今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【74/175】
訪れた旧市町村の数【702/2,094】総計【776/2,269】スーパーカブの総走行距離
20190km
対馬を駆け抜ける。(2023年12月6日(水)〜7日(木)―244〜245日目)
現在は島全体が“対馬市”である対馬も、2004年までは6つの町が存在していた。島自体が大きいから、自然な姿だとも思う。今は対馬市だし、それで何の問題もないわけだけれど、毛細血管のように島の隅々に集落が存在していることで、ひとつの島が成り立っている。そのことに触れたくて、この旅をしている。
12月6日。
壱岐の郷ノ浦港を12時35分に出発して、対馬の厳原港に14時45分に着いた。宿は厳原なので、およそ日没までの時間、厳原地域なら間に合うと思って散策した。
「対馬藩お船江跡」に行くと、石積みで造られた対馬藩の入江跡が残されていた。城跡とは違う気配。シンプルに、江戸時代の船着場が目の前にあるのだと想像するとすごい話だ。日本じゃないみたいで、鴨たちがくわくわと鳴いていた。
漁火公園を訪れて、市街地を散策し、対馬博物館で常設展を見る。
市街地を歩きながら、やはりハングルの多さに驚かされた。特に「工事中」の看板がハングルになっていたり、郵便局の看板にもハングル表記があって、すごいなと。良し悪しを言いたいのではなくて、韓国が身近に存在している事実を感じるばかりだった。
黒屋根の巨大な対馬博物館は、常設展と文化庁の特別展がそれぞれ550円だったので、ならば常設展がいいと思った。
展示を見て、気になったのは対馬を治めた「宗氏」の立場だ。安土・桃山時代に豊臣秀吉が朝鮮出兵を行ったことは有名だけれど、その際にいろいろ巻き込まれていて、たいへんな役回りをしていたのだなあと。そして、もっと遡って国防の最前線である金田城跡もやはり印象的だった。7世紀の史跡が対馬にはある。数奇な島だなあ、って。
夜は対馬名物のいりやきそばを食べた。地鶏と野菜が入った温かいおそばだ。関係ないけれど、隣の席でインドネシア人かな? という男性二人がうどんを食べていて、同じうどんをもう一杯追加で頼んでいた。うどんのおかわりって先入観でなかなかできないけど、それは先入観か、と。
厳原の宿で夜を過ごす。大荒れで、雷も雨風も激しかった。「竜巻注意報が出ているよ、大丈夫?」と、旅先でお世話になった方が連絡をくれたりもした。ぼく自身は大丈夫だと思えたけれど、カブが横転しないかだけは心配だった。
……そして、翌朝。台風一過のごとく、雲ひとつない空が広がっていた。風も穏やかで、カブも無事。ベストだ。今日、できるならば残りの旧5町も巡りたい。
厳原から次に向かったのは旧美津島町で、姫神山砲台跡を目指して出発する。でも、まず目指すべきは金田城跡ではないかと、昨日、対馬博物館で見た展示で感じていた。ただ、金田城跡は山頂まで往復2時間かかる登山なので、2時間という時間を使っても良いかどうか、見極める必要があった。できれば今日中に、対馬を巡りきりたかったから。
それは明日の夜、福岡で知り合いの方と会えることになって、間に合うためには今日中に対馬を巡り、明日の朝便のフェリーで戻るしか、方法がなかったから。巡りきれなかったら、もちろん旅が最優先なので、お断りしてしまうと伝えてもいたけれど、最初から「間に合わなかったです」と断ってしまうような腹づもりで今日をゆっくり巡るのは、違うと思っていた。澱ができそうで。だから、今日で全体を巡りきることを目標に、でも、この素晴らしい天気で、行くべき場所を省いて良いものか……。
という問答を繰り返しながら、出発してまもなく、「金田城に今日行くべきだ。じゃなきゃ後悔する」と、ルートを変更したのだった。金田城跡へ訪れた上で、今日巡りきることを目指す。それが最善だ。
金田城跡の登山口までの細い道には落石や大きな枝が転がっていて、おそらくぼくが今日、最初の登山者だなと察した。登山口でカブを停めて、往復2時間を目標に、金田城跡の山頂を目指す。普段は持ち歩いている重いカバンもカブ号にしまって、ポカリスエットとおにぎり一個を携帯して、登山開始だ。
誰もいないので、聞こえるのは落ち葉を踏むじぶんの足音と、たまに足裏でぶつかって小さな石ころが転がる音と、鳥のさえずりだけ。やがて、岩肌が露出して景色が綺麗に抜けた。リアス式海岸の湾が広がり、ダイナミックでガツンとやられるような絶景だった。
山頂は見事だった。山が重なり合い、深い青色の入江が広がり、集落も見えるけれど、ほとんどが自然の姿のまま。「うつくしいなあ」と、誰もいないし、誰に言うわけでもないのに、言葉がこぼれる。この景色を見られて、とてもありがたいと思った。
往復で約1時間40分。およそ時間通りに進むことができた。金田城跡の山頂まで行けた、ということが嬉しくて、さあ、ともう一度気持ちを入れ直す。
旧美津島町から、旧豊玉町を目指す。山道を進んでいると思ったら、急に入江が現れて、対馬らしい道だと思いながら進んで行く。最初に向かったのは、和田都美神社だ。以前、対馬出身の知り合いの方に、干潮と満潮のときに連れていってもらったことがある。神社へ続く鳥居が海中に浮かぶときと、鳥居の根元もあらわになるときと、潮の満ち引きで変わる。今回訪れたときは、海水がやや引いていた。
頭の中で、日本神話がすべてインプットされているわけではないから、和田都美神社で祀られている彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)に、正しく参拝ができているのだろうかと思う気持ちもあるけれど、対馬に来て、お邪魔していますと手を合わせられることは、とてもありがたかった。お寺でも教会でも同じだけれど、じぶんはそれぞれの土地で安寧を祈ることしかできない。
もう一箇所、烏帽子岳展望所にも向かった。有名な眺望スポットだ。金田城跡とはまた少し違う対馬の絶景を見ることができた。部分的に霞んでいる景色があって、明らかに黄砂だとわかった。早朝みたいに彩度が落ちた霞み方だった。
次に向かったのは、旧峰町だ。豊玉の市街地からは、約10キロの移動だった。道中の景色もやはり美しくて、何度かカブを停める。入江が細かくて、海がほんとうに青い。それに、さっきまでは潮が引いていたけれど、今度は潮位が増し始めていて、海水がのぼってきている。自然がそばにある島だ。
旧峰町の市街地から、海神神社へ向かっていくと、変わらない時間の流れを感じた。それは、建物が古くなり、スクラップアンドビルドされておらず廃退している、と言いたいのではない。同時に、昔ながらの町並みから伝わってくる雰囲気を、簡単にレトロだと言いたいのでもない。ただとにかく、今日ここに在る時間が美しく感じられた。
海神神社は、海の近くではありながら、長い石段を登った先の、木々に囲まれた神社だった。御神前には熨斗の付いた日本酒が二本、お供えしてあって、その姿がとても凛々しかった。
旧峰町は、対馬では中央からやや北側に位置しているが、ここから更に北の地域が遠い。旧上県町の「異国の見える丘展望台」を目指した。異国とはもちろん、韓国を指す。島の隣町にも関わらず、30キロを超える移動で、とにかく集中して進む。
展望台に着く少し前に、山に囲まれた平野部を通った。土の様子から、田んぼのようだ。おっ、と気になるぐらい、今まで対馬を進んでいて、平野部が少なかったのだなあと思った。
そして、展望台にたどり着く。水平線の遠くを眺めると、ぼわんと島影が見えてきた。やがて、目が慣れてきて、ああ、確かに釜山だ、と。前回もここに訪れたけれど、曇っていたので釜山は見えなかった。だから、あそこに海外があるんだと思うと、ONE PIECEの海賊みたいな気持ちになった。大海原の先に、知らない世界があるんだ! って。
ちょうど、韓国人の若い観光客が5人ぐらいでやってきて、海を眺めて、やがてその島影が釜山だとわかったあと、すんごく喜んでた。そうだよね、じぶんが逆の立場なら、日本が見える! ってなるわけだもの。
最後にやって来たのは、旧上対馬町だ。主要な港は比田勝港。対馬を目指すとき、航路の中で厳原港だけではなく比田勝港もあった。だから、どんな港町なのだろうと気になっていた。
三宇田浜海水浴場に行くと、まだギリギリ太陽の日差しが残ってくれて、輝く波と白い砂浜を見ることができた。静かでクローズドな景色で、海の奥に広がる岩の並びも美しい。
市街地もごく自然なまちなみが広がっていた。ちょうど小学生や中学生も友だち同士で下校している。ハングルの看板も多いけれど、確かにここは長崎県で、ささやかな日常が流れている。そのことを、ただ肌で感じる。
比田勝から厳原に戻るまで、約80キロの道のりがあった。しかも、そのほとんどが起伏のある山道だ。ぼくはスピードが遅いので、2時間以上は掛かる。徐々に景色が薄暗くなり、半分で真っ暗になり、がんばって厳原まで帰った。途中も、立ち止まりたくなる入江の集落と出会った。対馬はほんとうに広い。厳原に戻ってこれたとき、すごく安心した。
本日のひとこと。
同じあとがきですが、無事に比田勝から厳原まで行って戻って来られたことは、個人的にかなり嬉しかったのであります。もしまた訪れる機会があれば、南端の豆酘(つつ)にも行ってみたいです。
(終わり。次回へ続きます)
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今回の旅をはじめる前に、自費出版の写真集「どこで暮らしても」を製作しました。東京23区を1200kmほど歩いて巡り、撮影した一冊です。売り上げは旅の活動費として、活用させていただきます。
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