今日までの旅メーター
訪れた政令指定都市の区の数 【67/175】
訪れた旧市町村の数【623/2,093】 総計【690/2,268】日本海沿いに広がる、ダイナミックな糸魚川の景色。(2023年11月5日(日)―213日目)
旧中郷村(上越市)
東の空がピンク色に染まった朝7時。上越市の市街地から、旧中郷村へ進んでいく。一度、妙高市を通過してから上越市の旧中郷村へ向かう形なので、飛び地に近い。妙高市に入ると、こんなにも綺麗な山並みをありがとうございます。と言わんばかりの美しい景色が広がっていた。途中、「長野市 64キロ」の看板を見つける。うわあ、今日、今からでも長野県に行けるなあ。と心の中で長野市の景色を想像する。
旧中郷村は「中郷」という地名の通り、山間部に位置し、高い山々が近く見えた。上越市で見てきた景色とは確実に違う。どちらかと言えば、妙高の風景だ。
旧名立町(上越市)
旧中郷村は山間部の集落だったけれど、今度は一気に日本海側まで35キロの移動だ。旧名立町では「道の駅 うみてらす名立」に訪れてみる。真鯛、イシガキダイなど新鮮な魚介類が並んでいて堪らない。ご当地の人気パンらしい「サンドパン」にも目を引かれて、さらに「新潟海洋高校相撲部のごっつぁんカレー」のパッケージの、高校生たちが美味しそうにカレーを食べる姿にとてつもないチャーミングさがあり、思わず買ってしまった。
旧能生町(糸魚川市)
先ほどの旧名立町で、上越市の14のまちを巡ることができたのだった。それだけでも十分達成感があったわけだけれど、ここからは糸魚川市の3つのまちを訪れる。
最初にやって来たのは旧能生町(のうまち)だ。旧名立町と同じく、日本海側に集落が多く広がっている。風が強く、日本海は白波が立ってきて、サーファーもすごく多い。
小泊の港町で思わず原付を止めた。港町の雰囲気に味があったのだ。山の麓の台地に、家と家同士の隙間がとても狭い家屋がずらっと並んでいる。おおむね屋根は黒く、それらが密集して、ひとつの統一感あるまちなみを形成していた。
糸魚川市
旧能生町から約15キロほどで、糸魚川市の市街地へやって来た。市街地が大きく感じられる。黒い屋根の住宅に挟まれた道路を進み、市役所近くの天津神社・奴奈川神社まで行ってみる。市役所の街路樹から落葉したばかりの乾燥した葉っぱが、カラカラと揚げたての天ぷらみたいな音を立てて転がっていった。
それから、フォッサマグナミュージアムを訪れる。糸魚川市はヒスイの産地であり、太古にプレートの移動で地下深くのヒスイが出てきたそうだ。そして、フォッサマグナについて学こともできた。
フォッサマグナは元々海峡である。海底火山の噴火などで埋め立てられ、やがて陸地としてひとつにつながる。そのまま隆起していき、天城山や八ヶ岳、富士山など、錚々たる山地が誕生していったと。
旧青海町(糸魚川市)
最後にやって来たのが、旧青海町。糸魚川市街地とは近くて、あっという間に旧青海町の市街地にたどり着いた。海が近くて、太平洋と日本海を逆にしたら、神奈川県の二宮町で見た風景のようだ。松林と青い海と。
そして、富山県と県境も近い親不知を目指して走っていく。急に登るし、ウネウネだし、日本海側で言えばオロロンラインよりもキツイ道のりだ。バイク乗りはこういう道が楽しいのだろうけれど、ぼくのカブ号はちょっと具合が万全ではなくて、山道もスピードがあまり出ないわけで、そういうときに後ろから速い車が近いてくると実に怖いのだ。何回も会釈して車に抜いてもらいながら、なんとか親不知まで無事に辿り着いた。
親不知は、見事な景色ですね。断崖絶壁の景勝地のようなところに、道路が通っていることにも驚かされる。道をひらいた人たちは凄いよ。
11月5日の日記「糸魚川の親不知まで。ここを無事にクリアできたことは大きい。あとは十日町へ、しっかりと行くことだ。阪神、38年ぶり、日本一!!!
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