ふるさとの手帖

市町村一周の旅

雪が舞う日も走るのだ。【旧市町村一周の旅(佐賀県|12月17日―255日目)】

雪が舞う日も走るのだ。【旧市町村一周の旅(佐賀県|12月17日―255日目)】

今日までの旅メーター

訪れた政令指定都市の区の数 【81/175】

81/175
46.29%
訪れた旧市町村の数【724/2,094】
724/2094
34.57%
総計【805/2,269】
805/2269
35.48%

スーパーカブの総走行距離
20820km

旧三根町→旧北茂安町→旧中原町→旧三田川町→旧東脊振村

雪が舞う日も走るのだ。(2023年12月17日(日)―255日目)

7時半過ぎに出発。北には分厚い雲が、南には朝焼けが広がっていた。服を今まで以上に重ね着する。防寒タイツを2枚、その上にズボンを2枚、ウルトラライトダウンを2枚……暑そうだけれど、寒いのである。スーパーカブで走ると、体を動かさないまま風を浴びるからね。

それでは振り返ってみよう。

旧三根町(みやき町)

最初にやって来たのは、みやき町の旧三根町だ。地形のおおよそは平地で、穏やかな暮らしが広がっていた。
 
もう、明らかに北の方では雪が降っていたけれど、ここでも雪が降り出した。朝から野球服の小学生たちが、車から降りてグラウンド近くに集まっていた。試合か練習があるのかな。そんなことはさておきというテンションで、小学生たちは「雪だ!雪だー!」と楽しそうであった。
旧三根町へ。
三根庁舎。
三根クリーク公園に行くと、ザリガニがいた。クリークとは、農業用にも使われる水路のこと。

旧北茂安町(みやき町)

次にやって来たのは、旧北茂安町。徐々に筑後川と市街地が見えてきて、ああ、川向こうの市街地は久留米市だなあと気づいた。この辺りは県境付近である。
 
そして、千栗八幡宮へ訪れた。長い石段が特徴的な落ち着いた神社だ。一度訪れたことがあったので、懐かしかった。その長い石段を、何のこれしきと強がりながら、ゼェゼェと登っていく。ちょうど参拝し終わったあと、一人のおじさんが軽快にやってきて社務所に挨拶をして行った。地元の人かなあと思う。
 
石段を降りていくとき、そのおじさんが挨拶をしてくれて、ぼくを軽快に抜き去ったのだが、その直後、野球部の練習着姿の高校生たちが、続々とやってくるではないか。
 
さっきのおじさんは、その野球部の顧問の先生で、これから千栗八幡宮の石段を使って冬トレをする、という段取りだったのだ。
 
もう一人の若い先生と挨拶をした。「週に一度か二度、冬トレでお邪魔しているんですよ。これがしんどくて怖い、と言っている生徒もいます」
 
石段を何往復するのかまではわからなかったけれど、最初はとても和やかな雰囲気だったからこそ、これから相当キツイ時間が始まるのだなあと察した。彼らを見て、ぼくもやる気が出た。
旧北茂安町へ。
千栗八幡宮。
急な石段だ。
高校生たちがやって来た。
がんばれー!
北茂安庁舎。

旧中原町(みやき町)

次にやって来たのは、旧中原町。徐々に脊振山地の山並みが近づいてきて、景色が変わっていった。
 
町の中心部に、三養基高校がある。そうか、みやき町を漢字にすると、三養基と書くのかと驚かされると同時に、高校の前の校門がレンガ造りで印象的だった。東京駅を設計した辰野金吾は唐津市の出身地だから、佐賀にはレンガ造りの建物が多いのかなあ、なんて考える。
 
その後、綾部八幡神社へ向かった。佐賀の方と話をしていて、「綾部八幡神社の手前にあるぼた餅が、すごく美味しいの」という情報を得ていたので、食べてみたかったのだ。
 
綾部ぼたもち店 橋本屋さんに入り、ぼた餅5個入りを買った。神社で参拝したあとに封を開けていただく。餡がぎっしりと敷き詰められていて堪らない。でも食べてみると甘すぎず、お餅とのバランスが絶妙だった。地元で愛されている味って、いいなあ。
旧中原町へ。
三養基と書く。
校門がカッコよかった。
黒色の特急だ。
綾部八幡神社の近くの水路がとても綺麗だった。
綾部八幡神社と、右にぼた餅屋さん。
平野が広がっている。
ぼた餅、いただきます。
餡がたっぷり!
美味しかったなあ。5個、ぜんぶ食べちゃった。

旧三田川町(吉野ヶ里町)

ここからは、吉野ヶ里町へ移動だ。今では「吉野ヶ里遺跡」が有名なので、元から吉野ヶ里町なのかと思っていたら、旧三田川町と旧東脊振村にわかれていたことを知った。
 
吉野ヶ里遺跡が「吉野ヶ里歴史公園」として開園したのは、2001年のことだ。吉野ヶ里町に合併したのは2006年なので、地名はそうして浸透していったのかなあと思ったり。
 
そして、吉野ヶ里歴史公園に、あらためて訪れる。3回目だ。以前と見え方が変わっただろうかと、じぶんへの視点が知りたくて。
 
素人の視点であることには変わりないけれど、今回の旧市町村一周の旅を通して、事前に北海道や北東北地方の、縄文時代の遺跡群を巡っていたことが、個人的にはよかった。青森市の三内丸山遺跡だけではなく、北海道にもいろいろと縄文時代の遺跡が残されている。
 
それで、あらためて吉野ヶ里歴史公園を歩いていると、「すごく争ってるなあ!」と思ったのだ。弥生時代になって稲作が始まり、暮らしが安定したことで、争いが起こった。争いが起こったことで、武器も造られるようになった。国とはそういう流れかと感じた。縄文時代の遺跡群では、争みたいなことはそこまで感じなかったけれど、吉野ヶ里歴史公園は、そもそも環濠集落で堀に囲まれ、逆茂木で覆われていたから。
吉野ヶ里町役場。
吉野ヶ里駅。
吉野ヶ里歴史公園へ。
弥生時代の特徴、環濠集落。
逆茂木。
向こうでは雪が降ってますね。
儀式もあるわけです。
巫女さん。

旧東脊振村(吉野ヶ里町)

そして、最後にやって来たのは旧東脊振村だ。名前がかっこいい。ひがしせふりそん、である。
 

明らかに、脊振山地の方角は雪が降っているようだったが、すでに今日もたくさん雪に降られていたので、気にせず進んでいく。東脊振庁舎近くを散策したあと、寒すぎて、絶対に行こうという強い決意のもと、「ひがしせふり温泉 山茶花の湯」へ向かった。

地元の温泉として賑わっていて、冷え切った体を癒したのだった。露天風呂からは里山の風景を一望できて、雪が舞うなかその景色を楽しんだ。

しかし、まったく記憶がないのだが、どこかで脱衣所の鍵(手首につけるやつ)を無くしてしまって、内線で電話して大変だった。ほかのお客さんから、「ああ、鍵無くした人だ」と思われてしまった。結局、従業員の方が鍵を持ってきた。どこかに落ちてたってこと? 詳しいことは聞けず、それにしても、自覚症状がまったくなくて、温泉の鍵を無くした経験も、一応初めてのはずなので、相当疲れているなあと思ったのだった。

東脊振庁舎。

脊振山地が険しい。

温泉に向かって進む。雪が降っている。
山茶花の湯へ。ありがとう温泉。
帰りの道は晴れた。

というわけで、今日の散策はここまで。天気が読めないので、様子を見つつではありますが、少しずつ佐賀県を進んで行きましょう。

本日のひとこと
雪が、舞う、なのか、積もる、なのか、天気予報と睨めっこしている日々です。
(終わり。次回へ続きます)

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