今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【81/175】
訪れた旧市町村の数【724/2,094】総計【805/2,269】スーパーカブの総走行距離
20820km
雪が舞う日も走るのだ。(2023年12月17日(日)―255日目)
7時半過ぎに出発。北には分厚い雲が、南には朝焼けが広がっていた。服を今まで以上に重ね着する。防寒タイツを2枚、その上にズボンを2枚、ウルトラライトダウンを2枚……暑そうだけれど、寒いのである。スーパーカブで走ると、体を動かさないまま風を浴びるからね。
それでは振り返ってみよう。
最初にやって来たのは、みやき町の旧三根町だ。地形のおおよそは平地で、穏やかな暮らしが広がっていた。
もう、明らかに北の方では雪が降っていたけれど、ここでも雪が降り出した。朝から野球服の小学生たちが、車から降りてグラウンド近くに集まっていた。試合か練習があるのかな。そんなことはさておきというテンションで、小学生たちは「雪だ!雪だー!」と楽しそうであった。
次にやって来たのは、旧北茂安町。徐々に筑後川と市街地が見えてきて、ああ、川向こうの市街地は久留米市だなあと気づいた。この辺りは県境付近である。
そして、千栗八幡宮へ訪れた。長い石段が特徴的な落ち着いた神社だ。一度訪れたことがあったので、懐かしかった。その長い石段を、何のこれしきと強がりながら、ゼェゼェと登っていく。ちょうど参拝し終わったあと、一人のおじさんが軽快にやってきて社務所に挨拶をして行った。地元の人かなあと思う。
石段を降りていくとき、そのおじさんが挨拶をしてくれて、ぼくを軽快に抜き去ったのだが、その直後、野球部の練習着姿の高校生たちが、続々とやってくるではないか。
さっきのおじさんは、その野球部の顧問の先生で、これから千栗八幡宮の石段を使って冬トレをする、という段取りだったのだ。
もう一人の若い先生と挨拶をした。「週に一度か二度、冬トレでお邪魔しているんですよ。これがしんどくて怖い、と言っている生徒もいます」
石段を何往復するのかまではわからなかったけれど、最初はとても和やかな雰囲気だったからこそ、これから相当キツイ時間が始まるのだなあと察した。彼らを見て、ぼくもやる気が出た。
次にやって来たのは、旧中原町。徐々に脊振山地の山並みが近づいてきて、景色が変わっていった。
町の中心部に、三養基高校がある。そうか、みやき町を漢字にすると、三養基と書くのかと驚かされると同時に、高校の前の校門がレンガ造りで印象的だった。東京駅を設計した辰野金吾は唐津市の出身地だから、佐賀にはレンガ造りの建物が多いのかなあ、なんて考える。
その後、綾部八幡神社へ向かった。佐賀の方と話をしていて、「綾部八幡神社の手前にあるぼた餅が、すごく美味しいの」という情報を得ていたので、食べてみたかったのだ。
綾部ぼたもち店 橋本屋さんに入り、ぼた餅5個入りを買った。神社で参拝したあとに封を開けていただく。餡がぎっしりと敷き詰められていて堪らない。でも食べてみると甘すぎず、お餅とのバランスが絶妙だった。地元で愛されている味って、いいなあ。
ここからは、吉野ヶ里町へ移動だ。今では「吉野ヶ里遺跡」が有名なので、元から吉野ヶ里町なのかと思っていたら、旧三田川町と旧東脊振村にわかれていたことを知った。
吉野ヶ里遺跡が「吉野ヶ里歴史公園」として開園したのは、2001年のことだ。吉野ヶ里町に合併したのは2006年なので、地名はそうして浸透していったのかなあと思ったり。
そして、吉野ヶ里歴史公園に、あらためて訪れる。3回目だ。以前と見え方が変わっただろうかと、じぶんへの視点が知りたくて。
素人の視点であることには変わりないけれど、今回の旧市町村一周の旅を通して、事前に北海道や北東北地方の、縄文時代の遺跡群を巡っていたことが、個人的にはよかった。青森市の三内丸山遺跡だけではなく、北海道にもいろいろと縄文時代の遺跡が残されている。
それで、あらためて吉野ヶ里歴史公園を歩いていると、「すごく争ってるなあ!」と思ったのだ。弥生時代になって稲作が始まり、暮らしが安定したことで、争いが起こった。争いが起こったことで、武器も造られるようになった。国とはそういう流れかと感じた。縄文時代の遺跡群では、争みたいなことはそこまで感じなかったけれど、吉野ヶ里歴史公園は、そもそも環濠集落で堀に囲まれ、逆茂木で覆われていたから。
そして、最後にやって来たのは旧東脊振村だ。名前がかっこいい。ひがしせふりそん、である。
明らかに、脊振山地の方角は雪が降っているようだったが、すでに今日もたくさん雪に降られていたので、気にせず進んでいく。東脊振庁舎近くを散策したあと、寒すぎて、絶対に行こうという強い決意のもと、「ひがしせふり温泉 山茶花の湯」へ向かった。
地元の温泉として賑わっていて、冷え切った体を癒したのだった。露天風呂からは里山の風景を一望できて、雪が舞うなかその景色を楽しんだ。
しかし、まったく記憶がないのだが、どこかで脱衣所の鍵(手首につけるやつ)を無くしてしまって、内線で電話して大変だった。ほかのお客さんから、「ああ、鍵無くした人だ」と思われてしまった。結局、従業員の方が鍵を持ってきた。どこかに落ちてたってこと? 詳しいことは聞けず、それにしても、自覚症状がまったくなくて、温泉の鍵を無くした経験も、一応初めてのはずなので、相当疲れているなあと思ったのだった。
というわけで、今日の散策はここまで。天気が読めないので、様子を見つつではありますが、少しずつ佐賀県を進んで行きましょう。
本日のひとこと。
雪が、舞う、なのか、積もる、なのか、天気予報と睨めっこしている日々です。
(終わり。次回へ続きます)
<旅を応援してくださる方々へ&関連ページ>
今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
写真集の商品ページはこちら
二見書房編集部noteのページはこちら
旅についての心境を、週に一度日記形式で書いています。ブログにまとめきれなかったことも残せたらと思います。
日本加除出版noteのページはこちら
旧市町村で気になったまちのことについて、月に一度まとめています。本文は『戸籍時報』でも連載中です。
ストレートプレスのページはこちら
トレンドニュースサイトのSTRAIGHT PRESS(ストレートプレス )にて、旧市町村をひとつずつまとめた記事を連載中です。
LEAVE A REPLY