
1月6日は雨予報だったので、させぼ五番街のスターバックスで作業をしていた。でも、朝にパラパラと雨が降っただけで、それからは思いのほか晴れてきて。
もったいないなあ、そういう日もあるかあ、と思ったわけだけれど、正午に近づいたとき、「佐世保」とかかれた法被や制服姿の人たちが広場にゾロゾロと出てきて。これは何かあるぞと。
荷物を片付けて飛び出し、群衆の方へ行ってみると、佐世保市の消防出初式があったのだった。やがて楽器隊の演奏に合わせて行進が始まった。歩調を合わせ、来賓席の前では敬礼している。来賓には米軍の人たちもいて、佐世保の法被を着ている人もいた。出初式は全国でも行われているようだけれど、この様子は佐世保らしいなあ、って。
少し時間を置いて、一斉放水も行われた。船からも放水が行われて、これまた佐世保らしい。五番街にいたことで、地元の行事に出会うことができたのだった。


今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【81/175】
訪れた旧市町村の数【768/2,094】 総計【849/2,269】スーパーカブの総走行距離
21790km

目次
西海橋を渡って、七ツ釜鍾乳洞にも入ろう。ー旧西海町(西海市)






立派な造船所のある島。ー旧大島町(西海市)
旧西海町から、次にやってきたのは旧大島町だ。大島大橋を渡ると寺島(旧大島町)に入り、さらに寺島から寺島大橋を渡ると、大島に入る。確か長崎県の人たちは、橋で渡れる島を「島」と言い、船で渡る島を「離島」と言うと聞いたことがある。
橋を渡る手前で風速が表示されていて、「風速9m/s」とあった。カブは非常に風に弱いのです。車に抜いてもらい、後ろからしばらく車が来ないことを祈って、ゆっくり進む。
無事に橋を渡りきって、大島へ入った。やはり大島造船所の大きな建造物が印象的だ。赤と白の巨大な門のような建造物が連なっていた。大島は特に戦前から戦後にかけて、炭鉱の島だったけれど、閉山後は造船が有名な島になっている。
市街地を歩くと、島の気配をとても濃く感じた。ブロック塀、屋根、マンション……、それらひとつひとつに染み付いた時間があるようだった。橋でつながっているけれど、流れている時間は、明らかに島であると。






大島の奥にある島。ー旧崎戸町(西海市)
大村湾を見渡す風景。ー旧西彼町(西海市)
音浴博物館と雪浦ゲストハウス森田屋。ー旧大瀬戸町(西海市)

そして、ゲストハウスに移動した。泊まったのは、旧大瀬戸町にある「雪浦ゲストハウス森田屋」。雪浦は地名で、森田屋は建物の元々の家主の名前だという。
中年の女性二人も同じタイミングで泊まっていて、いろいろと話をした。ひとりは地元のスーパーのオーナーさんで、ぼくもついさっきそこに立ち寄って、晩御飯を買ったのだった。新しくて明るいスーパーだなと感じていた。
そのオーナーさんは、東京で10年主婦をしていたけれど、旦那さんたちと一緒に大瀬戸へ戻ってきて、スーパーをひらくことになり、もうすぐ1年経つのだと。主婦からオーナーに転身したわけだ。お話を伺っていると、スーパーという役割だけではなくて、地域にとっていろいろな役割を果たせるようなひらかれた場にしたいという強い思いがあった。それが使命のようなものだと感じてもいると。もちろん、少しずつ、一歩ずつ進みたいと。
その土地に住む人たちが思いを持っていると、その土地には鼓動がある。このゲストハウスも、雪浦の人々と雪浦を訪れる人々が出会う場所になってほしいとNPO法人が運営する宿だ。良い出会いに恵まれたなあと思う。



というわけで、今日の散策はここまで。西海市は西側と東側でエリアが大きく分かれているように感じました。外にひらかれた海か、大村湾かによって、海がそばにある暮らしも、印象が異なるなあと。
島で鉄アレイを持って散歩している人を見ました。
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