の塔がやはり印象的でした。海外の観光客がピースで写真を撮っていたけれど、たぶん、地元の方々からすれば、違う印象の場所なのだろうなあとも感じました。
さて、ここから「ハワイアンショップ ハノハノ」さんで店主の長浜尚美さん、バレリーナの宮沢美津江さん、音楽プロデューサーの川島牧さんにお会いしました。みなさん宮崎で活躍されている女性で、ピアニストの永田ジョージさんがつないでくださったご縁です。冒頭では、フラダンスの世界大会で2位の実績を持つ圖師瑛斗さんにもご挨拶をしました。年下の男性でなんとも爽やかな方で。などなど、もう、あれこれと初めましてで、怒涛の時間です。お店ではみなさんとお茶をしました。かれこれ1時間半以上喋っていたのですが、みなさんがパワフルな宮崎弁スピーカーで、ぼくは聞く専門だったんですけれど、話がまた面白くて。宮崎では絆創膏を「リバテープ」って言うって、知ってました?
ハノハノさんでの茶話会がひと段落したあと、川島さんに、宮崎市街地へ食事に連れて行っていただきました。1軒目は地元の方でもさらに知る人ぞ知る、雰囲気抜群の隠れ家のようなお店で、予約を取ってくださって。すべてが美味しすぎて、店内も大人な和モダンの世界なので、震えました。でも、店主の方はぼくとそんなに歳が離れていなかった。2軒目は大衆的な居酒屋です。とっても人気店で、日本酒の取り揃えも抜群で。いやー、楽しかったですし、川島さんがほかにも知り合いの方を呼んでくださって、短い時間で挨拶をさせてもらったり、最終的には席を移動して、川島さんのお知り合いのご夫婦と一緒に食事をしたり。何より、出会ったみなさんが素敵でしたし、地元の方と交流する機会って、ぼくはあるようでありません。ほんとうにいろんな世界を楽しく教えてもらった、ぎゅっと濃い1日でした。翌日には川島さんにラジオにも呼んでもらいまして、それもまたすごく嬉しかったです。
その後、宮崎神宮を訪れて、宮崎市とはお別れです。宮崎市がとても思い出深い土地になりました。
というわけで、今回の記事はここまで。怒涛がどっどっど、と駆け抜けていきました。でも振り返れば、あんなことがあったなあって、戻ってこない時間が羨ましくなって、そういうことの繰り返しが、歳を重ねるということのひとつですよね。
本日のひとこと
宮崎市で大淀川を往復する度に、大淀川がどんどん好きになりました。河口近くの雰囲気は、徳島の吉野川にも似ているなあと感じます。
宮崎市で大淀川を往復する度に、大淀川がどんどん好きになりました。河口近くの雰囲気は、徳島の吉野川にも似ているなあと感じます。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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