ふるさとの手帖

市町村一周の旅

山鹿市の旅。「鹿」の名が付いた旧市町村を巡ろう。【旧市町村一周の旅(熊本県|1月26日―295日目)】

山鹿市の旅。「鹿」の名が付いた旧市町村を巡ろう。【旧市町村一周の旅(熊本県|1月26日―295日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【82/175】

82/175
46.86%
訪れた旧市町村の数【817/2,094】
817/2094
39.01%
総計【899/2,269】
899/2269
39.62%

スーパーカブの総走行距離
22556km

旧鹿北町→山鹿市→旧鹿央町→旧鹿本町→旧菊鹿町、の5つ。
玉名市と和水町を訪れた昨日から、今日は山鹿市を巡った。まずは旧鹿北町を目指して、国道3号線を北上していく。道路標識には「久留米」や「八女」の文字が出てきた。福岡県が近づいて懐かしいなあと思ったし、ごめんね、今はちょっと戻れないんだ、とも思った。
 

旧鹿北町では釘ノ花(くぎのはな)の滝という滝へ訪れた。滝の水量はさほど多くなかったが、滝の音はいつでも気持ちのいいものだ。それに滝壺はエメラルドグリーン色で、手前になるほど透き通っていた。

さらに、滝の手前には木が一本あり、そこに日が差し込んで滝壺に影をつくっていた。朝早い時間だから見られた光景だろう。自然が生きているように感じられて、いい時間に来たのかもなあとうれしかった。

旧鹿北町へ。
寒さで霜がたくさん降りていた。

釘ノ花の滝へ。
水面が澄んでいる。
見事だ。

その後、鹿北市民センター周辺を散策した。高峻ではなくとも盆地のように山に囲まれた地域で、数日前の雪も部分的に残っていた。全体としていい雰囲気だなあと。

鹿北市民センター。
鹿北グラウンド。
奥の山肌には雪も。

美しい風景だ。

さくら湯、八千代座、山鹿灯籠。ー山鹿市

昨日は山鹿市街地で宿泊していたので、夕方も散策した。小学生が下校している時間帯で、風情ある町並みを歩く小学生の姿はとても尊く感じられた。
昨日の夕方、市街地を散策した。
さくら湯。
さくら湯、明日は入りたい。
夕食は太平燕と高菜めしを食べた。
そして、今日は早速「さくら湯」に入った。源泉掛け流し、350円の入浴料、営業時間は6時から24時まで……と、これ以上ない恵まれた条件の中で、いざ浴場へ入ると天井の高い広々とした空間に、口がぽかんとあいた。なんていい雰囲気なのだろう!
山鹿市へ。
浴場の雰囲気、とっても良かったです。

湯上がり後は旅の再開だ。八千代座まで歩き、それから山鹿灯籠民芸館へ訪れた。八千代座からは声が聞こえてきて、何かやってるのかなと正面まで行くと、地元の小学生が、どうやら演目を行っているようだった。八千代座は国指定重要文化財、素晴らしい建物なので、もし舞台に上がっているのだとしたら、ものすごくいい経験だろうなあと思った。笑い声も漏れてきて、ほっこりした。

八千代座が見えてきた。
かっこいい。
小学生の演目が行われているようだった。
山鹿灯籠民芸館へ。

山鹿灯籠民芸館は、山鹿市でお盆におこなわれる「灯籠まつり」について知ることのできる施設だ。入館料を支払って、見学させてもらう。受付の方に、

「映像があるんですけど、見ますか?」

と声をかけてもらった。見ます、見ますとも。映像大好きです。10分弱の映像を見た。

映像では、灯籠まつりの歴史から当日の様子までまとめられていた。灯籠まつりの特徴は、女性にとっての檜舞台であること。女性たちは、和紙と糊でつくられた金灯籠をかぶって優雅に舞う。灯籠をかぶって舞うことは、独自だなあと思う。

クライマックスは「千人灯籠踊り」と呼ばれるもので、輪になって千人の踊り手が舞うというのだ。映像だけでも圧巻だった。昨年は4年ぶりに開催されたとのことだった。

灯籠は細部まですごい。
千人灯籠踊り。見事な写真だ。

装飾古墳館で古墳の大きさを感じよう。ー旧鹿央町(山鹿市)

次に向かったのは、旧鹿央町。ここには熊本県立装飾古墳館がある。軽やかなピアノのBGMが流れる館内で、さまざまな装飾古墳のレプリカを見ることができた。
 
装飾古墳のレプリカを見てあらためて思ったけど、かなり大きなものが多い。石室は洞窟のようになっていて、人が立てる高さがあったり、壁画もすごく大きかったり。福岡県旧若宮町の竹原古墳という場所で本物の壁画を見て(撮影禁止)、その大きさを実感したのだ。だから、いろいろ展示されている古墳の姿を見ながらやっぱりそうだなあ、という気持ちになった。
装飾古墳館の近くに、古墳。
はにわだ。
装飾古墳館へ。
昔の人の顔。
壁画や装飾、いろんなパターンがあった。
その後、鹿央市民センターの周辺を散策した。やや小高い場所にあり、茶や黒色の畑の土が印象的だ。
空が広い。
市民センター近く。畑の風景。
鹿央市民センター。

道の駅と落ち着いたまちなみへ。ー旧鹿本町(山鹿市)

次にやってきたのは、旧鹿本町。まずは菊池市との境界付近にある『道の駅 水辺プラザかもと』へ訪れる。施設には温泉もあるようで、温泉セットのカゴを持った人たちが、ルンルンと館内へ入っていくのだった。山鹿市はいろんな場所で温泉が湧出しているのだなあと。
道の駅水辺プラザかもと。
道の駅から西へ2km弱進んで、鹿本市民センターへ向かう。国道沿いから南へひとつ入ると、気配がガラッと変わって、昔ながらの町並みが感じられた。宿場町や城下町のような町並みではない。ごく自然な暮らしの町並みだ。そうした気配は土地に染み込んだ時間を教えてくれる。まちというものに出会った、と感じるのだ。
鹿本市民センター。
鳥居と灯籠だけあった。
国道の裏側へ。
暮らしを感じる。

岩隈山の切通しを通って、鞠智城跡へ。ー旧菊鹿町(山鹿市)

最後にやってきたのは、旧菊鹿町だ。ここまですべての地名に「鹿」があって、いずれもかつて鹿本郡だったので、統一感があるなあと思った。
 
菊鹿市民センターを訪れたあと、「岩隈山の切通し」と呼ばれる場所へ行ってみる。静かな住宅地のそばにその切通しはあって、車が一台通れるほどの細い道がつくられていた。削られた山が高いので日差しが当たらずに暗い。暗いので寒い。暗くて寒いので怖い、といった感じだった。
 
「立山黒部アルペンルート」には「雪の大谷」と呼ばれる有名な観光スポットがある。それと似ていると思ったが、雪の大谷はバスも通れるぐらいの道幅なので、岩隈山の切通しの方が道は細い。それに雪は白くて明るいけれど、こっちは日陰で暗い。その意味で切通しは滋味あふれるインパクトがあるなあと。
旧菊鹿町へ。
山と平地と。
菊鹿市民センター。
岩隈山の切通しの入り口。
写真で見るよりも怖かった。

次に、鞠智城跡を訪れた。山鹿市を巡っている中でも、鞠智城跡の看板はたくさん見かけていたので、気になっていた場所だった。ただ、具体的にどのような城なのかはわかっていなかった。看板や写真で見た建物が、城っぽくなかったからだ。

でも、鞠智城跡の資料館で「映像がありますよ」と10分間の映像を見ることができて、鞠智城跡のことをより理解できた。

鞠智城跡は、白村江の戦いでの敗戦後に築かれた、国防の山城だったのだ。そういうことかと。鞠智城跡で最も有名な「八角形鼓楼」と呼ばれる建物も、見張りや時を知らせる役割があったと。

白村江の戦いでの敗戦後、朝鮮からの攻撃に備えて防人が配備された。その最前線が対馬の金田城跡で、ぼくも今回の旅で訪れた。だから、熊本にも同じ役割を担った城があったのだなあと。

鞠智城跡の歴史公園へ。
カフェもあった。
鞠智城跡のシンボル、八角形鼓楼。復元するにあたって、残っていた柱を結ぶと八角形だったそうだ。
1300年前に、こうした建物があったと思うと、すごいですよね。
米倉だ。
小高い場所に位置していた。

というわけで、今日の散策はここまで。広く巡ればこぼれ落ちてしまうかもしれない場所も、旧市町村一周の旅で少しでも出会うことができていたらうれしい。
 
本日のひとこと
温泉の脱衣所で、ふんどしのおじいさんがいらっしゃいました。旅でふんどしの方とは初めて出会った気がします。ダイナミックでした。
(終わり。次回へ続きます)

<旅を応援してくださる方々へ&関連ページ>

「どこで暮らしても」の商品ページに飛びます。

今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら

二見書房編集部noteにて連載中です。

二見書房編集部noteのページはこちら
旅についての心境を、週に一度日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。

日本加除出版noteにて連載中です。

日本加除出版noteのページはこちら
旧市町村で気になったまちのことについて、月に一度まとめています。本文は『戸籍時報』でも連載中です。

ストレートプレスにて連載中です。

ストレートプレスのページはこちら
トレンドニュースサイトのSTRAIGHT PRESS(ストレートプレス )にて、旧市町村をひとつずつまとめた記事を連載中です。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

RECENT ARTICLES

Follow me