ふるさとの手帖

市町村一周の旅

長崎市になった、西彼杵郡の旅。【旧市町村一周の旅(長崎県|1月8日―277日目)】

長崎市になった、西彼杵郡の旅。【旧市町村一周の旅(長崎県|1月8日―277日目)】

西海市の「雪浦ゲストハウス森田屋」を出発し、長崎市に入っていく。外海(そとめ)や琴海(きんかい)といった長崎市北部のまちから、長崎半島の先端に位置する野母崎まで訪れた。昨日巡った西海市もだけれど、今日訪れる長崎市のまちは、かつて西彼杵(にしそのぎ)郡に属していた。今その郡名を持つものは、時津町と長与町だけだ。

西彼杵郡、という言葉の響きが好きだから、ちょっとした寂しさもある。今日はその旧町の気配に、少しでも出会えるといいな。

それでは順に振り返っていこう。

朝のゲストハウス。

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【81/175】

81/175
46.29%
訪れた旧市町村の数【774/2,094】
774/2094
36.96%
総計【855/2,269】
855/2269
37.68%

スーパーカブの総走行距離
21930km

長崎県が黄色になりました。
長崎市の旧外海町→旧琴海町→旧香焼町→旧伊王島町→旧三和町→旧野母崎町、の6つ。
爽やかな晴れに包まれた朝。西海市の大瀬戸から旧外海(そとめ)町に入った。国道202号線は視界に入る海がとにかく素晴らしく、走っているだけで心が満たされていく。道路そのものが景勝地のようだった。
 
神浦地域の港近くでは、地元の方たちが集まっていて、どうやら焚き火をしているようで楽しそうだ。ちなみに神浦港からは、池島へ向かう船が出ている。池島はいつか訪れてみたい島のひとつ。
 
すごいなあと思っている大学院生の方が、池島の生活文化を研究している。お会いしたことはないけれど、その方が残している記事を読んでいると、とてもホッとする。まちへのリスペクトがあって、視点が一方通行ではなくて、その距離感がとても好きだ。だから、すごいなあと思う。
池島だ。
神浦集落。
港にて。
そして、旧外海町には世界文化遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の集落が、ふたつある。ひとつは大野集落、もうひとつは出津(しつ)集落だ。
 
今回は出津集落に立ち寄った。国道202号線を左に折れて、出津教会や旧出津救助院の方へ進もうとすると、旅でも5本の指には入ろうかという急な登り坂だった。
 
考えてみれば、潜伏キリシタンの歴史背景を持つ集落だ。その“歴史背景”という言葉も、ぼくが簡単に表現できるものではない。
 
今日、快晴のもと穏やかな集落が広がっている様子が、すべてではない。200年以上に及ぶ禁教の中で守られた精神性を、まずはこの急坂から感じ、想像しなければならない。
 
旧出津救助院では、静かに水やりをしているシスターの姿が印象的だった。
出津教会。
旧出津救助院。
瓦の角が十字架だ。
出津集落。

さらに、ずっと行きたかったのが、遠藤周作文学館である。ただ恥ずかしいことに、代表作である『沈黙』も読めていない。実家の本棚に置いてきたので、早く回収したい。でも、まだ著書に触れていないのに、なぜか遠藤周作には惹かれていた。

そして、彼が若くしてキリスト教の洗礼を受け、宗教性に向き合い続けたことが、作品の根源にあったことを、今日初めて知った。

館内に入ると、グレゴリオ聖歌が流れていた。無伴奏であり、清らかな声だけが響いている。体が何かに包まれ、魂に何かが語られるようだった。

館内はほぼ撮影禁止なので、写真を撮っていない。だが、遠藤周作の生涯に触れる展示は、力強く刺激的な時間だった。たくさんメモを取った。遠藤周作という人物がもっと好きになった。

メモをした一部に、宗教性への言葉があった。

各宗教は別々かというと、私は、キリスト教が説いていることも、仏教が説いていることも、ヒンドゥー教が説いていることも、根底においては共通したものがあると思う。
(略)
つまり、それは富士山を東から見るか、西から見るか、北から見るかであって、登っていく道は別々だけれども、頂上においては同じだということです。
(略)
どのような宗教であれ、その根本にあるものは一緒なのであり、それは人間だれもが持ち合わせている無意識の中に存在する。それこそが私のいう“宗教性”で、あらゆる宗教の根本なのだと思うのです。
—遠藤周作『深い河』創作日記 宗教の根本にあるもの より

遠藤周作文学館と海。

ここから、出津集落ものぞむことができた。

やすらぎの小径公園で眺める大村湾。ー旧琴海町(長崎市)

再び海沿いの国道204号線を南下し、地形がやや内側にしぼんだ畝刈町のところで、V字型に曲がるように方向転換し、旧琴海町へ向かった。

中心部にやってくると、海は近いけれど東に小さな丘陵地帯があって、大村湾は見えない。西海川沿いで散歩する夫婦や、遊んでいる子どもたちの姿を見た。

やがて、もう少し北へ進むと大村湾が見えたのだが、その大村湾近くのニュータウンに驚いた。高い密度で住宅が集まっている。内湾で海が安定しているので、海が近くても住宅地がつくれるのかなあ。

琴海南部総合センター。

ニュータウンだ。
琴海北部の方にも進む。
琴海文化センター。
壁にいろんな絵があった。
大村湾と暮らし。

造船所と長崎港の玄関口。ー旧香焼町(長崎市)

旧琴海町から、長崎市街地を通過し、長崎市南西に位置する旧香焼(こうやぎ)町を目指した。36kmの移動だったので、同じ長崎市であっても広いと感じずにはいられない。
 
長崎市街地の赤迫周辺から路面電車が現れ、長崎らしい雰囲気だとワクワクした。市街地を抜けていくときは、長崎駅の手前で別の地方と記憶が重なり、どこだろうかと振り絞って、「水戸だ!」と思ったりもした。もちろん坂の風景は水戸ではないけれど、旅をしていると部分的に土地の記憶が重なることがある。
長崎市街地を通過する。

旧香焼町はかつて長崎湾に浮かぶ島だったが、埋め立てられて今では陸続きになっている。と、あとから調べてわかったわけだが、訪れたときは島なのか陸なのかわからずに苦労した。雰囲気は島なのに、島という文字がどこにもなかったからだ。だから、埋め立てという答えで実にスッキリした。

やはり香焼では造船所が印象的だった。かつては三菱重工の造船所であり、現在は大島造船所に引き渡されたという。造船の変遷には詳しくないが、まちを歩いていると造船所がやはり軸になっているように感じられた。

旧香焼町へ。
香焼公民館。

島という気配も感じられた。

公園とマンション。

漁港もあった。

リゾート地を感じつつ、伊王島灯台へ。ー旧伊王島町(長崎市)

旧香焼町の西側から伊王島大橋を渡る。キラキラした波の光と伴走するようで、とても気持ちが良かった。旧伊王島町は沖之島・伊王島の2島からなる。伊王島大橋を渡った沖之島にある、白を基調としたカトリック馬込教会が印象的だ。海と集落と教会のまちなみが美しかった。
海が綺麗だ。
旧伊王島町。
集落とカトリック馬込教会。
さらに島の奥まで進み、伊王島灯台公園へ向かった。道中は「i+Land nagasaki(アイランドナガサキ)」と呼ばれるリゾート地があり、レンタサイクルを利用する家族連れを多く見かけた。長崎市街地から車で行けるリゾート地として知られているようだ。確かに島の明るい雰囲気にも合っているように感じられる。
 
六角形の形状をした伊王島灯台は、青空と対照的な白さで、とても眩しかった。
伊王島灯台公園。カフェもあった。
灯台まで歩こう。
伊王島灯台。元は江戸条約でつくられた灯台だ。
長崎市を見渡す。見事。

山の東西に広がる暮らし。ー旧三和町(長崎市)

次にやって来たのは、長崎半島の中央に位置する旧三和町。三和地域センターと、川原大池公園を目指した。
 
国道沿いにある三和地域センター付近は、長崎半島の北側の海に向かうか、南側の海に向かうかの分岐路にもなっている。ただ、その付近は小高い山並みが広がっていて、緑を中心とした景色だった。
 
川原大池公園は、南側の海沿いにある公園だ。池や海水浴場、キャンプ場が同じエリアにあり、バスケットコートでは父と子がシュート練習をしていて、奥には海も見えるので、スラムダンクではないけれど、とてもグッとくる光景だった。
旧三和町へ向かう途中。さすが長崎市だという住宅地だ。
旧三和町へ。山も近い。
三和地域センター。
長崎半島の南側の海へ。
川原の海だ。

長崎半島の先端にあるまち。軍艦島資料館へ。ー旧野母崎町(長崎市)

旧三和町から野母崎方面へは、長崎半島の北側を通る国道の方が安定しているわけだけれど、せっかくなので南側の県道34号線沿いに、旧野母崎町へ向かった。県道は細くうねうねしていたものの、交通量が少なかったので助かった。
 
ようやく旧野母崎町の集落が見えてくると、すっぽりと丸い湾の形をした脇岬漁港が見えた。遠目にはヤシの木も見える。不思議な雰囲気を持つ地域だった。漁師町で住居も多く、ここにも暮らしがあることを感じた。
野母崎の脇岬町。
南国を感じる。

野母崎地域センターの前にて。

次に軍艦島資料館を目指した。野母崎からは軍艦島がよく見えるのだ。そして、軍艦島資料館に着くと、同じ場所に恐竜博物館があった。家族連れでとても賑わっている。広場と遊具もあり、子どもがのびのびと楽しそうで、見ているだけでも幸せな気持ちになった。

さらに、同じエリアには水仙の里展望台があって、ちょうど今は水仙の時期なので、花が咲き誇る光景にうっとりしながら展望台へ上がった。いよいよ展望台からは、くっきりと軍艦島の姿が見えた。小さな島だが、今までに見たことのない形をしている。まだ、軍艦島には行ったことがない。

恐竜博物館。
斜面に水仙が咲き誇っていた。
遊具がたくさん、恐竜パーク。
軍艦島こと端島だ。
望遠鏡にカメラをくっつけて。
いざ、軍艦島資料館へ。
最後に訪れた軍艦島資料館は、とても面白かった。端島(軍艦島)の隣に位置する高島の炭坑から始まった石炭採掘の歴史が、丹念に紹介されていた。今となっては遺構になっているけれど、かつてここにはひとりひとりの暮らしがあり、過去のようで、確実に、今という時代につながっているのだと感じられたのだった。
 
撮影禁止だけれど、いくつか当時の写真が展示されている中に、明らかにすごくいい写真があった。名前がなかった、誰が撮ったのかなあ。

というわけで、今日の散策はここまで。野母崎から長崎市街地に戻ってからは、長崎駅に近い『ROUTE』さんに宿泊させてもらった。スタッフさんがとても温かくて、やさしい空間だ。
ROUTEさんに宿泊。
カステラとお茶をいただいた。
スタッフさん。明日、オーナーさんにもご挨拶できたら。
夜ご飯を食べに、路面電車に乗る。
長崎大学近くの、フラワーメイトさんへ。

路面電車に乗り、長崎大学駅で降りて、フラワーメイトというお店に入った。知り合いの方が、かつてここでアルバイトをしていたのだと教えてくれたのだ。その方が働いていた頃に小学生だったという男の子が、今お店のマスターをしているのだと。マスターとはお話しできなかったけれど、きっとこの方かなという男性がいて、別の席の大学生にやさしく声をかけていて、温かな雰囲気を持っていた。

「スパチキ」をいただいた。スパゲティナポリタン、ジュワジュワー!って。
チキンカツも、すっごく美味しかった。
本日のひとこと
路面電車内で、交通系カードのチャージの仕方がわからずに汗をかいた。正面の人に、地元民ではないとバレたと思う。
(終わり。次回へ続きます)

<旅を応援してくださる方々へ&関連ページ>

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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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二見書房編集部noteにて連載中です。

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旅についての心境を、週に一度日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。

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旧市町村で気になったまちのことについて、月に一度まとめています。本文は『戸籍時報』でも連載中です。

ストレートプレスにて連載中です。

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トレンドニュースサイトのSTRAIGHT PRESS(ストレートプレス )にて、旧市町村をひとつずつまとめた記事を連載中です。

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