更新に1ヶ月かかってしまいました。遅くなってしまい、申し訳ありません。ようやく落ち着きまして、順次更新できそうです。この日は鹿屋市と錦江町の旧市町村へ。途中、霧島神宮の神職さんと一緒にツーリングするというスペシャルタイムも発生しまして。ぼく自身、えっ、どういうこと!? という驚きもありました。
今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【86/171】
訪れた旧市町村の数【933/2,094】 総計【1019/2,264】スーパーカブの総走行距離
25072km
今日の旅先のこと
旧輝北町(鹿屋市)(1/6)
朝、「輝北天球館」という天体観測施設のある公園へ。最後、すんごい坂道でようやく登り切ると、一気に丘陵性の景色が開けて、まるで北海道にいるようで。朝早くて天球館に入ってはいませんが、周辺の景色も抜群で、桜島も見えてかっこよかったです。「輝北」の「北」っていう地名も、面白いですよね。だってここは鹿児島県。何を基準にするかによって、東西南北の視点が変わるのだなあと。
旧串良町(鹿屋市)(2/6)
あちこちで朗らかにウグイスが鳴いていました。そして、串良平和公園へ。桜並木が満開で美しい。公園内に慰霊塔があり、「慰霊」と書かれた文字は佐藤栄作書でした。市街地にも訪れてみます。道中は畑が多い印象だったのが、市街地に入ると暮らしの姿に変わって。はっきり分かれていると感じました。隣の東串良町もすごく近かったです。
あちこちで朗らかにウグイスが鳴いていました。そして、串良平和公園へ。桜並木が満開で美しい。公園内に慰霊塔があり、「慰霊」と書かれた文字は佐藤栄作書でした。市街地にも訪れてみます。道中は畑が多い印象だったのが、市街地に入ると暮らしの姿に変わって。はっきり分かれていると感じました。隣の東串良町もすごく近かったです。
鹿屋市(3/6)
鹿屋航空基地史料館を目指して進んでいく。街のつくりが印象的でした。郊外はチェーン店が並んでいて、もう少し中心部に入っていくと、昔ながらのアーケード通りもあって、それぞれまちができていった時期が違う気がするなあと。
鹿屋航空基地史料館は、自衛隊の土地にある施設でした。いろんな飛行機(たぶん戦闘機が多い)が外でも展示してあって、見たことがないやつもいっぱい。館内では、3分間の映像を見ました。鹿屋航空基地は海上航空発祥の地で、太平洋戦争でもこの基地から多くの隊員が出撃したと。「日本の礎になって散っていった」ということを、ぼくらはぼんやりと捉えますが、何より、命の価値は時代によらず何も変わらないということを、忘れてはならないと毎回思います。
鹿屋航空基地史料館を目指して進んでいく。街のつくりが印象的でした。郊外はチェーン店が並んでいて、もう少し中心部に入っていくと、昔ながらのアーケード通りもあって、それぞれまちができていった時期が違う気がするなあと。
鹿屋航空基地史料館は、自衛隊の土地にある施設でした。いろんな飛行機(たぶん戦闘機が多い)が外でも展示してあって、見たことがないやつもいっぱい。館内では、3分間の映像を見ました。鹿屋航空基地は海上航空発祥の地で、太平洋戦争でもこの基地から多くの隊員が出撃したと。「日本の礎になって散っていった」ということを、ぼくらはぼんやりと捉えますが、何より、命の価値は時代によらず何も変わらないということを、忘れてはならないと毎回思います。
旧吾平町(鹿屋市)(4/6)
旧吾平町は鹿屋市の南、内陸部に位置するまちで、鹿屋市でありながらも、まったく違うまちだと感じました。丘陵性で、地形も雰囲気も全然違う。
そして、吾平総合支所で、霧島神宮の神職のHさんと合流しました。どういうこと!? って感じですけど、ぼくもどういうこと!? って感じで。端的にまとめると、事の発端は東京で偶然出会った方が、Hさんと偶然友人で、ぼくがまもなく霧島神宮へ行くという話をしたら、だったらお繋ぎしますよ! という流れです。で、昨日、霧島神宮でHさんにご挨拶をしたかったのですが、Hさんが面会中で叶わず、手紙を書き残して神宮を出発したところ、「ぼくもバイクあるんで、明日(今日)、会いませんか?」と、連絡をくださったわけです。わあ、霧島神宮の方も、バイク乗ってるんだあ、というか、わざわざ来てくださるのかあ、と、もう、感情がめぐるめぐる。
Hさんと、「吾平山上陵」という皇族陵へ行きました。「ピクミンみたいな感じでついていきます」とHさんは言いましたが、ぼくのカブの方が遅いんで、ぼくがピクミンになりました。吾平山上陵では、もはやHさんはその道の専門家なので、ガイドしてもらったような形で。その後、一緒にご飯を食べて(ご馳走様でした!)、次の旧大根占町までツーリングして解散という形で。神社のこともいっぱい質問できて楽しかったです。「神職さんと神主さんと宮司さんの違いってなんですか?」とか。
旧吾平町は鹿屋市の南、内陸部に位置するまちで、鹿屋市でありながらも、まったく違うまちだと感じました。丘陵性で、地形も雰囲気も全然違う。
そして、吾平総合支所で、霧島神宮の神職のHさんと合流しました。どういうこと!? って感じですけど、ぼくもどういうこと!? って感じで。端的にまとめると、事の発端は東京で偶然出会った方が、Hさんと偶然友人で、ぼくがまもなく霧島神宮へ行くという話をしたら、だったらお繋ぎしますよ! という流れです。で、昨日、霧島神宮でHさんにご挨拶をしたかったのですが、Hさんが面会中で叶わず、手紙を書き残して神宮を出発したところ、「ぼくもバイクあるんで、明日(今日)、会いませんか?」と、連絡をくださったわけです。わあ、霧島神宮の方も、バイク乗ってるんだあ、というか、わざわざ来てくださるのかあ、と、もう、感情がめぐるめぐる。
Hさんと、「吾平山上陵」という皇族陵へ行きました。「ピクミンみたいな感じでついていきます」とHさんは言いましたが、ぼくのカブの方が遅いんで、ぼくがピクミンになりました。吾平山上陵では、もはやHさんはその道の専門家なので、ガイドしてもらったような形で。その後、一緒にご飯を食べて(ご馳走様でした!)、次の旧大根占町までツーリングして解散という形で。神社のこともいっぱい質問できて楽しかったです。「神職さんと神主さんと宮司さんの違いってなんですか?」とか。
旧大根占町(錦江町)(5/6)
Hさんと一緒に、神川大滝公園へ向かいました。名前の通り立派な滝がありそうな予感でしたが、その通りで滝壺は岩が大きく、ごおおと音も印象的で。滝だけではなく、脇の岩からも水が溢れ出ていました。
そして、Hさんと解散して、旧田代町へ訪れたあと、市街地の「錦江町ゲストハウス よろっで」さんで2泊しました。よろっでさんは5年前の2019年に訪れたとき、まだまだ空き家だったんですよね。その印象のままだったので、鮮やかな青い外壁を見たときはびっくりしました。建物内も、子どもの落書きがたくさんあって、いろんなイベントの様子も温かみがあって、建物が嬉しそうに息をしていました。5年前に出会ったときの山中さんが、今もよろっでさんで中心的な立場にいらっしゃいました。かっこいいですよねー。すごく、かっこいいです。
Hさんと一緒に、神川大滝公園へ向かいました。名前の通り立派な滝がありそうな予感でしたが、その通りで滝壺は岩が大きく、ごおおと音も印象的で。滝だけではなく、脇の岩からも水が溢れ出ていました。
そして、Hさんと解散して、旧田代町へ訪れたあと、市街地の「錦江町ゲストハウス よろっで」さんで2泊しました。よろっでさんは5年前の2019年に訪れたとき、まだまだ空き家だったんですよね。その印象のままだったので、鮮やかな青い外壁を見たときはびっくりしました。建物内も、子どもの落書きがたくさんあって、いろんなイベントの様子も温かみがあって、建物が嬉しそうに息をしていました。5年前に出会ったときの山中さんが、今もよろっでさんで中心的な立場にいらっしゃいました。かっこいいですよねー。すごく、かっこいいです。
旧田代町(錦江町)(6/6)
花瀬という地域まで行きたかった気持ちもありますが、今回は田代支所の周辺へ訪れました。この日、支所のそばにある田代保健福祉センターで、映画監督山下大裕さんの作品「ひとしずく」の上映会があり、その上映後の片付けも一緒にさせてもらって。日置市で作品を観ることができたのですが、各地でがんばっていらっしゃってて、すごいなあと。
花瀬という地域まで行きたかった気持ちもありますが、今回は田代支所の周辺へ訪れました。この日、支所のそばにある田代保健福祉センターで、映画監督山下大裕さんの作品「ひとしずく」の上映会があり、その上映後の片付けも一緒にさせてもらって。日置市で作品を観ることができたのですが、各地でがんばっていらっしゃってて、すごいなあと。
夜、ゲストハウスよろっでさんで、ワイワイした場があって、ぼくはひとり微妙な距離感で食事を取っていたので、イヤなやつだったこと間違いなしですが、山中さんが優しく、ぐいぐい引っ張ってくれて、最後にはその場にいたみなさんとおしゃべりすることができました。いやー、ぼく、こういうとき、ぐいっといけるときと、ぜんぜんいけないときがあるんですよねー。今回は後者でしたが、山中さん、ありがとうございました。すごく楽しい夜でした。
本日のひとこと
ゲストハウスの夜、出会った農家さんがぼくの旅(旧市町村一周)の話を聞いて、「うわぁ、こいつ、ヘンタイだあ!」と仰ってくれて、ヘンタイって、とっても嬉しい褒め言葉だなあって思いました。
ゲストハウスの夜、出会った農家さんがぼくの旅(旧市町村一周)の話を聞いて、「うわぁ、こいつ、ヘンタイだあ!」と仰ってくれて、ヘンタイって、とっても嬉しい褒め言葉だなあって思いました。
旅を応援してくださる方へ
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
(終わり。次回へ続きます)
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